三本の尻尾�@

とある晴れた日のことだ。穏やかな陽気の中、微かに吹く風が木陰を揺らす。公園の一角に設置されたベンチの上では妙な緊張感が漂っていた。
片手を中途半端に上げた女性の前でお座りをしている一匹の黒猫。行儀よく伸びた背が上品さを醸し出していた。その尾は若干の違和感を覚えるほど太い。ピンと立っていたであろう耳は後ろに流れていて、所謂撫でられ待ちの状態。まん丸に見開かれた瞳は射貫くように女性をジッと見つめていた。

「……あの、諸伏さん」

僅かに言いよどみながらも彼女は黒猫に話しかけた。
首を傾げることでそれに応じた黒猫は、見上げることで言葉の続きを促す。猫にあるまじき姿勢の良さを発揮していようとも至って自然体だった。彼女が一方的に緊張しているのだ。

「えっと、その、撫でまわしたらセクハラになるんじゃ……」

艶やかな毛並みに手を伸ばしかけては躊躇する。
中途半端に上げた手を引っ込めた彼女はキュッと唇を引き結んだ。

「──先程も申し上げたでしょう。貴女にならば良いのだ、と」

耳当たりの良い、低く艶のある声が黒猫から発せられる。可愛らしい外見からは想像もできない低音。

「頭や肩、手などであればさして問題ではありませんよ」
「そう、ですか?」
「ええ」

黒猫からの促しを受けて彼女は再度手を伸ばす。それはじれったいほどにゆっくりと、恐る恐るといった様子で。触れるに至るまでかなりの時間が掛かりそうだった。
彼女の手を待つばかりだった黒猫は僅かに肩を竦めた。その仕草がやけに動きが人間臭い。おもむろに立ち上がると彼女の手に頭を擦り付ける。

「ひゃ!?」

思わぬ感触に彼女が奇声を上げた。ババッと両手を上げて降参の意を示している。そんな様子を見上げながら黒猫は座り直すと、くつくつと肩を揺らして笑った。

「も、諸伏さん……!」
「ふ、ふふ、すみません。このままでは日が暮れてしまうと思い、つい……」

余程驚いたのだろう。彼女は両手で心臓付近を押さえている。
若干恨めし気な視線を受けながらも黒猫は優し気に両目を細めた。双眸が柔らかく弧を描く。表情が分かりにくい動物の顔であろうとも、そこには一目で感情が伝わってくる程に彼女への思いが滲み出ていた。幸か不幸か彼女は飛び跳ねた自身の心臓を落ち着かせるために深呼吸を繰り返していて気付いていない。

彼女から諸伏と呼ばれた黒猫、その正体は正真正銘の人間である。ただし自由自在に変化できる能力やその他多種多様な能力を持つ、という注釈がつく。
──彼は妖の力を引き継いでいる人間の一人だった。


□


この現代日本において妖という存在は割と近くにあった。純粋な妖が出現するというのは多くないが、その知名度はかなりのものだ。
先祖代々の血を引く家系、または先祖返り。そんな者たちが共存している社会。
妖の血を引くといっても基本的に限りなくベースは人間だ。その者によって引き継いだ妖の要素の度合いは様々である。自由自在に変化できる者もいれば、只人よりも視力、嗅覚、聴覚などの感覚が優れているだけという者も居る。後者に至っては己が妖の要素を持って生まれてきたという自覚を持たない者も少なく無い。
純粋な妖にもなれず人間にもなれず、混じり者や半端者と言われた時代はとうに過ぎた。過度の抑圧や迫害が無かったと言えば嘘になるが、今は単純に個性と言う枠に収まりつつある。
妖怪の血が混じっていない純粋な人間──只人という存在が約半数。後の半数は妖という要素を持って生まれてきた者たちが占めている。
自身が妖の血を引いているのか、それとも只人であるか。国に対する報告義務がありはするものの、個人の間柄での報告義務は全く無い。故に、余程のことがない限り他者が只人か妖の要素をもつ者か分からないままなのだ。
基本的に皆、只人を装う。
妖の要素が強く出た外見のまま出歩けば純粋な妖怪に狙われることが多い。妖の要素を持っているとは言え、ベースは人間だ。大抵は勝ち目がない。
そして只人の中には妖の要素を持つ者を毛嫌いする者もいる。何なら、妖怪(・・)と同一視し排除しようとする団体もいる。単純に只人がどうこうできる相手ではないと言うのに。
ただ、純粋な妖との関係や、抑圧されている期間が長かったせいか妖の要素を持つ者たちが身を潜めるのは当たり前になっていた。つまり自己防衛の結果である。
そんな共存の世界の中、皆が皆、少なからず様々な思いを胸の内に隠して生きている。

──諸伏高明は妖の力を色濃く継いで生まれてきた一人である。
俗に言う先祖返りというもの。弟とお揃いである三色の毛並み(・・・・・・)は手入れを怠っていない。手触りも毛艶も良い。密やかな自慢の一つだ。弟の景光もまた同様に妖としての力を色濃く引き継いでいるというのは余談である。
確証は得ていないが、周囲にも同等の力を持った者が居ることを高明は察知している。感覚で何となく分かるものだ。妖の血を継いでいる存在というのは存外多い。
のらりくらりと己の中に宿る猫らしく世の中を渡り歩いてきた。時に計略を練り、時に必要とあらば相手を化かし、時に使いたくもない力を行使しながら。
そんな高明が彼女と出会ったのは、とある日の酷く雨に降られた午後の事だった。
雨天の中で佇み途方に暮れていた彼女をどうしてか放っておけなかった。猫らしく雨が苦手な高明ではあったが、わざわざ車を降りて傘を貸し与えたのだ。詳しくは語らないが善意からの行動とはいえ非常に警戒された事を明記しておこう。それが始まり。
それきりと思って別れたものの、縁が結ばれたのか後に再会し今に至るという訳である。……再び相見えたのは高明が体調を崩した際に訪れた薬局だった為、弱り切った姿を彼女に見られてしまった、というのはまた別の機会に話すとしよう。
ぼんやりとした感覚ではあるのだが、彼女も妖の血を薄らと継いでいるのだと高明は察していた。聞けば、はっきりとは知らないものの天狗もしくは烏天狗の血を引く家系の分流らしい、との事だった。薬に関する逸話が多いという点において天狗の血を引いていると言うのは非常に納得したというもの。
穏やかに交友を深めていく中、こうして彼女が高明に話してくれることが増えつつある。すなわちそれは、心を許されているという事に他ならない。高明が彼女を傷つける存在では無いという信頼を勝ち取れたと同義だった。
──空気感がとても落ち着く。彼女と過ごす時間が増えれば増えるほど、高明が抱くのはその感覚ばかり。
彼女からの話ならば、そこに深い意味など無くともどんな話でも聞きたいと思う。何でもないようなことでも話せてしまう。微笑みながら目を輝かせて続きを促してくれるのがきっと一因だろう。
高明は彼女と会話を重ねるのが一等好きな時間になりつつあった。


■2024/2/29/
まさか、また番外編の方が先に書きあがるなんて。
とにもかくにも願望を詰め込みます。


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