03
「………げ」
凪は、目の前に立った中年の男の顔を見て、そう声を漏らした。出会い頭にげ≠ニは、中々に非道い。
俺はそんな凪の反応を受けて、恐る恐る、もう一度男に目を向けた。
ボサボサで何日も洗ってなさそうな髪に、やる気のなさそうな目。髭は当分剃っていないのか剃り残しなのか生え放題だし、割とぶ厚めの眼鏡には目で見てわかるくらいに指紋や埃が付いていて汚い。何というか、一言で云うとまさに不潔≠ネ男だ。
―――…しかし、そんな不潔な男だが、着ている着物はとても上等で綺麗なものだった。その不釣り合いに何となく首を傾げていると、凪が面倒臭そうに口を開いた。
「何だよ鴇。今日はお前に用なんかねえぞ」
「まァそんな連れねェこと言うなよ凪」
男はそう言って肩を竦めると、よっこらせと机に手を付いて、どかりと凪の隣に腰を掛けた。凪が臭そうに鼻を出でつまんで、これでもかと言うほどにに顔を歪めた。
ああ……やっぱり臭いんだ…
「この餓鬼は客だろ? もうちょっと丁寧に接客してやれよ。接客ってのはとにかく媚売りだ。いつも言ってるだろ?」
男が薄く笑って言った。
ガキって俺の事か。
「俺の仕事は接客でも媚を売ることでもねえ。祓う事だ。いつも言ってるだろ」
凪が言い返す。不機嫌そうな凪に対し、男はへらへらと笑っている。
「祓うのにも過程≠チてあるだろ? 客と親しくなることは要らないことじゃない。お前は優秀だが、それで何度失敗した?」
「………」
あ、負けたっぽい。
ムスッと黙り込んだ凪フイッと顔を背け、唇を尖らせた。
「でも俺だってかなりちゃんと説明してやっただろ」
「まあ、そうだなァ。でも客がわかんねえって言ってんだから教えてやるのが接客ってもんだろ。…なァ?」
「え、」
「悪かったなァ、急に」
「あ………イエ……?」
急に話しかけてきた男に戸惑いつつ、疑問形で返事を返す。
というかそもそもこの人は誰なんだろう……
凪に助けを求めるように視線を向けると、面倒くさそうにしながらも、紹介してくれる。
「こいつは
雨宮鴇。この店の店長だよ」
「え、店長…?」
「おう、見えねえだろ」
自分で自分を指差しそう言った男……ええと雨宮さん?に若干戸惑いながら、苦笑いを返す。
いや、確かに飲食店の店長にはとてもじゃないが見えないけど……主に清潔さの面で。
「こいつがうちの社長と知り合いだから、よく仕事にこの喫茶店使わせてもらってんだよ」
「はあ……」
「まァ、そういうこった。…で、だ。さっきの話に戻るが…」
さっき? と首を傾げると、凪がもう忘れたのかというように、「クロガネとシロガネの話だ」と教えてくれる。
「そう、それだそれ。…えーと? 桐から聞いた話だと、この餓鬼が変なものが視えるようになった≠だよな」
「あ゛? 桐の奴、お前にまで話したのかよ」
「今ストッパー役が仕事行ってるからな」
「………」
凪は相変わらず不機嫌そうに黙り込んだ。…この子笑ったりする事あるんだろうか……
「でまあ、それの説明をするのに、クロガネの説明をするのは、間違ってない。うん、間違ってはないが」
「………なんだよ。何が視えるようになったか≠フ話してんだから、ここまで聞きゃ普通に分かるだろ」
「察しのいいやつならともかく、この頭の悪そうな餓鬼が分かるとでも?」
「何か俺ディスられた!?」
すごい流れ弾来たヤバイ痛い。
…というかさっき何の話してるのかさっぱり分からなかったんだけど、何が視えるようになったか≠フ話だったのか………そうなんだ…
一人心の中で傷を癒しつつ納得していれば、不意に雨宮さんがこちらを見た。
「あーと、…………餓鬼………田中くん?」
「誰だよ!! …青柳です。青柳遙」
「ヤナギ?」
雨宮さんは俺の名前に一瞬だけ反応して、しかし少しだけ首を捻ると、すぐに頭を掻いて、本題に戻った。…フケすごいな。
「…遙。お前が気を失う直前から視えるようになったものは、俺達が総称して鬼≠ニ呼ぶものだ」
「……、鬼……?」
「ああそうだ、鬼。つってもその辺に浮いてるのはポヨ鬼≠チつう、害のない奴らばっかなんだが」
俺はちらりとその辺をふよふよと漂う丸いものを見た。…まあ確かに害はなさそうだが。ポヨ鬼って名前適当だな……あ、でも確かによく聞いたら微かにポヨーン≠チて聞こえる……うわあ…
「で、でも何で急に視えるように……? 俺今までこんなの視えたことないし…」
「あーそりゃァ、」
雨宮さんはそこで言葉を切って、先程から黙り込んでいた凪を指差した。
「こいつのせいだな」
「………え、」
「………チッ」
驚いて凪を凝視すると、盛大に舌打ちされる。うーん、辛い……
「桐……あーと、お前が倒れた時一緒にいた男曰く、お前には元々強力な結界が張ってあったらしいんだが、それを見てまあかなり古い型の結界だったし、何故か弱まってたせいもあって凪が呪……呪いだと勘違いして壊しちまったらしい」
「…………は、はあ……」
「なんか、結界について心当たりとかねえか?」
やはり理解出来ずに曖昧な返事を返した。
結界≠チて、一体なんのことだ。そもそも何で俺に結界なんか張ってあったんだ。
結界を張られていたなんて、まるで身に覚えがないし―――…、
「(――――…あ、?)」
いや、一人だけ、いた。
つい先月、俺の前から居なくなってしまったけど。
「………ばあ、ちゃんが、」
「……あ?」
「あ……いや、その、先月、亡くなってしまったん、ですけど、その……凄い、不思議な人で。それにその、く、クロガネ?についても、知ってたみたいだし、」
「クロガネのことを?」
雨宮さんは俺のその話を聞いて、ピクリと片眉を吊り上げた。そうしてずい、と身を乗り出してくる。
「遙、お前のその婆さんの名前って―――、」
- ボーン ボーン ボーン…
「!」
雨宮さんが言い終える前に、店の掛け時計が時間を告げる鐘を鳴らした。俺も雨宮さんも凪も驚いて、時計を見やった。
そうして時間を確認して、俺は慌てた。
「えっ、ぅわッ、やばっ……か、帰んないと、」
「、は? おい、まだ話は……」
「ごっ、ごめん!! また今度で!」
凪に引き止められそうになったが慌てて謝って、店を出た。ああ……お代を出すの忘れてきた……まあ次会うときでいいか。
「(………あ……でも、)」
次、なんてあるんだろうか。
「…………あーくっそ………まだ話あったのに」
凪は遙の出て行った扉を睨みながら、ガシガシと頭を掻いた。鴇はそんな凪を横目で見やりながら、薄く笑う。
「また今度≠ツってたし、また来るだろ?」
「そんな悠長な話じゃねえんだよ!!」
バンッ、と机を叩き、大声でそう怒鳴った凪に、店中から視線が集まる。鴇は周りに愛想笑いを振り撒き、「すみませんねえ」なんて謝りながら、凪の肩を抑えつけ座らせた。すぐに触んなと顔を顰められ払い除けられたが。
「何だよ、なんかあんのか?」
「お前………本当に分かんねえのか? あいつは今、一人にしたら危険だ」
「ああ、分かってるさ。だがそうそう鬼が周りにいるわけ……」
「分かんねえだろ!!」
再度怒鳴り声をあげた凪を宥めながら、鴇は眉を寄せた。
「…何を慌ててんだ」
「分かんねえのかよ………鬼にとって、今あいつは格好の餌だ。そして、鬼はどこに潜んでいるか分からない」
凪は目を細め、扉を睨んだ。
「あいつ…………喰われるぞ」