力になりたいと思うばかりで


大学生になりたての頃の萩原が結加理に抱いた第一印象。
それを一言で表すのならば、手負いの癖に傷を隠そうとしている警戒心の強い猫、とでも言えばいいのだろうか。

己の深いところを見せない印象を強く持たせる人。警戒心の塊と言ってもいい。とはいえ、当たり障りのない対応や態度に不自然なところは全くない。加えて外面や人当たりは良いのだ。
心地よい距離感を作り出すのが上手い、他者との距離感が絶妙な人。彼女はそれにあたる。
優しい性格なのだろう。特に意識せずとも自然とやってのけている。萩原と打ち解けるまでもそう時間はかからなかった。
松田も同様、単純に結加理の事を気に入っているのだ。あの松田が萩原の先輩だからというだけでこうも気に掛けるわけがない。
しかし、付き合いが長くなるほど薄っすらと壁を感じてしまうことが出てくるもので。踏み込ませてもらえない一線、というものを多数抱えている人でもあった。滅多なことでは胸中の底にあるものを明かすことがない。
警戒心を常に持ち続けることもあり、一見すると淡白なように見られることもあるが彼女は中々に情が深い。
まあ、その本領が発揮されるのは親しい相手に限られているようだったが。
……誤解の無いよう明言するが、関係性の浅い、もしくは全くかかわったことのない他者に対して冷たいというわけでは無い。むしろ優しい部類に入る側の人間だ。万人に対して情のばらまきを無償でしているわけではない、ということである。
それについては、萩原だから気付いた事なのかもしれないが。
何せ懐に入れた相手に対してはそれ等がかなり緩和されるのだ。やはり猫のようだとも思う。

萩原と松田が彼女を気に掛ける理由の一つとして一番に上げるのは危うさ。
ふと気づけば消えてしまうのではないか。手を離せば居なくなってしまう。目を離せば見失ってしまう。突然連絡が取れなくなる。誰も行方を知らない。
……そんな状態になっても可笑しくない。一度繋がりを失ってしまえば二度と会えなくなるような予感──いや確信すらある。
ケーキという要素もそれを助長させていた。
いつか萩原たちではどうにも出来ないような大きな事件に巻き込まれるのではないか。標的にされるのではないか。
そんな嫌な想像が消えたことなど一度もない。いつだって付きまとってくる。


■


萩原が結加理と知り合ってしばらく経った頃の話だ。
互いに接しやすさ、話しやすさを感じて見かければ軽く話をするようになっていた。何なら連絡先も交換済み。稀にとはいえメールのやり取りもしていた。
そして松田もまた萩原を通じて結加理との交流が出来てきた時期でもある。

──萩原はストーカー被害にあっていた。
しかも、女性からではなく、同性で結構年の離れているおっさんに。
その男が萩原のストーカーとなったきっかけは、嫌がらせからだったらしい。男が気になっていた女性の近くに居て、更には好印象を抱かれている彼への嫌がらせ。次第になぜか心惹かれていきストーカーと化したのだとか。一言でいうならば人誑しここに極まれりと言った所か。
……などというのは主に対応に当たってくれた警察官から聞いた話である。

本当にそれだけか、何か別に裏があるのではないか。そう考えたのは何も一人や二人では無かった。
ストーカーが萩原と接触した時、結加理が近くに居たことが一件を大事にした要因の一つ。ストーカーの男がフォークである可能性アリとして一時的にフォークと判断されたのだ。
──気付けば萩原は自身がケーキであるか、もしくは周囲のケーキの影響によってフォークに襲われた被害者ということになっていた。
結加理が何もかもテキパキと動き回ったおかげで、萩原が事態を飲み込み把握する間に大抵の物事の処理が済んでいた。
男が男に襲われかけるという事態。動揺し思考が回らなくなっても無理からぬことろう。
結果から言えば、男はケーキもフォークも全く関係のないストーカーだったわけだが。そう正しく判断されるまで大分時間がかかったのだ。フォークは自身がフォークであることを認めようとしないのだから当然だ。
そして同時に萩原がケーキではない、ということの確認も行われた。どちらも時間がかかり結加理、萩原、松田はしばらく落ち着かない時を過ごしたというのは言うまでもないだろう。

四年近くたった今でも、萩原はまだ鮮明に覚えている。
庇われた時に見えた彼女の瞳が、瞳に宿る力強い光が、萩原の中に根強く焼き付いている。そして、萩原がケーキではないと明確に分かったときの彼女の反応も。

『──よかった。萩原くんが、ケーキじゃなくて。これから一生、脅かされるわけじゃ、なくて……よかったっ』

崩れるように椅子に座り込んで、深く深く肺が空になるまで吐き出された息。
安堵が滲む声は掠れ、頼りなく、微かに震えていた。

『……私の所為で、きみに危害が及んだんじゃなくて、本当に、よかった……』

今でこそ萩原は彼女の力になる立場を進んで選び傍に居るが、知り合ったばかりの頃は深く関わることはなかった。この頃もまだその域を出ず、ちょっと仲の良い友人止まりだったのだ。
そんな比較的浅い関係だった萩原の為に動き回り、主に対応に当たってくれた彼女に対してどこか危うさを覚えたのは自然な事だろう。

後日、ストーカーの男についての詳細を聞いた萩原は、呆気にとられた後ゾッと背筋に冷たいものが走った。ざっくりと話を聞いた松田も口ごもったくらいだ。
ストーカーの家には、色々あったらしい。そう、色々。
詳しくは萩原もあまり思い出したくない一件にランクインすることとなった。
閑話休題。
この事件をきっかけに、萩原は結加理との交流をそれまで以上に持つことになった。いや正確には彼女がケーキということを知って自主的に近くに居るようにしたのだ。
当然、恩を返したいという思いもあってのこと。
人を襲うようになる程に極限状態のフォークなど滅多に遭遇しないだろう。そんな考えもこの時は確かに頭の隅にあった。
だから最初は、本当に深く考えずに居たのだ。

──そんな萩原の思いに反して、フォークの襲来は考えていたよりも早く訪れた。
大学からアパートへと変える道すがらに現れたのは細身の男。一目見て異様だと萩原が身構えるほど、ただならぬ様相を呈していた。
色艶の悪い肌。乾燥して割れた唇。浅い呼吸。ぎょろりと見開かれた血走った目。
焦点が合っていないようでいて視線はある一点──結加理に向けられていて逸らされることはない。異様だった。奇妙なほど爛々と光る眼光は鋭く、萩原の背筋に悪寒を走らせるには十分すぎた。

「先輩走って!」

そう叫んだのは最早反射だった。
ビクリと肩を震わせた結加理が駆けだすが早いか、細身の男が突進するように突っ込んでくるが早いか。とにもかくにも萩原はその間に体を滑り込ませることに成功した。
しかし、フォークと思しき男の動きを封じ込めていられた状態はそう長くは保たなかった。一体その不健康そうな細身の体のどこから力が湧き出て来るのか、男は行動を制する萩原の腕を振り払ったのだ。
ヒヤリと嫌な汗を背中に感じたのは一度や二度ではない。萩原はそれこそ全身で男を取り押さえた。そして、手こずりはしたものの隙を見て自身のベルトで拘束することに成功したのだった。
上がった息を整えながら、萩原は吐き出す息が若干震えていることを自覚する。
平均よりも長身で体格もしっかりしている萩原は滅多なことで押し負けることはない。本格的に鍛えているプロのアスリートや格闘家ならばまた違うだろうが。だというのに、栄養不足で筋力も少なさそうな細身の男を完全に押さえきることが出来なかったのだ。
それほどまでに、理性を失いリミッターの外れた人間というのは時に凄まじい力を発揮する。

反射的に駆けだしたはいいものの、萩原がフォークと対峙していることに気付いて血の気が引いた結加理からの通報。そして尋常ではないもつれ合いに事件性を感じた通行人からの通報。
この二つによって駆け付けた警察官達にフォークの男を引き渡すまで、拘束を振りほどきたい男と萩原との攻防が繰り広げられていたというのは言うまでもないだろう。
何が何でも萩原はその場で男を身動きが取れない状態にしておきたかった。そうでなければ安心できなかったのだ。
言い知れぬ危機感、得体の知れなさ、身近に迫る脅威。どれにおいても焦燥感を煽られ急き立てられる。

(先輩は、常に、こんなのに追われるかもしれねぇって状況に置かれてるわけかよ……)

警察官に男の身柄を引き渡した萩原は、立ち上がりながらどことなく体に力が入らないでいた。
緊張がほどけた所為でもあるが、それよりもショックが大きかった所為だ。ふらりと上半身が揺れる。地面を踏む足の感覚が鈍い。
ケーキとフォークの関係性や危険性について分かったつもりでいた。しかし本当の意味で分かっていなかったのだと身をもって知った。一般的に周知されている事柄の認識だけでは甘すぎるのだ、と。
護衛気取りか。SPごっこか。などという揶揄い交じりの言葉を投げかけてくる学生も居ないわけでは無かったが、その全てをスルーして萩原は結加理と共に居た。その判断を下した自身をこの時ほど褒め称えたいと思ったことはない。

(──あ、待った、今先輩どこに居る!?)

こんな非常事態だ。不用意に動き回らず安全な場所に居るだろうとは思ったのだが安心できずにいた。
萩原の意志とは言え、結加理としては後輩を置き去りにしたも同然な状態なのだ。気が気では無いだろう。そう思い至り周囲を見渡せば、そう遠くない場所に彼女の姿を確認できた。
フォークの男が簡単に辿り着け無さそうで、それでいて萩原たちの様子を見ることが出来る距離。結加理(ケーキ)の保護のために動いたのであろう制服姿の警察官もその隣に立っているのが萩原の視界にしかと映る。

「先輩、警察の人たちにバトンタッチしたし、もう大丈夫だぜ!」

緊迫した状況の中で強張っていた頬を無理やり動かし、通常通りの笑みを意識してニカッと結加理に笑いかけた。無事を確認できたときに多少なりとも緩んでいた為、すんなりと表情は動く。
萩原としては安心させたいがための言葉だったのだ。迫り来ていた脅威は確実に手錠をはめられパトカーに移動させられている。これで少しは安心してくれるだろう、と。
──しかし予想は大きく外れ、顔面蒼白で彼女は力なくへたり込んだ。
その反応に萩原は顔色を変えて駆け寄る。血の気が下がっている所為で一瞬くらりと視界がぶれたような気がしたが、こんな状況下においては取るに足らない。

「ッ、先輩!?」
「は、はぎ、はぎわ、ら、く……」

余程恐ろしかったのか、名前を呼ぶ声が震えている。発音もどこかたどたどしい。駆け寄った萩原を見上げる瞳がゆらゆらと揺れていた。
そんな、いつにない程に弱弱しい姿を前に、萩原は咄嗟に言葉が出てこなかった。
安心させようと口を開くも上手く言葉が選べなかったのだ。いつもなら、するすると口が回るというのに。だから言葉では無く手が動いた。すっぽりと萩原の手に収まってしまう彼女の手をそっと上から包み込む。

「……もう、アイツ居ないから。警察の人たちも来てくれたからさ」
「ぁ、ごめ、違っ、……萩原くん、怪我、無い? ごめん、ごめ、まきこんでッ……」

未だ途切れがちではあるもののたどたどしさは若干消えていた。しかし続けられた言葉に、今度こそ萩原は絶句する。
──恐怖を覚えていたのはケーキという存在そのものでは無かった。自身の所為で他者に危害が及ぶことを恐れていたのだ。そのことに気付いてしまったからである。
いや、正確には身をもって思い知らされたというべきか。

「怪我なんてしてないよ」
「うそ」

悲痛な顔で萩原を見上げる結加理は、限界を迎えて人を襲うようになったフォークがどのような状態なのかを正確に把握しているようだった。だからこそ嘘なのだと断言できた。
確証をもって嘘だと断じている。そのことを察した萩原は困ったように眉を下げた。
他者が傷つくことに怯えていたからこそ気付かせたくはなかったというのに、ままならないものである。

「……まあ、ちょっと擦りむいた程度だし、怪我の内に入らねーって」

肩を竦めながらそう返した萩原の言葉には若干嘘が入っている。暴れるフォークを取り押さえている最中、相手の両手足は滅茶苦茶に動かされていたのだ。
服の下ではもしかしたら青あざが出来ているかもしれないな、と萩原は頭の隅で考えた。まあ、嘘も方便というやつである。

「大丈夫ですか、立てますか?」
「え、あ……はい」

婦警に改めて安否を確認されながら結加理が立ち上がろうとするも、上手く力が入らないようでふらついてしまう。それを支えながら萩原は微かに目を細めた。

(顔色、戻んねぇな)

こうして動揺を露に萩原の身を案じる結加理を目の当たりにして、ハッと思い起こされたのは萩原のストーカーについての一件。
あの時、彼女は気丈に振る舞い手早く対処していた。萩原が混乱していたこともあってその様子をつぶさに見ることが出来ていたわけでは無いが、そう記憶している。
──彼女は、あの時どんな思いで立ち回っていたのだろうか。
男が男を襲う。この事態でまず考えられるのは、フォークによるケーキへの食人衝動を抑えられなかった、ということ。
フォークかもしれないと判断できる相手を前に、萩原と共に逃げ切った彼女の手は震えていた。もしかすると手だけでは無く体も震えていたのかもしれない。
それに対し、当時の萩原は自身の事で頭の大方が占められてしまってフォローも何もできなかったのだ。後になって思えば、どれほど気を強く持ち続けようとしていたのだろうか。
被害者の萩原が不安にならない様にと気を配り。成人男性を前に毅然と立ち続け。自身の影響で知り合いが襲われた、もしくはケーキだと嗅ぎつけられたのではないかと自責の念に駆られ。そして、自身の影響では無かったことに安堵して。
相当な精神的な負荷が掛かっていたことだろう。
……そんな出来事からそう時を置かずして今回の襲撃。
今この瞬間、結加理が内心で自身を猛烈に責め続けていることなど想像に難くない。
彼女がケーキだと知ったとしても離れず、何ならお礼も兼ねて一時的に大学とマンション間の送迎を買って出た。それは他ならぬ萩原自身の意志と判断。誰に何を言われたわけでも無い。
しかし彼女はそうは思わないだろう。提案など受け入れずに断るべきだったのだ、身を危険に晒す可能性があったのだから、と。

(……ああ、ダメだ)

萩原は漠然とそう感じた。背筋を這うゾワゾワとした悪寒が消えない。

(この人を一人にしちゃ、いけねぇ……)

どれだけ仲が深まろうと自身の深い部分を見せようとしない、一線を決して超えさせない頑なさ。警戒心を解かずに──いや、解けずにいる。その原因となる物事の一端を垣間見た気がしたのだ。
共通の知り合いを通じて出会った時から萩原は結加理の事を好ましく思っている。
彼女の人柄、物事の考え方、醸し出す空気、絶妙な距離感。彼女から何気なく当たり前のように与えられる優しさが心地よかった。
優しい彼女だからこそ、こんな状況下でも萩原の身を案じることのできる彼女だからこそ、距離を置こうと行動し始めるだろう事など想像は容易だった。さりげなく、だが着実に完遂してしまうだろう事も。
そしてきっと、一人でも取れる手段を駆使して対処し、立ち回り、生きていくのだろう。
もしかしたら怪我を負うかもしれない。命の危機に曝されるかもしれない。人間としての尊厳すら脅かされるかもしれない。──萩原の知らない所で。
そんな未来があるなんてことなど考えたくも無かった。

この一件からだ。萩原が義務感からでは無く自分の意志で結加理と共に時間を過ごすように行動し始めたのは。
当の結加理はというと、当然ながら最初は難色を示した。
詳細は違えども立て続けに他者から襲われたのだ。当事者の一人とも言える萩原のみならず、他者との距離を徐々に置きはじめることを考えてもおかしくない。いやむしろ自然な流れと言えよう。
しかし萩原は引かなかった。
予定のない時はなるべく一緒に居ようと動いていた。何なら松田も巻き込んで隙あらば結加理の傍をウロチョロしはじめた。
繰り返せば人は慣れるというもの。まずは物理的な面で、傍に萩原が居ることが当たり前になるように、と。
──その様子を前に松田の脳裏には、委縮してしまった猫の警戒心を解こうとしているような錯覚がチラついたのだが、それは内心に秘めている。まあ賢明な判断である。


萩原も松田も決して結加理を急かしはしなかった。
いつだって手を伸ばせる距離に居る。助けを求められる距離に居る。萩原も松田も結加理が考えているほど柔じゃない。頼ってもいい相手がいるのだと言外に滲ませて。親しい者の危機を見て見ぬふりをするような情けない人間にさせてくれるなと訴えかけて。
彼女の根底にある凍り付いた何かを溶かすように、緩やかに意識改革を進めていった。

その結果、今に至るという訳である。


■

過去に思いをはせながら何と無しに夜空を見上げ、萩原は消して小さくない溜息を吐いた。
その視界の隅で制服姿の警察官が路地にこっそりと佇むフォークの女性に声を掛けた。その様子を確認して歩き出す。
萩原の通報からそう時間は経っていない。これは結加理が優遇されている、などと言うわけでは無かった。諸事情によりパトロール回数が通常よりも多めに設定されている区域だからという裏事情があるのだが、まあ今は関係のない話である。

(改めて考えると、濃い大学生活だったよな)

萩原から見て結加理は強い人だった。精神的にも肉体的にも。そして同時に危うさを感じさせて目が離せないと思わせる人でもあった。
大学時代に知り合った、先輩と後輩という仲。家族でも無ければ恋人でもない。物理的にも精神的にも踏み入れる領域は限られている。
だからと言って無理にこの関係性を変えるつもりはなかった。いや、変えることが出来ないでいる、の間違いかもしれない。
話の節々から結加理が恋人を作る気がないのは察している。近づいてくるのが純粋に彼女に惹かれてくる者ばかりではないのだ。──高校時代に初めて交際した相手がケーキ目的のフォークだった、なんてことが尾を引いている所為でもある。
それは共に多くの時間を過ごすことになった萩原も重々実感していることだ。
結加理と仲を深めれば深めるほど感じる、フォークやそれを取り巻く存在。何度牽制してきたことか。時に松田を巻き込んで対策を考えたのは一度や二度ではない。

そんな彼女を過去に何度か、この腕に抱き留めたことがある。色めいた抱擁などではなく結加理の身を守るために。
体格の差をまざまざと感じて肩に力が入ったのは一度や二度ではない。そして、萩原の腕の中にすっぽりと収まってしまう細いその体躯が震えていたことに、どうしようもない感情を抱いたのもまた一度や二度ではない。
何時だって気丈に立ち続け、弱った姿を見せることなど殆どない結加理が怯えていた。その事実が萩原にとって衝撃的だったのだ。
だから、萩原は知っている。
結加理がフォークと対峙するとき、その手も体も震えていることを。そして、フォークであるなしに関わらず男性自体を苦手となりつつあることを。
気付いている。気づかないわけがない。
おそらく降谷の胸ぐらを掴んだ時の震えは、例に漏れず原因はこの二つも含まれているのだろうな、と萩原は思っていた。本人に確認することはない以上、結局ただの憶測でしかないのだが。
そのこともあって萩原は自分から結加理に触れることは殆どない。彼女の抱いている恐怖を察しているからだ。
そして、誰に対してのものであったとしても、男としての己が抱く欲も感情も徹底して見せないようにしている。
もしかすると、それすら結加理は察しているのかもしれないが。
彼女は決して鈍くないのだ。まあ、だからと言って萩原は己の行動や考えを変えるつもりはないのだけれども。本人から何も言われなければ、という言葉がつくが。
異性の中では誰よりも結加理から心を許され、信頼されている。萩原はその自負がある。ちなみに松田はその次点だ。

(予定外だったけど、松田だけじゃなくてコイツ等も先輩に会わせられたのは良かったっちゃぁ良かった。……だけどなぁ……)

つい先ほどまでの様々な出来事が脳裏に駆け巡った萩原は何とも言えない表情を浮かべ、口を僅かに引き絞る。
こんな形になってしまったが、確かにいつかは紹介しようと考えてはいたのだ。萩原が動くに動けず、更には松田までもが動けない時、結加理の力になれるような存在が少しでも増えればいいと思って。

(まあ、あの降谷だし心配はあんまして無ぇけど、手放しでは喜べないっつーのは結構キツイな)

その結果がこうなるとは、まさか露ほどにも思っていなかったのだ。無意識の内にため息が落ちる。

(先輩、割とギリギリまで他人を頼んねぇからなぁ……)

結加理が鍛えているのは知っているが、どう足掻いても性差による力の差は覆せない。それでも限りなく己の力で抗い続けようとしている人だった。出来る範囲で、という言葉は付くが。
しかしどれだけ筋力をつけようと鍛えようと、筋肉がつきにくい体質なのか見た目がさほど変わらない。手首の細さも以前から全く変化がない。そう嘆いていたことを萩原は松田と共に愚痴られたことがあるのだ。
単純に細いのだ。力を込めれば折れてしまいそうだ、と躊躇うくらいに。萩原や松田の片手で彼女の両手首を一纏めに拘束出来てしまうかもしれない。
──その細腕で、懸命に戦い、生きているのだ。文字通り命がけで。
途方もない状況に置かれていたのだろう、と過去については想像するしかない。彼女はそれを、苦労を自ら見せることがないのだ。
たった一人で立ち続けるともなると、時折足もとが崩れるように錯覚に襲われることもある。彼女のような危うい立場に置かれているならば尚の事だろう。
だから萩原は、可能な限り彼女の力になりたい、味方であり続けたい。そう思い続けている。
絶対的な味方の有無。これは心の持ち様に大きく影響を及ぼす。自身の味方が居る。何よりも信頼できる相手が居る。それだけで強く在れることが度々あるのだ。
その存在に、萩原はなりたかった。


──だからこそ、萩原には恐れていることがある。

(絶対に、俺がフォークになるわけにはいかねぇ)

フォークの発症条件は解明されていない。
己がフォークになってしまう可能性が消えずにいることを。結加理の隣に対等な立場として立てなくなることを。自身が傷つけてしまう側になってしまうことを。積み上げてきた関係の形が崩れてしまうことを。萩原は何よりも恐れている。

2024/1/7/
完結させるまでに年を跨いでしまった。無念すぎる。
次の話が最後です。書き始めた頃は4話くらいで終わらせたいとか言ってたのにね。

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