昼には陽の気が、夜は陰の気が満ちている。
すなわち夜は魑魅魍魎、妖、霊など、陰の気を好むモノ達のゴールデンタイム。結加理の夜遊びが盛んになるのは自然なことだった。──誤解の無いよう注釈を入れるが、夜遊びとは言ってもただの散歩である。
人間の姿のまま暗がりで他者と関わるのは非常にリスクを伴う。特に、夜は。気を抜けば獣の姿をさらしてしまう可能性があるのだ。だが最初から黒い獣の姿ならばそれは回避できる。更に言うなら闇に溶けることが出来るため姿を見られる危険はグッと減る。故に結加理は獣の姿で夜の街を闊歩していた。
結加理が変化する獣の姿は、何故か大きく分けて二種類ある。
一つ、目にハイライトがない鳥。
鋭そうな嘴に太い足や鋭い蹴爪など、どちらかと言えば特徴は猛禽類に近い。梟や隼に似ているように思える。
もう一つ、長い耳がぺたりと垂れている、骨格が人間に若干近い四足歩行の動物。犬や狐に似てはいるが似ても似つかない。
大きさは、というと。鳥の時であれば人間時の座高程度の体長に翼が身長と同等、四つ足の動物の時であれば人間時とほぼ変わらない。年齢を重ねるごとに、つまり結加理本人の成長と共に育っていた。
特異な姿形、大きさ……よく考えなくとも
未確認生物である。間違っても存在を気取られてはいけない。
しかしそれを抜きにしても毛並みは良いと自負していた。その毛並みを堪能できるのは現時点で誰も居ないのだが。
夜は獣の姿でいた方が楽で、どうしても楽な方へと流れてしまう。なにせ体が軽いのだ。人間の姿を保とうとすると全身に重圧が掛かるかのように重怠いというのに。
結加理に「呪い」が発現してから早くも二十年近くが経っている。その年月の中で徐々にそれすらも自分のスキルとして物にしてきたのも多々あった。
例えば影。
──体が闇に溶けるとは比喩ではない。地面に落ちる影に、広がる夜闇に、その体を溶かし隠遁することが可能。もはや自身そのものが影のような状態になるのだ。
例えば空中。
──鳥の姿ならばいざ知らず、四つ足の動物の姿であれ宙を駆けることが出来る。原理は全く分からない。出来心で虚空に足を踏み出した折、足先に力を入れたところ何故か宙を歩けた。
例えば治癒。
──獣の姿の時に、怪我と言う怪我をしない。体が影や闇に溶ける性質の所為か、それとも回復力が底上げされているのか。詳しい事は定かではない。
他にも多々あるが、異質な能力として習得したのはこれらが主だったものである。
困ったことにこの
呪いは結加理の体に酷く馴染みすぎていた。
彼女個人的には、この特異な現象を呪いと言うよりは妖怪の方が近いのではないか、と考えている。だが、一族の誰も呪いの詳細などほとんど知らない上に記録も残っていない為、真相を知る術はどこにも存在しない。
完全な夜型の人間になってしまっている上、夜中は変化してしまう可能性がある。そのため就職は困難を極めた。
何しろ昼間──陽が出ている間に活動するとどうしても体調が優れない。しかその謎の体調不良は年々悪化している。結果、日中の外出は必要最低限とし、主な活動時間は夜とする。在宅で可能な仕事を見つける他なかった。
それでもどうしようもなく外の風を浴びたい時には、ふらりと夜闇に姿を溶け込ませては駆けるのだ。
●
──某月某日、とある廃屋の一角にて結加理は見知った顔を発見した。獣の姿のまま器用に目を瞬かせる。
喉が震え、口から無意識のうちに音がこぼれ落ちた。
「……ケケケ」
次いでげんなりと肩を落とす。結加理は、この鳴き声を心の底から嫌っていた。可愛くない上に格好良くも無い。獣の姿についてはもう諦めている。だからせめて不気味な嗤い声とも聞こえる鳴き声を普通の動物寄りにしたかった。
……そう、過去形である。どれ程意識しようとも不気味な鳴き声だけは治らなかった。人語は失わないというのに。まあ尤も、獣の姿でいる間は他者に言葉を投げかけることなどありはしないのだが。
向けることが出来るのは言葉ではなく鳴き声、もしくは鼻や喉を震わせるだけの音。そして
鳴き声。
だからこそ、目の前の知り合い──大学時代の後輩の友人──に恐れ慄かれる羽目になった、という訳だ。
「……ケケッ」
「え、なん、こわ……」
不気味な声に肩をすくませた彼は、知り合った当時とは違い顎髭が生えている。だが、たったそれだけで結加理が知り合いを認識できなくなるわけがない。何せ並外れた嗅覚を持ち合わせてしまっているのだ。更に言うならば、今は獣の姿であるためその鋭さは増していた。
大学時代の後輩である萩原の友人、諸伏景光。萩原からのつながりで少なからず交流があった一人だ。
普段キリッとしている形の良い目はまん丸に見開かれている。
項垂れやけに気落ちしている……というよりも憔悴しているように見えた為、結加理は彼の前に姿を現した。夜闇に紛れる四つ足の獣の姿で。
結加理は彼が犬や猫に対して悪い感情を持って居ないことを知っていた。何ならみーみー鳴く子猫や利口なゴールデンレトリバーなどに頬を緩めていたことも知っている。
だから、酷い顔色で思いつめたように唇を引き締めた知り合いが、この手触りの良い毛並みで癒されれば多少は持ち直すのではないかと思ったのだ。まあ割と短絡的な考えではあるが。
身体を撫でまわされるのは遠慮したいところだが、頭くらいならば触れさせても構わない。要はセクハラや逆セクハラにならなければ良い。
この発想、実は全く悪くない。むしろ最良だったかもしれない。
しかし一定の距離を保ったまま諸伏は動こうとしなかった。焦れた結加理が一歩進むと彼は一歩後退る。じりじりと一進一退の攻防。一体自分は何をやっているんだろう、と結加理が一瞬虚無を背負ったのは致し方がない事だろう。
(……やっぱり鳴き声か。鳴き声がいけないのか。まあ、だよなぁ……)
当たらずも遠からず。──似非アニマルセラピーがすんなりと開始されなかった原因、基ただ一つの誤算。
残念なことに、彼はホラーが苦手だった。
犬と言うには大きい謎の生き物。聞きなれない鳴き声。それが夜闇に紛れて現れ、ジッと己を見つめている。それをどう思うのか。
……まあ、つまりはそういうことである。さもありなん。
2022/9/3/24/
夜中、真っ暗な中から黒い大きな動物がヌッと出て来るとか普通に考えて怖い。
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