02



 ぱち。
 目を開けると、一面に赤が広がっていた。開眼一番に飛び込んできたそれは少しだけ目に痛くて、俺は思わず眉をしかめた。
「(あかい…? 天井?)」
 微睡む頭を必死に回転させて、俺は眠る前の出来事を懸命に思い出そうとする。
 ――ええと、確か八百万屋っていう怪しい店に来て……それで…? 
「……あっ!? そうだ変な丸いのが…!」
 思い出して、ガバリと起き上がる。
 女の子みたいな顔をした男に変な扇子で、…よく分からないが何か≠されて、そうしたら変な丸い生き物?が、ふよふよと宙を浮いているのが視えるようになったのだ。
 意味が分からないまま、元々容量の少ない俺の頭はキャパオーバーして、気を失ってしまった。
 そういえば、今先ほど見た丸い生き物はいない。何故だろう、と首を傾げたが、とりあえずは現状を把握することを優先することにした。
「…と、いうことは…? ここはどこなんだ…」
 呟いて、部屋を見渡す。
 特に変わった所はない、普通の和室のようだが――強いて言うなら、和室に似合わない、真っ赤に塗られた天井が変といえば変だろうか。いや、変というか、趣味が悪いというか。
 悪趣味なその真っ赤な天井をじいと微妙な目で見つめていれば、ふと、障子の方から声を掛けられた。
「悪趣味だろ」
「っ、へ!?」
「その天井。ウチの社長の趣味なんだ。赤≠ヘ魔除けの色なんだと。祓い屋≠ェ魔を除けてどうすんだって話だけど」
 障子の扉に寄り掛かったまま、そう言って肩を竦めたのは、黒髪の、顔横の右サイドの髪を少し伸ばした、赤い袴を着た少年。その少年は、俺が気を失う前に会った――おおよそ俺が気を失う原因になった少年だった。
「き、君は…」
宮地凪みやじなぎ。凪で良いよ」
「え、あ………と、や、青柳遙やなぎはるか、です…?」
 少女――凪、は、自己紹介を終えると、「青柳か。ヨロシク」と全くヨロシクする気のなさそうな声色でそう云って、俺の寝ていた布団の横に胡座をかいた。上品で綺麗な顔立ちをしているせいか、胡座が全く似合わない。
「えーっと、…こ、ここは…?」
「店の社員用の仮眠室。お前急にぶっ倒れたから運んできた」
「店……って」
「八百万屋」
 ですよねー。
 凪の答えに若干の絶望を覚えつつ、とりあえず俺は運んでくれた礼を言っておく。うん、お礼大事。お礼も言えない奴はクズだ。うん。
 凪はそんな俺を見て少し引いているようだったが特に口には出さず、話を進めていく。
「それで、お前が倒れる前に言ってたことだけど」
「た、倒れる前?」
「ああ。なんか浮いてる≠チて」
「………」
 ああなんかそんなことを言った気がする。俺は倒れる直前の記憶を引っ張りだして、曖昧に頷く。
「具体的にどんなものが浮いてる?」
「……え?」
「なんか浮いてんだろ? 何が視える?」
「………」
 からかっているんだろうか…と、そんな考えが頭に浮かぶが、凪にそんな様子はない。
 俺は少し考えて、言葉を紡いだ。
「丸い……白っぽい、生き物? みたいなのが、その辺ふよふよって……浮いて…た。今はいない」
「…なるほど」
 凪は納得したように頷き、考える素振りを見せて、よしと頷いた。
「諸々説明してやるから、隣の喫茶店行くぞ」
「………は?」
 眉を顰めた俺に構わず、凪は立ち上がり、にやりと笑った。

「あれ、凪さんどこか行くの?」
 とりあえず凪について急めな階段を降りていると、髪の短い、前下りの女の子に声を掛けられた。三白眼で少し釣り気味の目をしているが下がっている眉のせいか、全体的に穏やかそうな雰囲気の子だった。
「あ? …おう吹雪ふぶき。ちょっと隣まで」
「ああ………百花繚乱=H あ、でも社長が呼んでたけど……」
「あー………客を優先するって言っとけ」
「客…?」
 少女の目が、俺の方に向いた。
 不思議そうに、怪訝そうに俺を見ている。
「桐君の言ってた凪さんがやっちゃった子=H」
「………え?」
「は? 桐の奴言い触らしてんのか?」
「わあ、本当なんだ。珍しいね凪さんが失敗なんて」
「チッ………桐の奴後でぶん殴ってやる」
 凪は苛立たしげに舌打ちをした。顔が整っているので迫力が凄い。美人が怒ると怖いというが、本当だ。
 …というか、やっちゃった≠チて何だ。もしかしてこの何か見えるようになったやつのことだろうか。
 …やっちゃった≠チてことは矢張りなにかマズイことをやらかされたということだろう。
 ジトッとした目で凪を見遣るが、凪は気付かない。代わりに凪と話していた少女の方と目が合った。
「ああええと、不安かもしれませんけど、凪さんこれでも優秀な祓い屋なので、ちゃんと問題解決してくれると思いますよ」
「え? あ、ああ、はい、ど、どうも」
「頑張って下さいね」
 何をだ。
 グ、と両拳を握り、激励の言葉を述べて去って行った少女に、不安が募っていく。ただ話をするだけなのに何を頑張るっていうんだ…
「吹雪のやろーこれでもって何だよこれでもって。俺より成績低いくせに」
「ええと、今の子は……」
「同僚」
 短くそう答えた凪は、チッと舌を打つと、さっさと階段を降りていく。
 機嫌がいいのか悪いのか、よくわからない子だ。

   *

 八百万屋のすぐ隣にある喫茶店、百花繚乱≠ヘ八百万屋の社員御用達の店であるらしく凪を見るなり店員が気さくに話し掛けていた。
 雰囲気の良い店だった。毎朝この辺を通る割に、この辺の店には入ったことがないので、少し勿体無いことをしていたと思う。ああでも、愁汰は可愛い子を求めて色んな店によく入っている様なので、もしかしたらここにも来たことがあるかもしれない。
「ああ凪くん、いらっしゃい。今日はどうしたの? ときさんに用事?」
 ウエイターらしき男が話しかけてきた。茶髪で、少しチャラそうな見た目をしている。如何にも女子ウケしそうな容姿だ。
「おう池波いけなみ。いや今日はあいつに用じゃない」
「じゃあもしかしなくても僕に用事? 悪いけど、凪くんみたいな美少年でも男は専門外なんだよね、ごめん!」
「うぜえ。珈琲二つ」
「うざい!?」
 男の冗句ををばっさりと切り倒した凪はガン、と衝撃を受けた男を放って、適当な席に座った。俺も慌てて凪の向かいに座る。
 何となく、愁汰を彷彿とさせるな、と思った。
「っていうかよく見たら男連れじゃん……えっ、まさか彼氏? 凪くんやっぱりそっちなの?」
 すっかり意気消沈してしまった男は、しかし仕事はちゃんとするのか、注文票を持ってテーブルまで歩いてきた。
 漸く俺に気付いたらしい男が俺を見て凪にそう問いかけるが、凪は思い切り顔を歪めてみせる。
「なわけねえだろ、気色わりい。やっぱりってなんだ客だよ客。それしかねえだろ。つーか今注文しただろ以上だよさっさとどっか行け」
「冷たい!! …あー、お客さんね。なるほど」
 男はもう一度俺に視線を向けて、グッ、と、拳を握り笑顔を向けてきた。
「頑張ってね」
 だから何をだ。

「……で、だ。本題に入るが」
 ウエイターの持ってきた珈琲に口を付けながら、凪がそう話を切り出した。
「あー、っと………そうだな、まず何から話せば良いかな…」
 口許に手を当てて、ブツブツと何やら呟いた後、悩ましげな表情のまま、何となく、といった風に話し出した。
「まず、そうだな。シロガネ≠ニクロガネ≠フ話からするか」
「、…クロガネ、ってあの都市伝説の?」
 凪は頷く。
「知ってんのか」
「あ、いや………なんとなくなら。昔人と鬼は共存していて、でもあるときから人はシロガネに、鬼はクロガネに移り住むように、だっけ?」
「ああ、大筋はそれだ」
 頷かれて、困惑する。
 どうして今、その話が出てくるのだろう。
「あの話は、伝説なんかじゃない。実際に昔起こった話だ」
「………はあ…?」
「殴るぞ」
「なんで!」
「頭大丈夫か、とか思っただろ」
「ち、ちょっとだけ…?」
 つい素直にそう答えると、凪は不機嫌そうにチッと大きく舌打ちをした。そんな酷い。
「頭おかしいとか思われようが、本当の話だ。昔人と鬼は共存していて、ある時から決別して二つの世界に分かれた。鬼も、クロガネも実在する」
「え、ええ…?」
 俺はひたすらに困惑して、情けない声をあげてしまう。
 凪はそんな俺を一瞥して、話を続ける。
「クロガネっていうのは、鬼の住まう世界だ。シロガネに住む住人――つまり俺達と離れるため、鬼が造り出した世界。鬼はひっそりと、そこに住んでいる」
 そこで切って、だが、と言葉を続けた。
「鬼の中には、人の力を借りなければ生きられない奴らもいる。人に取り付かなければ、生きていけない奴らだ。昔は共存≠オていたからどうにかなっていたみたいだが、今は駄目だ。クロガネには人がいないからな」
 ここまでいいな?と問われて、頷いた。何となくだが、分かった。
「だから今、クロガネから出てきて、シロガネに住んでいる奴らがいる。人に取り憑くためだ。不都合なことに、普通の人間には鬼は視えない。時を経て鬼のことを忘れていったためだ。霊力の高い者……俺達みたいな視える奴≠チてのは、稀にいるけどな。まあ大概のやつには視えない」
 そこまで言って、凪はコーヒーを飲んだ。
 それきり黙ってしまった凪に、思わず首を傾げた。…え…?
「…………え…? い、いやええと、クロガネについて、とか鬼がこっちにいることは何となくは分かったんだけど……?」
「? なんだよ」
「……それと俺の事と、なんの関係が…?」
「………」
 そう聞いた瞬間、凪の顔がこれでもかと言うほどに歪められて、俺は情けなくもビビってしまう。
 矢張り、美人の怒り顔は迫力がある。
「ここまで聞いて分かんねえのか…?」
「え? あ、はい…?」
「俺が意味もなくこんな話をしたと…?」
「な、何で怒ってるのかな!?」
 急に不機嫌になった凪に、俺は只管にはてなを飛ばす。何だ、何なんだ一体。
 困り果てていると、ふ、と俺達の座るテーブルに影が差した。
「おいおい凪、相っ変わらずの説明足らずだなァ」
 そう言ってニヒルに笑う、中年の男。
 え、誰…?