04



「あいててて、」
 電車に揺られながら、俺は今頃やって来た痛みに呻いていた。
 先程まで煎餅布団で寝ていたせいか、少しだけ背中辺りが痛かった。トントン、と軽く叩いてやりながら、俺は先程の話を思い出して、小さく息を吐く。
「(………クロガネ…………鬼、)」
 現実味のない話だった。もうひとつの世界だとか、そこに鬼が住んでいるだとか。
 今まで普通≠ノ暮らしてきた俺には、全く縁のない世界だ。
「………はあ…………俺どうなっちゃうんだろ」
 未だに周りにふよふよと視界を彷徨うそれを見やり、深く、大きな溜息を吐き出した。

 帰りの電車は眠くなることなく、家の最寄りの前の駅についた。俺は降りる準備のため、定期を出そうと鞄を探った。
「…あ、あれ?」
 ―――ない。いくら鞄を漁っても、目的のものが見つからない。朝には確かにあったはずなのに――、
『次はー、〇〇駅ー…』
「っ!」
 そうこうしている間に、目的の駅に着いてしまった。仕方ないので電車代を現金で車掌に払って、電車を降りた。
「………はあ…………ツイてない………学校にでも忘れたのかな………それとも、」
 先程までいた、あの店が頭に浮かぶ。…あそこに忘れてきたのでなければいいが。
 そうでないことを祈りながら、俺は色んなことからの疲れと、定期をなくしたショックで消沈しながら、帰路を歩いた。

   *

「ただいまぁ……………あれ?」
 家に着いて、玄関を開けた時、俺はふと、違和感を覚えた。いつもなら点いているはずの灯りはなく真っ暗で、いつもなら返ってくるはずの返事もない。
 おかえり、の声が聞こえないことに寂しさを覚えながら、俺は靴を脱ぎ、玄関の電気を点けるスイッチを探した。
 どこかに出掛けているんだろうか…いやしかしそれなら朝のうちに言っておいてくれるはずだ。何か急な用事でも出来たのだろうか。
 パチ、と漸く見つけたスイッチを押すと、暗闇に慣れ始めていた目には痛いくらいの光が飛び込んでくる。思わず目を細めて、俺はリビングの方へと足を進めた。
「おじさん? おばさん? いないの?」
 リビングを覗き込む。真っ暗で何も見えなかったので、入口付近にあるスイッチを押した。
 パッと灯りが点く。
「ぅわっ!?」
 おじさんとおばさんが、黙ってリビングの椅子に腰掛けていた。居ないものだと思っていた俺は驚いて、声を上げ後退った。
「え……、お、おじさん…? おばさん…? な、何やってんの、電気も点けずに……」
 俺が震え声でそう聞くと、おばさんが静かにこちらを見た。ニィ、と薄気味悪い、いつものおばさんの笑みとは違う笑みを浮かべた。
 ゾ、と背筋が凍る。
「アら………遙くン。おかエりナサい」
「っ、」
 不自然な声、イントネーション。いつものおばさんとは、確実に何かが違った。
「どウシたンだ? 遙」
 おじさんも振り返って、ニィ、とあの薄気味悪い笑みを浮かべた。恐ろしさに後ずさろうとして、脚がもつれた。ドサ、と尻餅をつく。
「アらあラ……大丈夫? 遙くン」
「ひっ、……く、来るな!!」
「こラ……なんテ口を聞くンダ」
 二人が近づいて来る。俺は思わず叫んでいた。
「うっ、うるさい!! お前ら誰だよ! おじさんとおばさんをどこにやったんだよ!!」
 その叫びに、二人の動きがピタリと止まった。そうして顔を見合わせて、まあ、ニィ、と笑った。
「ばれタ」
「しカたなイ」
 そう言って再度ゆらゆらと近づいてくる二人。
 俺は恐怖で震える脚を叱咤して立ち上がり、玄関に向かい駆けた。玄関について、靴も履かずに扉を引いて飛び出そうと――力を入れて、ガチャン、動かない扉に俺は青冷めた。
「………え、…?」
 開かない。いつもは簡単に開くその扉が、今はどれだけ力を入れても開かない。ガタガタと扉と葛藤しているうちに、近くまで二人が迫ってきていた。
 ゆらゆら、操り人形の様な不自然な歩き方。姿は慣れ親しんだおじさんとおばさんの姿なのに、違う。俺は泣きたくなって、開かない扉を背にしゃがみこんだ。
「だれか…………助けてくれよ………っ、」
 ぽつり、吐いた弱音に、ふと懐が暖かくなったような気がした。
 え?と驚いて懐に触れるが、すでにその暖かい感覚は消えてしまっている。
 なんだったんだ、と疑問に思うが視界に映り込んだ二人の爪先に、状況を思い出して顔を上げた。
 すぐ目の前に、ニタァ、と笑う二人の姿。
「オマえヲ、たべレば、チカらがてニハいル」
「ヒッ…、」
 おじさんの手が伸びてきた。
 ああ、もう駄目だ―――そう思い、目を瞑った。

 その時だった。

「青柳!!! 右に寄れ!!!」
「ッ、え?」
「右だ!!!」
 不意に聞こえてきた声に、俺は咄嗟に反応して、右、と左右を確認して身体をずらした。ほぼ倒れる形で右に避けると、瞬間、ガッシャアァァアン、と、物凄い音を立てて、扉が吹っ飛んだ。一緒に扉の前にいたおじさんとおばさんも飛んでいく。
「…………え、? ……は……?」
「………はー…………間に合ったか」
「え………あ…………? な、…なぎ…?」
 凪は茫然と名を呼んだ俺をちらりと一瞥して、ふい、と前方に視線を戻した。そして前を向いたまま、舌打ちをされる。
「チッ、人の話も終わんねえうちに帰りやがって」
「えっ、あ、す、すみません……?」
「……まあそれは良い。それよりも…」
 凪はジッと二人の飛んでいった、砂煙のたつ方を見据えた。
「あ、そ、そうだ、あ、あれは一体……おじさんもおばさんも、なんで……」
 俺はぐるぐるとこんがらがる頭で、凪に聞いた。凪は面倒そうに前を見たまま、俺の支離滅裂な問いに答えた。
「あれはクロガネに住まう化物……鬼≠セ」
「え………で、でも鬼って、あのふよふよ浮かんでる丸い……ポヨ鬼?のことなんじゃ、」
「あれだけ≠ェ鬼のわけねえだろ、アホか」
「なっ、」
 砂煙が晴れてくる。
 ゆらり、立ち上がる影と、呻く声。
「お前の言う丸い鬼=cポヨ鬼≠ヘ、鬼の中でも最下層の、超低級鬼。今、俺の言ってる鬼≠ヘ、」
 ス…と、凪は前方を扇子で指し示した。
「欲に塗れた、妖力を自分のものにせんと人≠ノ憑く、奴らの事だ」
「ゥ………ぐ………アァ……」
 二人の呻き声が聞こえた。痛みがあるのか、苦しそうだ。
「チカらガ…………ふたツ……」
「あァ?」
 おじさんの呟きに、凪が眉根を寄せた。相手を見下すように首を傾けて、顔を歪めてみせた。
「俺と、俺の依頼人から、妖力を奪い取れるとでも思ってんのか?」
「チカラ……ち、かラ……」
「……チッ、意思疎通も出来ねえ低級鬼かよ」
 凪は大きく息を吐くと、バサ、と持っていた扇子を構えた。あの、出会った時に見た、ふざけた扇子だ。
「まあいいさ、低級鬼なら、俺の専門だ。扇子だけで斬れる=v
 にやりと笑うと、凪は何か、ブツブツと呪文、のようなものを唱えだした。
 凪の周りに、風が起こる。その風で、ひらひらと何か、ピンク色の物が舞うのが見えた。
「………さく、ら……」
 庭の外に咲いている、枝垂れ桜の花弁だった。
 凪の周りを桜の花弁が舞う様はとても綺麗で、俺は、目を奪われた。
 毎日見ている桜なのに、目が放せなかった。
「………っ、」
 凪は呪文を全て唱え終えると、扇子をゆっくりと動かした。
 二人から、なにか白いものが浮き出ていた。
「来た…!」
 凪は呟き、勢い良く扇子を引いた。するとその白いものが一気に引き出されて、何か鎖、のようなものが二人の中からジャラジャラと出てきた。
「…っ、はあ!? 鎖ィ!?」
 凪は鎖を見て、大きく声を荒げた。
 その拍子にふ、と力を緩めてしまったのか、白いものが二人の中へ戻っていってしまった。
「チッ…!」
 凪は荒々しい舌打ちと共に、少し後ろへ下がる。
「なんっで低級鬼を繋いでんのが鎖≠ネんだよ…!」
 良く分からないが計算外のことが起きたらしい。俺はよく分からないまま、何も出来ずその場にへたり込んでいた。
「おい青柳!!」
「うっ、うえっ!?」
「とりあえず逃げんぞ!!」
「ええっ!?」
 グイ、と腕を引かれて、俺は漸く立ち上がった。そのまま引っ張られて、外に出た。