01.世は無常


この世に、呪いなんてものが本当に存在していて、尚且つそれが己の身に降りかかるなどと考えもしなかった。
──彼女の今までを表すならば、この一言に尽きる。

陽の気が満ちる日中には、陽光の眩しさに目を細め。陰の気が満ちる夜中には、闇に姿を溶かす。
特異な体質となって早二十余年。やけに敏感になった五感に振り回される日々。
今日も今日とて──

「ひっ……くしゅん」
「……あ、先輩ごめん!」
「……煙草を吸うな、とは、言わないけど……っくしゅ、ん、会うときは、やっぱり控えてもらえると、助かるぅ」
「うん、本当にごめん!」

煙草の残り香にさえくしゃみを誘発される事態に悩まされている。
もともと煙草自体を厭っているのは前世からではあるが、今はそれに加え成分や煙が駄目なのだ。
喫煙者である一つ下の後輩は、この体質ともいえる症状をよく理解していた。そのため共に行動するときは煙草を一切吸わない。残り香にすら鼻が反応してしまうことを知った時からは事前に一服などもして来なくなった。だが、いくら気を付けていようと喫煙が日常となっている者から煙草の煙や成分を完全に断てるわけがない。
うーんやっぱり生きづらい。そんなことをぼんやりと考えながら、彼女はもう一度くしゃみをしたのだった。


●


彼女──篠原結加理は所謂本家筋の人間である。
それも困ったことに他に兄弟は居ない。結加理が男児であればまた違ったのだろうが、古くから代々続く家柄を考えれば跡継ぎについては避けて通れない課題。将来は婿養子を取ることになるのだろう。本家筋の人間は皆そう考えていた。
しかし、そうもいかない事態に見舞われることとなったのだ。

篠原家に纏わりついている、先祖代々受け継がざるを得なかった呪い。時代は定かではないが奮闘虚しくも解呪出来ず。代を経て消滅を待つしか手立てがなかった類のソレ。
世代を重ねるごとに薄まっていくはずだったというのに、なぜか彼女の代で威力が増した。
いや戻った(・・・)と言うべきか。
直系の長子に現れるという呪い。結加理の前の代──つまり父親の代では「背中に黒い動物の形をした痣が現れ、五感が非常に鋭くなる」というもの。深く考えると感覚が野性的になっていた、ということなのだろう。普通の人間として擬態するのは可能な範囲だった。
しかし結加理に現れた現象は全く異なっていたのだ。
一定の条件が満たされた場合、または本人の意思や意識で黒い獣の姿に変化する。毛先が空に溶けるかのように揺らめいていて、体毛はまるで影が実体化したかのようなモノである。
しかし人の言葉は失われない。変化時の痛みは無く体が溶けるような感覚。治癒能力が高いのか、怪我を負っても比較的直ぐに治る。
──これが、彼女に現れた呪いのおおよそ。
若干八歳にして呪いを受け継いだ彼女は、その瞬間から普通の人間ではなくなった。人の姿とは別に、獣の姿を持つ。それも、明らかに通常の動物とは全く異なる不可思議な現象を伴ったモノに。

篠原結加理の母親に当たる人物は、それを受け入れられなかった。そもそも呪いの事なぞ知らなかったのだ。呪いについては本家筋の人間の中でも限られた者にしか共有されていない。篠原家に嫁入りした、つまりは外部の人間に伝えられているわけがなかった。
突如として人の姿から黒い獣の姿に変化した娘を見た母親は何を思ったのか。それは他者が推し量れるものではない。

まあ出来事と結果だけを言うならば、その母親に当たる人物の手によって結加理は一時的に山へ捨てられた。
普通の人間の感性を基準に考えてしまえば仕方あるまい。化け物であるのは事実だ。普通の人間は人の姿と獣の姿に変化したりなどしない。
結加理の行方不明を知った祖父母が大慌てで捜索、発見した時には彼女は山のふもとに黒い獣の姿で蹲っていた。この一件をきっかけに三度目の緊急家族会議が開かれたのは言うまでもないだろう。
因みに一度目は結加理に呪いが現れた時、二度目はその数日後。全て今後についてだった。
その緊急会議でも母親は話の肝心な部分に差し掛かった時には離席を促されている。現実離れした現象、篠原家という括りに入りきれない疎外感。娘に呪いが発現してから数週間で母親は精神を病んだ。行方をくらまし、数年後には遺体で発見されたと警察より電話を受けることとなるのだが、それはまた別の話だ。
閑話休題。

当時の結加理はまだ八歳。母親の感情も自身の事も、全てを理解できたわけがない。
それも、訳の分からない現象に見舞われ、自身の体の変化にも全く理解できず、その上信頼していた母親に見知らぬ場所に放置された。これがどれ程の衝撃と精神的負荷をもたらしたか。
──その結果が現在である。

(……走馬灯かと思ったら、前世? 的な記憶だったとか冗談きつい)

こうして、思わぬ副産物を発生させて事態は収束した。
快活で行動的だった性格は一転し、物静かで慎重派へ。周囲はそれを降りかかった凶事による変化だと認識した……のだが、実際は副産物により精神年齢が跳ね上がった結果である。さもありなん。

うろん、と時折不自然に視線を泳がせる結加理は現在東都に住んでいる。
人を隠すには人の中。
秘密を抱える者にとって田舎特有の人間関係は鬼門だ。親戚や地域などの繋がりが非常に強い。知りたがりに喋りたがりが多く存在しているのだ。避けるに越したことはない。いくら気を張ろうと隠すには限界がある。
地元になぞ住めるわけがない。都会の方が田舎より圧倒的にマシなのだ。

篠原家に代々纏わりついている呪い。それが結加理に発現してから早くも二十年余りが年月が経とうとしている。
あまりにも好き勝手していた所為か、身体には呪いが馴染みすぎていた。体が軽いから、と散歩と称して獣の姿で夜の街を歩き回っていたのだ。自業自得である。
昼をしのぎ、夜を駆け、時に鋭い五感をフル活用し、彼女はこの東都を生き延びている。


2022/9/24/
まさか本編の話より先に番外編の一話分が書きあがるとは思っていなかった。本末転倒。でもぶっちゃけこの設定気に入っていたりする。

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