ふとした瞬間に感じる幸福

(※同棲している時間軸の話)

同棲開始から数か月後の事である。
アパートへと帰る道すがら、高明は大規模小売店に寄るため、いつもとは違うルートで車を走らせていた。
冷蔵庫の中身が大分寂しくなってきた。そう高明が感じたのは昨晩の事。高明と紗弥、どちらも仕事が落ち着かず、買い出しどころではなくなっていたことが一因だろう。
すっからかんになる前に、常日頃から車を乗り回している高明が帰りがてらに寄るのが現在においての最適解。そう判断したのだ。朝の時点で既に後部座席には保温機能付きの買い物袋を置いていた。抜かりはない。

(野菜類と肉類は値段を見てから決めるとして……牛乳と豆乳、どちらも底をついていた。豆腐も昨日で無くなった。確か料理酒と味噌も残りが少なかったはず)

そこまで考えて高明は深く息を吐いた。
今しがた頭の中で並べた物を一度に運ぶとなるとそれなりの質量と重量になる。徒歩で出歩く彼女には任せたくなかった。あの細い肩にそんな重量がかかると考えるだけでも眉間にしわが寄る。
基本的に食料品の買い出しは紗弥が仕事帰りに済ませることが多い。通勤ルートの途中に全国展開している大規模小売店があるのだ。
ついでと言わんばかりに立ち寄って買い出しを済ませてくるものだから、実のところ高明の出番はあまりなかった。

それに対し異を唱えたのは同棲を始めて一か月と経たない頃。食料品の買い物を紗弥の仕事にしないでくれ、と率直に告げたのだ。一週間に一度、互いの都合が合う日にまとめて購入すればいいのだ、と。
高明が紗弥へと同棲の話を持ち掛けたのは、決して、都合の良い存在を求めていたわけでは無い。身の回りの世話をしてもらうつもりなど全く無かった。
何なら車を所有している己こそ積極的に買い出しに出る心積もりで居たというのに。出る幕無しでは立つ瀬がない。
高明の主張に、けれども紗弥は素直に頷かずに首を横に振った。

『別に負担ではないですよ? 帰りに寄るだけですし、そんなに大量には買いませんし。それに自分の持てる量くらい把握してます』
『食料品の買い物は何かと嵩張りますし重さもあります。車を所持している私が動いた方が良いと申し上げているんです』

限りなく合理的であり正論である。
だがやはり紗弥は頷かない。

『うーん、でも高明さん忙しいでしょう』
『忙しさなど、私が動かない理由になりません』
『まあ、確かに高明さんと一緒に買い物が出来たなら良いな、と思ったことはありますけどね? 何が食べたいか、とか話しながら買い物するのは楽しいですから』
『でしたら……』

そう思ってくれているならば、と高明は更に苦言を募ろうとする。それを容赦なく遮って、紗弥は小さく首を傾げた。

『スーパーに寄って買い物をして帰ってくる時間があるなら、その分早く帰ってきてほしいと思うのは我儘ですか?』
『……その聞き方は狡いですよ、紗弥さん』

早くも高明は白旗を上げた。僅かに肩が落ちる。
そんな健気な言葉を聞いてしまっては強く出られないではないか。

『ふふ。それに、私も無理をするつもりは無いですよ。お米とか液体類とかの重さがある時はちゃんと頼ってますし』
『それ以外の時であっても声を掛けて貰いたいのですよ。そうでなければ、本当に、私の立つ瀬がありません』

精米、牛乳、醤油、料理酒、その他液体類。それなりの重量がある物を購入するときは高明に声が掛かる。
だが、それだけだ。
残念ながら共に出掛けることの方が少ない。もっと頼ってほしいという気持ちを汲んでもらいたい所ではあるが、彼女の気持ちを尊重したいという思いもある。
結局は高明が折れて紗弥の好きなように行動させているのが現状だった。

(やはり買い物については話し合いの必要性がありそうですね。……どう言い包めたものか)

そんなことを考えながらも大規模小売店へと足を進める。
買うべき物を見極めていく思考とは別に、愛しい人の負担を減らすべく説得の言葉を考えるのだった。


■


駐車場から見えるアパートの自室には明かりが灯っていた。車内からそれを見止めた高明は微かに目元を和らげる。どうやら紗弥の方が先に帰宅していたようだった。
中々に重量のある買い物袋を肩にかけて高明は歩を進める。その足取りはどこか軽い。

「ただいま帰りました」

鍵を開けて中に入ると、奥に居るはずの紗弥へと声を掛けながら靴を脱ぐ。買い物袋は割れ物も入っているため早々に床へと置いていた。
パタパタと近づいてくる軽い足音が、どこか弾んでいるように聞こえたのは恐らく気のせいでは無いだろう。

「おかえりなさい、高明さん。……あら?」

床に置かれた買い物袋に気付いたのか、紗弥は目を見開く。

「お買い物、してきてくれたんですか……」
「ええ。そろそろ冷蔵庫が寂しくなってきたと思いまして」
「……うん、そうですよね。ありがとうございます」

へにょりと眉を下げ、紗弥は曖昧な表情で微笑んだ。考えていたような反応ではない。
ほんの少しだけ片眉を動かした高明は、脳裏でその理由を推察する。

(可能性として高いのは、私に買い物をさせようとは思っていなかったから、もしくは紗弥も買い物をしてきてしまった、という所だろうか。冷蔵庫の中身を見て私が考えたことを彼女も考えないわけがない。……後者だった場合は連絡を入れた方が賢明でしたか)

良かれと思っての行動だったが、もしかすると裏目に出た可能性も否めない。後者だった場合は次回に活かすとしよう。頭の隅でそう呟き、買い物袋へと手を伸ばした紗弥を制する。次いでサッと持ち上げ遠ざけた。
男の高明でも中々に重量があると感じるのだ。彼女の細腕に任せようという考えは一片も無かった。

「要冷蔵の物もありますので、入れてから着替えてきますね」
「えっ、私が入れておきますよ」
「では一緒に。その方が早く済みます」

冷蔵庫の前に降ろされた買い物袋の傍へとしゃがみ込んだところで、紗弥の表情が驚きに染まった。そしてじわりじわりと変化していく。笑うのを必死に堪えているような何とも締まりのない顔。
その理由が思い当たらず高明は首を傾げる。

「何か気になるものでもありましたか? 珍妙なものを買った覚えはないのですが」
「ン、ふふ、いえ、ちょっとびっくりして……」
「ほぉ」

遂に言葉の合間に笑い声が混じる。そんな様子に目を瞬かせ、高明は純粋に胸を撫で下ろした。先程から意気消沈とまではいかないが視線が僅かに下がり気味だったことが気に掛かっていたのである。
反応から推察するに悪い事ではなさそうだ。しかし何故こうも彼女が楽し気にころころと笑っているのか。その理由が見当もつかなかった。
若干不思議そうな視線を向ける高明に気付いた紗弥はおもむろに立ち上がると冷蔵庫に手を掛けた。

「ふふ、見てください高明さん。ほら」

そう促されて冷蔵庫を覗き込んだ高明は目をまん丸に見開いた。

「これは……」

ぱちくりと目を瞬かせた高明に、クスクスと紗弥は小さく笑みをこぼす。そこには高明が購入してきた物と殆ど同じ物が収まっていたのだ。それも、メーカーまで同じ物が。

「ね? びっくりですよね。ふふふっ」
「は、ははっ。ええ、これは本当に……」

流石の高明も込み上げてくる笑いを堪えることが出来なかった。まさかこうも購入してきた物が被るとは。
予想していなかった事だけに、余計じわじわと言い表せない感情が湧き上がってくる。
違うのは冷蔵庫に高明が好んで食べているチーズが増えている事、買い物袋の中にはコーヒーゼリーやチョコレートが入っている事くらいである。なんというシンクロ度合い。

「紗弥さんはこのチーズをあまり好んで食べないでしょうに」
「ふふ、高明さんがいつも食べてるのを見てたのでね、買ってきちゃいました」
「よく憶えてらっしゃいましたね。ありがとうございます」
「というか、高明さんこそコーヒーゼリーもチョコレートも自分からは買わないでしょう」
「私が買ってきたのも、紗弥さんと同じ理由ですよ」
「わ、嬉しい。ありがとうございます」

高明だけが購入してきた物、紗弥だけが購入してきた物、それはどちらも当人が食べるために買ってきたわけではない。互いに相手の事を思い浮かべてカゴに入れたのだ。そう一目見てわかるくらいには、二人とも互いの味覚や嗜好を把握していた。
どちらともなく再度笑い声が零れ落ちる。それが、どこかくすぐったくて仕方がない。

「最近忙しかったですからね、いつも頑張ってるからこれくらいのご褒美はあってもいいでしょう?」
「そうですね、私もそう思いますよ」

軽い調子で言葉を交わしながら、紗弥は精肉の発泡トレーを片手に立ち上がった。高明もまた牛乳を手に取り冷蔵庫へと入れていく。
共に過ごしていく時間を重ねる中で時折こうした事が起こる。ふとした時の考えが似てくるというのは、それだけ二人の距離が深まっていることに他ならない。
うーん冷蔵庫ぱんぱんになっちゃいますねぇ。なんて呟きながら詰め込んでいく紗弥の姿を眩しげに見つめて、高明は静かに深く息を吐いた。
疲労が溜まっているはずの身体が軽くなるような感覚。多幸感が押し寄せて、どうしてか、胸がいっぱいになって苦しいくらいだった。近頃はこうした何気ない瞬間に幸福を感じてならない。

「──紗弥」
「えっ、あ、はい?」

高明は滅多に他者を呼び捨てにすることはない。それは同棲している紗弥に対しても例外ではなかった。余程のことが無い限りは。
故に紗弥は一瞬硬直したのち背筋を伸ばした。声色が優しく柔らかいものだと感じはしたが、まあ条件反射のようなものである。

「抱きしめても、構いませんか」
「んっ!?」

一瞬の空白の後にもたらされた言葉は全く持って不意打ちだった。キャベツを両手に持ったままの紗弥は素っ頓狂な声を上げる。
そんな彼女からそっと顔を背けると、高明は小さく噴き出した。

「ンふっ」
「もしかして揶揄ってます?」
「いいえ、全く」

丸くさせた目をぱしぱしと瞬かせた紗弥は高明を見上げる。
むむっとした表情を真正面から受けて高明は小さく笑みを浮かべたまま首を横に振った。その双眸は柔和に細められている。
普段は涼やかな印象を抱かせる切れ長の目に、どこか含まれている甘さ。感情を雄弁に語っている眼差しで紗弥を見据えていた。

「紗弥」
「う」

促すように軽く両腕を広げた高明を前にして、紗弥はもう降参する他ない。

「い、良いですよ、その、抱きしめてもらっても」

視線が若干泳いでいるのは照れ隠しのようなもの。正確に察した高明は喉の奥でくつくつと笑った。

「では遠慮なく」

そう言うや否や、高明は一瞬で距離を詰める。己よりも小さな体躯を両腕の中に抱き込んだ。すっぽりと収まってしまう細い背へ、スルリと撫ぜるように手を回す。
その拍子に紗弥の唇が僅かにキュッと結ばれた。意識しなければ顔が綻びそうになるのを耐えているのだろう。そんな反応すらも高明の心をくすぐる。おずおずと紗弥の手が背に回されるのを感じて、更に笑みが深まった。
衣類越しに感じられる互いの体温が混ざり合って同じ温度になっていくのが心地よい。出来た隙間を無くすよう、両腕にほんの少しだけ力を込めて高明は深く長く息を吐いた。
ほう、と吐き出された息が耳を掠めてくすぐったかったのだろうか。紗弥が僅かに身じろぎする。

「……紗弥」
「はい、何ですか? 高明さん」
「もう少しだけこうしていても?」
「……とうふ……」
「駄目ですか」
「ううん、構いませんよ」

冷蔵庫に入れられないまま買い物袋の中に放置されている豆腐。それが気になったのか、一度視線を落としはしたものの紗弥は緩く首を横に振る。次いでその頭は高明の身体に預けられた。
コテリと軽く重さを感じながら、高明は更に体を密着させるように身を屈める。頬が彼女の側頭部に触れた。気付かれない程度の力加減で頬ずりして、ゆるりと穏やかに瞑目した。
紗弥を抱きすくめたまま、高明は肩の力が自然と抜けていくのを自覚する。
ただただ、ひたすらに満たされていた。



■



ぴたりと隙間なく抱きしめ合っていた身体を離して、高明は紗弥の両肩を確りと押さえた。
決して強い力ではない緩い拘束。だが彼女が振りほどけないだけの力が込められていた。

「……ところで紗弥さん、この量を持って歩いてきたんですか」
「あ」

笑みをスンと引っ込めた高明に、紗弥はうろんと視線を泳がせる。以前から苦言を呈されていたことが頭を過ぎったのだろう。

「牛乳や豆乳などは見当たらないのでその点は良しとしますが、中々の重量の筈ですよ。次から買い物に行くときは必ず同伴します」
「えーっと、その、筋トレです筋トレ」
「言葉を変えましょうか? 私が貴女と買い物をしたいので、一人で行かないでください。たとえ仕事帰りであっても」
「……その言い方はズルいですよ……」
「いつぞやのお返しです」

以前強く出られずにいた高明と同じことを呟いて、紗弥は恨めし気にジトリと目を据わらせた。
言葉巧みな高明の前に彼女が言い包められてしまう未来が待ち受けているというのは、まあ言うまでもないだろう。


■2024/6/24/
◇本日のお買い物
・キャベツ(半)
・大根(半)
・人参(二本)
・玉ねぎ(三個入一袋)
・キノコ類(ブナシメジ/マイタケ/エリンギ)
・豆腐(絹/木綿一パックずつ)
・肉類(豚肉/鶏肉)
・味噌(一パック)
・パスタ(一袋)
・パスタソース(明太子)
×2

◇紗弥購入
・チーズ詰め合わせ

◇高明購入
・コーヒーゼリー(二個)
・チョコレート(ファミリーパック)
・牛乳(一本)
・豆乳(一本)
・料理酒(一本)
冷蔵庫はパンパンになった。


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