優しくないこの世界に抗ってみたのだ。


誤認逮捕。──松田にとって厭う言葉と事象。
しかし、ことフォークとケーキに関わる案件、もしくはそう見立てられた案件にはついて回る事象だった。非常に残念なことに。
萩原を通じて結加理と知り合った頃に発生したストーカーの一件。その詳細を聞いた時、松田の胸の内がざわついたのは言うまでもないだろう。一瞬抱いた複雑な思いは二人にも悟られてはいない筈だ。
まあ、その一件は現行犯であったため犯人であることに変わりはなく、罪状に違いがあったという訳なのだが。
自身の斜め後ろを歩く萩原の視線が若干下に落ちていることを察して、松田は決して小さくない溜息を吐く。──少々懸念していることがあったのだ。


□


生ぬるい風が肌を撫でては去っていく。
すっかり陽の落ちた街を歩きながら、五人はただ無言だった。各々の脳内で浮かんでは消えていくたった数時間の中で起きた出来事の数々。非常に濃いひと時だったのだ。
諸伏は斜め前を歩く降谷の後ろ頭をチラリと一瞥し視線を夜空へと向けた。街灯の明かりで見えづらいが、星が瞬いている。

(気付いてやれなかった。様子がおかしいのは分かっていたのに……)

浮かない顔をした諸伏を見止めた松田は内心で呻いた。
降谷に対し「諸伏とちゃんと話をしろ」とは言ったものの、この瞬間の彼にそれを求めるのは酷な話だろう。今は恐らく、得た情報と自身の感情の整理をしている最中のはず。それが整わないままで次々にあれやこれやと求めるのは推奨しかねる。
少しばかり困ったように後ろ頭を掻いて、松田は口を尖らせた。

(こういうのが得意なのは、萩の方なんだけどよぉ……)

感情の機微に聡い萩原はというと、こちらもまた思いに耽っているようで意識はこちらに向いていない。
それでも先に気付いてしまったのは松田だ。情の熱い彼が声を掛けないわけが無かった。

「ヒロの旦那ぁ、あんま気ぃ詰めんなよ」

普段とは異なる呼び方に諸伏は眉を下げた。松田がこうして若干ふざけたような呼びかけをしてくる時は、単なるノリか、あえて空気が重くなりすぎないようにとわざとである事が殆どだ。
少しだけ歩く速度を下げて諸伏は松田の隣に並ぶ。凹むほど落ち込んでいるわけでは無いのだが、多少気落ちしているのは否めない。聡い友人には筒抜けのようだった。降谷に気取られていないのが唯一の救いか。

「大丈夫だよ松田。ちょっと色々たくさん知ったから、これからどう整理していこうかなって思っていただけ」
「そうかぁ?」

本当かよ、とでも言いたげにジトリと目を据わらせた松田はやはり訝し気だ。諸伏は若干の苦笑いを返したのだが、視線が自然と地面に向かう。
そう、考えることが多いのだ。だから別に気を張り詰めているわけでも自身を追い詰めているわけでも無い。
意識して深く息を吐いた諸伏は、ふと気になってはいたが聞けずじまいだったことを思い出した。この機会に聞いてしまおう、と顔を上げる。

「あのさ、松田。聞きたいことがあるんだけど」
「んあ? なんだ」
「篠原さんってもしかして、その、萩原と付き合ってるか、付き合う寸前とかだったりとかする?」

思いもしなかったその問いに、松田は器用に片眉を跳ね上げた。

「はああ? アイツ等はそんなんじゃねーよ。なんつーか……互いに放っとけねぇ様な相手っつーか……説明むずいんだよな」

苦虫を噛みつぶしたような顔で言い切ると、松田は深く溜息を吐いた。脳裏には過去に起きた出来事が浮かんでは消えていく。

(……ってか、むしろ付き合うっつーか男女の関係になっちまったらダメな組み合わせなんだよな多分アイツ等、色んな意味で)

篠原結加理と萩原研二、この二人は周囲から「絶対に超えてはならない線引きは誤らないが、妙なところで思い切りが良い所為か目を離したらなんか不安でハラハラする」と言われ続けていた。苗字の共通点ともあって最終的には「ハラハラコンビ」とまとめて呼ばれることになっていたのだが、そのことについては割愛する。
その所以たる事件未満、出来事以上の数々が脳裏を過ぎる。
松田の中での『何やってんだコイツらエピソードベスト5』にランクインする出来事。その中にはくだらないことから洒落にならないことまで多々存在する。
その一つに、スキップが出来るかどうかについて話がヒートアップし、最終的に大学の敷地内で互いにスキップを披露しあう展開になった、というものがあった。その様子は傍から見てかなり怪しかったことを明記しておこう。
ちなみに、この話には『何かの儀式をしていたという噂が流れて萩原が爆笑、結加理が頭を抱える』というオチがつく。
閑話休題。

相性は悪くないのだ。しかし恐らく特別な関係になったが最後、様々な意味合いで共倒れになりかねない未来が松田には見えていた。──いや、既に片鱗が見えている。
互いが互いを尊重し、大切に思いすぎるのだ。苦悩も葛藤も何もかもうまく隠し通せる二人。現時点ですら己の感情や主張を後回しにして相手を気にかけている状態。
どちらも決して、相手を信用していない、頼りなく思っている、などというわけではない。ただ手を煩わせたくない、迷惑をかけたくない、とも思っていそうだった。おそらくは互いに相手の重荷になりたくないという気持ちが強いのだろう。
そういった意味で、松田から見た結加理と萩原は根本的な部分で似ている。それがかえって裏目に出ている節があるのだ。
例え関係が深いものになったとして、それが変わるとも思えない。思い切って言い合えるようであれば別に松田とて危惧など覚えない。
相手を思い遣りすぎて己を押し殺すようになってしまったら。それは徐々に息が詰まるようで、互いに苦しいだけだ。

「っつーか何でそんなこと……、まさか惚れたか?」
「えっ! あ、違うよ! そんなんじゃなくて!」

ニヤッと意地悪く笑いながら顔を覗き込んでくる松田に、諸伏は目を丸くさせながら慌てて両手を振った。しかしそれも長くは続かない。すぐに落ち着きを取り戻したのは思考に掠めた光景のせいだ。脳裏に浮かぶのはつい先ほどまでの怒涛のような時間。

──ちゃんと人間だよ。

そう言われた時の、降谷の顔を、表情を、見開かれた瞳に涙の膜が張っていく様を。

──美味しい? なら、良し!

そう破顔した彼女を前にして、あらん限りに見開かれた降谷の瞳に光が戻っていく様を諸伏は間近に見ていた。眩しいものを見るように細められた親友の双眸。柔らかな、それでいてどこか苦しさを含んだ眼差し。
あの瞬間、決定的に何かが変化したのだと、諸伏は感じていた。当の本人に自覚があるのか無いのかは定かではないが。
あれは彼女からの言葉でなければならなかったのだ。他でもない、ケーキである彼女でなければ届かなかった。
例えば諸伏が降谷がフォークとなっていたことに気付いたとして、言葉をどれ程尽くしたとしてもそれが果たして彼の心に届いたか。──恐らくは届くことはなかっただろう。
同じフォークでも、ケーキでもない、普通の人間(・・・・・)なのだから。
諸伏がそんなことを考えているとは松田が知るはずも無く、小さく肩を竦めて茶化しただけだと告げた。

「まあ冗談だっての。……あんなドタバタでそんなこと考える余裕なんざ無かっただろうしな」
「……うん」

今回の事で降谷がどんな思いを抱いたかなどこの場の誰も知る由もない。
人の心とは当人しか知り得ないものである。いや、当人ですら理解しきれず持て余すこともある、複雑で型に嵌めることのできないものだ。
それを踏まえた上で諸伏は思うことがある。
心も身体も休まるなら、傷つくことが少しでも減らせれば良い。もし降谷の中で、彼女に対して協力者としての感情、知人友人以外の感情が芽生えたとして。その時に苦しむことになるのかもしれないけれども。
僅かに視線を落として諸伏は緩慢に瞬きをした。

「なんていうか、独特な信頼関係を築いてるんだね」
「まァな。……偶に俺も「こいつら付き合ってたか?」って思う時あるしな」
「でも付き合ってないんだよね?」
「おう」
「じゃあ、恋人も居ないなら、ゼロがお邪魔してもしばらく大丈夫……なのかな」
「……一対一じゃなければ、っつーことになるだろうがな」

松田の声がワントーン下がった。
降谷の事を信用していないわけではない。しかし性質を考えると避けては通れない対応なのだ。
そもそもの前提として結加理は中々に警戒心が強い。ケーキとフォークという性質を抜きにしたとしても一対一では会うことなど無いだろう、という結論が松田の脳内にはじき出された。

「うん。それは当然だよ。ああでも、萩原と付き合うか、篠原さんに彼氏が出来るまでだろうけど……」
「いや、百万が一だろうが萩と付き合ったとしても別に放り出したりしねぇだろうよ。そこまであの人は薄情じゃねぇし萩も心狭くねぇ」
「そ、うか。そうだよな……」
「けど、どっちもその可能性はほぼ無ぇだろうな。本当によっぽどのことがない限りは。……そもそもあの人が恋愛する余裕なんざねぇだろ」

そして、おそらく本人たちも気付いていない──いや気付こうとしていない部分を松田は察していた。
互いに負わなくてもいい負い目を感じているのだ。これではどれだけ対等であろうとしてもいずれ無理が生じてくるであろう。残念ながらそれは目に見えて分かってしまった。二人を近くで見てきた松田だから気付いた事である。

(……さっさと腹ァ割って話せ、って言やぁ良かったんだよな……)

事情が事情なだけに、余計な首を突っ込んで拗れやしないかと考えた結果、今に至ってしまった。この点について珍しくも松田は若干反省をしている。違和感を覚えた時点で言ってしまえばよかった、と。
だから、もしも何らかの要因が重なって結加理と萩原の間にぎこちなさが生じたとして、その時に両方の背を叩いてやるのは一度判断を誤った自身の役割だと腹をくくっている。

松田がチラリと横目で諸伏を見れば思慮に耽っているようで、僅かに視線が落ちた目には長い睫毛が影を落としている。
視線を前へ向ければ前を歩く降谷の背は若干強張った空気のまま。
伊達も空気を読んでか沈黙を守ったままだ。

(……マジで、誰がいつフォークになるか、なんて分からねぇんだよな)

結加理と関わる以上、決して他人事だとは思ってはいなかった。
だからこそ松田は懸念していることがある。
──例えば、萩原がフォークとなってしまったとして。絶妙なバランスをもって築き上げられてきたこの関係を果たして維持できるのだろうか。
そして続けて問答する。無理だろうな、と。
どれだけ取り繕うともいつかは破綻するだろうことは火を見るよりも明らかだ。それだけ根深い問題なのだ、当事者にとっては。
発症条件が解明されていない、というのがまた厄介極まりない。対策の立てようも予防のしようもない故に憂虞が尽きないのだ。
そして、ふとした折に松田は切に願う。結加理と萩原どちらのためにもフォークになるなんてことが起こってくれるな、と。

たまらず見上げた夜空には、都会の夜を照らす灯りに負けじと星が瞬いていた。


□


──この日から数年後の話である。
結加理がネット上でプログラミングに強い相手から声を掛けられることになるのだが、そこからとんでもない方向に事態は進んでいく。未だ世間では普及どころか存在の一端すら感じないAI技術を垣間見させられたり、理解が追いつかずポカンと間抜け面を曝したりすることを彼女はまだ知らない。
その相手が声を掛けてきた理由が「ケーキとフォークの遺伝子研究についての見解を求める」といったものだったりするわけなのだが、まあこれはまた別の話だ。
そんな縁から多方面へ繋がりが発展し、最終的に彼を保護するために結加理が渡米することになるなんて事は、現時点では考えもつかない事である。
そして、降谷に続いて諸伏もまたフォークになることを誰が気づけただろうか。
更には殆ど同じタイミングで裏社会の組織に命を狙われた結加理が、配管工兄弟も真っ青なDead or alive逃走劇を繰り広げる事になることを誰が予想しただろう。

ああ本当に、この世界は優しくない。息がしづらい上に物騒極まりない。
それでも彼女は、いや、彼女たちは

優しくないこの世界に、抗ってみたのだ
──抗ったところで、それが実を結ぶとも限らないのだけれども。


2024/1/12/本サイト更新
2024/2/4/DC用サイト更新
すっかりうっかりページを繋げるのを怠ってしまっていました。これでケーキバースの話は一応終了です。

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いずれ散り逝く命としても
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