先輩と後輩3


夕刻に待ち合わせた五人と一人は一度別れた。
萩原たちは目的の用事を済ませに、結加理は客人を迎えるための準備に取り掛かりに。萩原がちゃっかり料理のリクエストをしていた事には誰もが目を瞑った。

午後六時を少し過ぎた頃、萩原たち五人は東都の外れに建つアパートを訪れていた。
一人暮らしのところへ成人男性五人が上がる、となると流石に狭いだろう。だがそれが可能なだけの広さがあった。パッと見ただけでもキッチン回りも充実している。尚且つセキュリティも中々。警察官を目指す五人がそう感じるのだから余程だ。
東都の中心から離れているとはいえこの条件。家賃はそれなり(・・・・)にするのでは、と一瞬考えてしまい萩原は慌てて頭を振った。

玄関を開けた瞬間、もう既に食欲をそそる香りが満ちていた。ぎゅう、と誰のかは分からない腹の虫が鳴く。
家主に促されて入ったリビングで五人は借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。それなりのサイズの座卓は、女性の一人暮らであることを考えると違和感を覚える程度には大きい。もしかすると冬場であれば炬燵に様変わりするのだろうか。出されたグラスの中で氷がカランと音を立てた。
低反発のクッションに腰を下ろした伊達は落ち着きなさげに用意されていた麦茶へと手を付ける。──外は暑かっただろう、という結加理の気遣いによるものだ。
料理を出すまでの暇つぶしに、とこれまた家主の気遣いで点けられたTVの音がやけに大きく聞こえる。何故なのかは定かではないが、萩原を除いた四人は何とも言えない妙な緊張感に包まれていた。
それもそのはず、例え仲の良い同期の先輩とは言えど、女性の一人暮らしのアパートに複数人で上がり込んでいるのだ。店での合コンとはわけが違う。多少なりとも緊張しないわけがなかった。


対して家主である結加理は、というと。五人を部屋に迎え入れてから特別彼等に構うことなく動き回っていた。後輩である萩原にある種絶対の信頼を置いていることが見て取れる。
料理をするためなのか、出会った時とは全く違う服装。白シャツに黒のサロンエプロンが妙に似合っていた。
手を止めることなく動き回るその姿を、萩原はどこか落ち着きなく視線で追う。しかし結局耐えきれなくなったらしい。立ち上がるとキッチンへ歩を向けた。

「せんぱーい、やっぱお手伝いさせて〜」

切実に、待っているだけでは落ち着けなかったのだろう。声に若干嘆きや懇願が入っていた。共に過ごす時間が楽しいのか、時折明るい声が聞こえてくる。

よく動き回る二人の姿を目で追いながら諸伏はキッチン回りの充実具合に驚いていた。料理が出来る者であるが故の着眼点。
ペニンシュラキッチン──所謂、一辺が壁に接しているL字型レイアウトのオープンキッチンである。カウンターの壁側に水回り、壁側の作業台の隅にコンロが設置してある。換気扇の位置を考えるに、コンロは外壁に面している場所がちょうどよかったのだろう。そのため、リビングで待つ彼等から見えるのは主に結加理たちの横顔ばかりだ。

(アパートの台所って、こんなに充実しているのもあるんだ……)

実はこのアパートにおける全ての部屋は、一軒家のキッチンだと言われても納得するほどに充実している。彼等が知るはずもないが、このアパートの売り文句の一つが「本格的なキッチンをご用意しております!」である。家賃を聞いたらそれこそ目を剥くのではないだろうか。

キッチンへの興味関心でついつい視線が向くためか、やはり諸伏も萩原と同様に腰を落ち着けていられなかった。

「……あの、オレも何か手伝います。運ぶのとか」

この場に居る彼等は皆、基本的に真面目な性格である。まあ若干一名尖がっている者は居るには居るが。その若干一名も友人の先輩相手に傲岸不遜でいるわけもない。誰が言いだしても可笑しなことでは無かった。

「え、うーん。萩ちゃんはともかく、お客さんを働かせられないかなぁ」
「でも先輩、今からカクテル作ってくれるんでしょ? 持ってくの手伝ってもらったら良いんじゃないですか。取り皿とかはもう並べたしさ」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。……はぁあ、萩ちゃんのお友達、優しいねぇ良い子だねぇ……」
「何だってそんなにしみじみと。久々に会った親戚みたい」
「んー。心境的にはそれに近いかも?」
「ええ〜?」

尽きることなく交わされる軽口の応酬は途切れることがない。萩原も口調にため口が混じり始めているので完全に気が抜けているようだ。
棚の奥まった場所にある食器とお盆を取りだすよう萩原に指示を出しながら、その間も結加理の視線は手元一直線。萩原たちよりもはるかに小さな手が豆皿に何かを盛り付けている。見れば軟骨のようなものとピンクのペースト状のものが和えてある。梅肉だろうか。
あらかじめアレルギーの有無や味の好みについては情報共有済み。調理中の手際を考えると、まず下手なものは出てこないだろう事は予測できる。

「……気になります?」
「え、あ、……はい。すみません見すぎました」
「いえいえ。私もコレ初めて見た時は何だろうって思ったので。気にしないでください」

諸伏がまじまじと見つめていたことに気付いたのか、結加理が小さく笑う。ひどく柔らかな表情だった。

「サメ軟骨の梅肉和え、です」
「……さめ……?」
「そ。サメの軟骨」

全く予想だにしていなかった食材。
諸伏の脳は一瞬情報を処理しきれず、理解するまで時間を有した。滅多に見ることがない食材だ。現に諸伏は食事の場でサメの部位にはじめて出会った。一体どこで調達してきているんだろうか。非常に気になるところである。

「ちなみに日本酒と相性抜群ですよ」
「「へぇ」」

いつの間にか結加理の隣に立っていた萩原と声が被る。彼が両手で持つ木製のお盆には既に小鉢が五つ乗っていた。空いているスペースへ盛り終わった豆皿を更に乗せていく。

「ほい。んじゃテーブルまでヨロシク! お通し的なヤツだって」
「ん、任されたよ」

木製のお盆に豆皿と小鉢が五つ。諸伏の手によってリビングのテーブルに運ばれたそれを、伊達と降谷が各々の場所へと置いていく。
次いで戻った諸伏が渡されたのは深い大皿。盛られている豚の角煮が器の中でふるりと揺れた。持った瞬間にもそうだったのだが、歩行の振動でも揺れている。思わずゴクリと諸伏の喉が鳴った。
絶対美味しいヤツだ、と根拠のない確証を得たのだ。萩原の先輩ということ以外は全く知らない相手が作った料理であるはずなのに。
……だってこれは仕方がない。香ばしい醤油の匂い、とろけた肉の端々、つやつやと光っている脂。豚肉に添えられているのは角煮の汁で煮込まれたであろう人参、蓮根、こんにゃく、そして卵。卵が半分に切られていて黄身が眩しい。あしらいには絹さやが数枚。色どりも良い。これで美味しくなさそう、と思う方が可笑しい。
テーブルのど真ん中に諸伏はその器を慎重に置いた。そう、慎重に置いたはずだ。だというのに、やはり器の中では角煮がふるりと揺れる。

「「「……おお……」」」

異口同音に感嘆の息が零れる。ごくり。誰かの喉が鳴る。
思わず目が釘付けになった三人の気持ちが諸伏には良く分かった。何せ先程彼自身も思わず喉を鳴らしたのだから。正直なところ、四人ともが腹を空かせていたのだ。

「まぁだお通し以外は食べんなよ? 飲み物揃うまではダメ」
「…………わぁってるよ」
「どうだか。まぁ先輩の料理は何でも美味しいから、気持ちは分からないでもないけどさぁ。まあとにかく、そろそろ先輩はじめるって言ってたから、もうちょっと待ってろっての」

今にも箸に手を伸ばしそうだと思ったのだろう。もう一つ大皿を持ってきた萩原が松田に釘を刺して戻っていく。
その背をジトリと横目で見送りながら、松田はふと疑問を口にする。

「はじめる、って何をだ……?」

答えは直ぐに訪れた。
シャカシャカと金属と氷がぶつかる音がする。松田達が行くのは居酒屋が主なためあまり聞く機会はないが、バーではよく響いている音。見れば結加理がシェイカーを振っているところだった。思わず四人は小さく歓声を上げた。店ならいざ知らず、アパートの一室でシェイカーを振る様子を見られるなど、ある意味で貴重な気がしてくる。彼女の格好も相まって非常に様になっていた。

「「「「おおっ……」」」」
「先輩ヤバい……!」

萩原は間近で見ていることもあり、かなりテンションが上がっているようだった。
そんな彼等の反応に若干気恥ずかしげに視線を泳がせた結加理は、グラスに出来上がったカクテルを注ぐ。

「コツを掴めば萩ちゃんも普通に出来ると思うよ」
「え、そうなの? じゃあ先輩教えてよ」
「はは、今度ね」

うん。と頷いた萩原はへにゃりと相好を崩した。心の底から嬉しいと言わんばかりの表情。若干疎遠になっていた分、次の約束が嬉しいのだろう。
カウンター部分にトンと軽く音を立てて置かれた、大きな楕円形──脚なしのワイングラス。先程注がれた抹茶色、その上から散らされたのはフリーズドライのイチゴを細かく砕いたもの。紅色がより引き立って鮮やかだった。
いつの間にか松田達もカウンターへと集まっていた。視線を感じたからか、結加理は今しがた作ったばかりのカクテルについて簡単に説明を入れる。

「はい、これは抹茶オレっぽい感じのヤツ。黒蜜も入ってるからちょっと甘いよ。知り合いに教えてもらったんだよね」
「抹茶かぁ、美味しそう」

誰が飲む? と萩原は問いかけ首を傾げる。
次のカクテルに取り掛かるためシェイカーを洗おうと手を伸ばした結加理は、一拍置いてハッとしたように萩原に顔を向けた。目的を忘れていたと言わんばかりに。

「ねえ萩ちゃん」
「ん? なぁに先輩」
「実は、オリジナルカクテルを試作中なんだけど、まだ誰にも出したことなくて。……萩ちゃんさえ良ければそれ飲んでもらえる?」
「え、良いの!?」
「自分では納得してるけど、まだ試作段階だし改良の余地あるかもしれないし。もしかしたら口に合わないかもしれないけど……」
「っ、飲む! 俺それが良い!」
「お、おおう?」
「だってオリジナルってことは世界で一つしかない、今は俺だけに作られたカクテルって事でしょ!?」
「うん? まあ、そうなるね?」

結加理がその勢いに首を傾げている。何故そんなにも食い気味なのか、と疑問に思っているようだった。
他人に出す、ということは自身の中で納得のいくものが出来上がっているからこそ。──その初めてを貰える機会など早々あるものか。どうでもいい相手に対して試飲を頼むわけがない。
元より多少の交流があった松田はともかく、出会って数時間と経っていない諸伏たちも、何となくではあるが結加理の性格は掴めてきていた。
喜んでほしい、「美味しい」を共有したい、そんな思いからであることは明白だ。感想を聞くのは二の次なのだろう。
ほんの少しその関係性を羨む気持ちが芽生える。良いな、と思ってしまったのは仕方がない事だろう。

「使うリキュールが紫なんだよね。何となく萩ちゃんの目が光の加減で紫っぽく見える時があったから、ピッタリでしょ」
「……もう、先輩は、俺を、どうしたいの……そのカクテル俺の為に作ったの……?」

楽しそうにリキュールの瓶を取り出した結加理がそんなことを言うものだから、萩原は思わず両手で顔を覆った。弱々しく絞り出されるように発せられた声は震えている。どうしても言葉を深読みしてしまう。まるで「萩原を考えて作った」とでも言われている気分になったのだ。
しかし。

「え、偶然だけど? そういや色々作った中にコレがあったな〜って」
「んふ、ははっ! ですよね、知ってたー! 先輩がそういう人だって俺知ってた!」

当の本人によってそんな気持ちは数秒足らずで吹っ飛ばされてしまったわけだが。
クツクツ笑う萩原は特に気にしていないようだった。むしろまだアルコールは摂取していないはずなのにテンションが非常に高い。伊達は思わずつられて笑ってしまった。何だか今日一日で萩原の新たな一面をいくつも見ている気がする。

「はいはい。萩ちゃんのは一番最後に作るからね。……サッパリ系のが良い人、手ぇ上げてください」
「あ、じゃあ俺それで」
「まっちゃんか、了解」

そうこうしている間にも慣れた手つきで作られていくカクテル。トンと軽い音を立ててカンターに置かれたそれを各々が受け取り、結加理と萩原に促されてグラスを片手に座卓に戻っていく。

「じゃ、最後に萩ちゃんのね」
「先輩の分は?」
「いや、客人来てるのに初っ端から飲まないよ。今からまだ包丁も火も使うから」
「そっか」

何が楽しいのか萩原は眦を下げて笑ったまま、結加理の手元から視線を逸らさない。
菫のリキュール、日本酒、飲むヨーグルト、柚子の果汁が少々。これを手早く入れてシェイカーで振るう。出来上がった液体をグラスに注ぎ、切り込みを入れた柚子を縁に添えて完成だ。
グラスで揺らぐ淡い浅紫。それを受け取り萩原が笑う。柔らかく細められた双眸が眩しそうに揺れる液体を見つめている。

「はい、これで全員分揃ったね。乾杯しておいで」
「うん。そんじゃお言葉に甘えて。ありがとね先輩」
「どういたしまして。追加の料理も持っていくから待っててね」
「りょーかい」

カクテルが一杯ずつ彼等の手元に渡りきった。メイン第一弾である豚の角煮ともう一つもテーブルに出した。これが一区切りである。結加理は現時点での洗い物を全て済ませてしまうことにした。
リビングからは五人の明るい声が聞こえてくる。そして各々のグラスが交わり、カツンと軽い音が鳴った。



2022/9/24/
菫が原料のリキュール、パルフェ・タムール。薫り高い。花のリキュールってあんまり聞かないのでたぶん珍しい? どうなんだろ。
……と思って調べたパルフェ・タムールの意味、フランス語で「完全なる愛」と言う意味らしい。思わず唸ってしまった。これ知識あったら熱烈に口説かれてると絶対思われるやつ。夢主は特にそこまで考えていない。
大学時代の話はこの「先輩と後輩」の話が終わったら。

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