※大学時代の話
感情や思考が詳細は分からずとも明確に分かる。表面をどれだけ取り繕っても彼女の目は誤魔化されない。
何故ならば、ポッと浮かんだ
吹き出しに感情や思考が可視化されて
載るのだから。視えてしまう以上、どうあがいても彼女には筒抜けだった。
浮かぶのはデフォルメされた顔文字とマーク。
喜びや楽しさには花、煌きや星、音符などが躍る。
怒りには赤い怒りマーク、何かが破裂するようなマークが苛烈に震える。
哀しみには涙。飼い猫の事を考えていればデフォルメされた猫。
空腹ならば食べたいもの。
睡魔に襲われていれば布団、枕、zの連なり。
彼女にしか視えていない謎の吹き出し。ポコポコと浮かんでは消えていくソレ。
総じて言えるのは、感情や思考が反映されているということ。強い感情をもって思考している時に現れるということ。どうでもいい事は吹き出しに現れない。
──情報量の多い視界で今日も彼女は生きている。
〇
とある日の出来事である。
結加理は大学の同じ学部に所属する友人を通じて知り合った後輩、萩原と共に町へと繰り出していた。……なおデートなどではない。
犯罪発生率が非常に高い東都。その大型商業施設でなにかしらの事件が発生する、というのは残念なことに珍しいことではない。ひったくり、スリ、暴力沙汰、爆弾、殺人。悲しきかな事件のレパートリーは盛り沢山だ。
結加理と萩原もまた、例に漏れず事件に巻き込まれてしまっていた。──飲食店で殺人事件の現場に居合わせてしまったのだ。巻き込まれたことを嘆くべきか、どちらも第一発見者とならなかっただけ不幸中の幸いと言うべきか。
現場に到着した警察の指示に従い、結加理と萩原は店内の壁際に集められた事情聴取待ちの客数名と共に立っていた。萩原は結加理の傍から片時も離れずに居てくれる。右に立つその存在が、非常に心強かった。何なら落ち着かせるように背中に手を添えてくれている。
すぐ近くで悪意を持って人が殺されている状況下。平常のまま居られるほど、結加理は心臓に毛が生えているわけでも精神が図太いわけではない。恐らくは全員の頭上に浮かんでいると思われる
モノを視界に入れたくなくて俯いている。
そんな様子が心配なのだろう、萩原と女性警察官が気づかわしげな視線をチラチラと寄越しているのは結加理も気付いていた。だが、それに安心させるような反応を返せる余裕はない。
しかしその様子を不審に思うものは少なからずいるわけで。胡乱げな視線が結加理に突き刺さる。
「さっきからコソコソ怪しいんだよ! 何も悪いことをしてないなら顔上げてろよな」
「なっ、アンタなぁ! こんな時に、ショック受けてる女の子相手に言うことかよ!」
あんまりな難癖に萩原が抗議の声を上げた。反射的になのだろう、背中に添えられていた手が結加理の左肩へと移動し、庇うように軽く自身へと抱き寄せる。
そもそも被害者と結加理と萩原は全く関わりがない。顔も名前も知らない赤の他人である。ただ、座っていた席が近かっただけ。
(最悪だ。でも、ここで無視して余計難癖をつけられるのも、多分、もっと面倒……)
ああいった手合いは、言いがかりをつけられた当人から反論が無ければ自分の都合のいいように解釈をする。結加理は深く息を吐いて、肩を抱いてくれている萩原の左手に己の右手を乗せた。落ち着け、と言わんばかりに。
つい頭上に向かう視線を相手の喉元に押しとどめて目を細める。浮かんでいるであろう
モノを視ずに済むように物理的に視界を狭めたのだ。
「……あいにく、こんな状況で、普通にしていられるほど、心臓は強くないんでね」
「チッ、そーかよ!」
庇うように左肩を抱く萩原の手に僅かに力が入る。しかし結加理の好きなようにさせてくれている。それを良いことに結加理は眼を閉じると右側頭部を彼の肩口に押し付け、視界を完全に遮った。
今は、この包み込むような優しさが身に染みた。
聞こえてくる警察官たちの会話を聞く限り捜査は難航しているようだった。
深く息を吐き、結加理は萩原の肩に押し付けていた頭を離す。外の景色を見れば少しは気分が晴れるだろうか、と。何気なく窓がある方へ、自分たちから見て左側へと視線を動かした結加理は、息が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。
隣に立っている男。その頭上に浮かぶのは笑っている顔の顔文字がマーク化した
モノ、黒のドクロ、ハンカチ、紫のドクロ、血液、白のドクロ、紙幣、血液、そして上機嫌に揺れる花と音符。
──喜んでいたのだ。人が死んで。
つまりは、犯人がそこに居た。
戦慄。畏怖。嫌悪。焦燥。恐ろしい、この場から離れたい、と。頭を占めるのはその思いばかりだった。
息が震え、呼吸が乱れた。意識しなければ喉が変な音を立ててしまいそうな気がしてくる。震える右手を萩原の背に伸ばし、力の入らない手でジャケットを握る。半ば縋るように寄り掛かった。先程の体制に逆戻りだ。いや、力が入らない時点で悪化しているが。
「……は、ぎちゃ……」
「っ、先輩? どうし、大丈夫!?」
もはや呼び掛ける声すら震えていた。先程よりも更に密着した分、身体の震えが伝わったのだろう。萩原が顔色を変える。咄嗟に彼の手が肩から腰に移動したのは結加理の体をより安全に支えるためだ。
結加理は空いている左手で萩原の右手を取ると、その掌に文字を書き始める。一体何を、と一瞬訝し気に形の良い眉を顰めた萩原は、しかし黙ってそれを見守る。何かしらを伝えようとしていることは嫌と言うほどわかったからだ。
──ひ・だ・り……と・な・り
震える指で萩原の掌に書かれた文字。彼がそれを理解するまで数秒。次いで急に圧迫感が結加理を襲う。自身の掌に書かれた文字が何を意味するのかを理解した瞬間、萩原が強く自身の腕の中に抱き込めたのだ。
結加理が自分たちの左隣に立つ人間に対し恐怖を抱いた。そのことを萩原は正確に把握した。
「すみません、ちょっと先輩がこの場に居るのキツそうなんで、せめて店の入り口とかに移動させてもらえませんかね」
「何を勝手な──」
「分かったわ、ごめんなさいね無理をさせて」
「オイ!」
「ありがとうございます。……先輩、とりあえず入口の前の椅子使わせてもらいましょ?」
「……ん。ごめ、」
「いーの。今は落ち着くことだけ考えて」
捜査が始まってから時折心配そうな視線を結加理に向けていた女性警察官が、同僚の言葉を遮って許可を出した。萩原の言葉をにべもなく切り捨てようとした同僚に冷ややかな視線さえ向けている。
極度の緊張とストレスが原因だと判断されたのだろう。当たらずとも遠からず。結加理が拒絶の反応を見せたのはこの現状と、それを喜ぶたった一人の人間に対してである。
そんなやり取りなど気にする余裕もなく、店内から出ることが出来た結加理は無意識のうちに入っていた肩の力を抜いた。とはいえ、入口の前に並んでいる椅子に座っただけであるため、現場から離れたとは言えないが。
「……先輩?」
「……さっき、左、に居た、人」
「うん」
「よろこんでた、から」
「……そ、っか」
「ごめ、怖……」
「うん、無理して喋らないで良いから。大丈夫だからさ、ほら、俺も居るしね」
萩原は結加理が告げたことが全くの嘘だとは思わない。そんな嘘を言う必要性など皆無なのだから。
しかし腑に落ちない気持ちも多少はある。少なくとも萩原の目には左隣に立っていた男性は悲し気に悼んでいるように見えた。まさかあれは演技だというのだろうか。
険しげな顔で萩原は該当する人物へと鋭い視線を一度投げる。目の前で酷く動揺している自身の先輩である結加理は、どこか妙なほどに他者の気持ちに敏感なところがある。今回も例に漏れず、その感覚が当たってしまっているのだろうか。複雑な思いのまま、萩原は結加理に気付かれないよう静かに息を吐いた。
その横で震えの収まらない両手を組みながら、結加理は懸命に先程の光景を頭から追い出そうとしていた。
(ドクロと花と音符が、嗤って、ゆらゆら踊って……つまり、喜んでいた)
異様な光景が目に焼き付いて離れない。悲し気な顔の下でずっと喜んでいる。あの時、左隣に居たのは、まさに異常者だった。
幼少期に家族を亡くした結加理を誰が引き取るのか、と話し合っていた親戚たち。それらとは違った異様さ、不気味さ、不快感、身の毛がよだつ様な戦慄。
今日この時、共に萩原が居てくれたことが唯一の救いだった。一人ではきっと耐えられなかっただろう。
──結果から言えば、犯人は逮捕された。
犯人は結加理が恐怖を覚え、拒絶反応を示した男性。ハンカチと毒物を使用した毒殺だったらしい。
何故かその事実が萩原の頭の片隅に焼き付いていた。
そして数年後、奇しくも似たような展開に見舞われることとなる。
2022/9/24/
さんち、ぴんち。
※密着度が高いけど、付き合ってません。
一度、こんな感じのアイコンとか吹き出しとか選択肢とかが見える番外書いてみたかった。満足。
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