空の青さに打ちひしがれ




昨日の夕ごはんは何を食べたっけ。

空中に投げ出されとき、全身に痛みが回るとき、もっとまともなことを考えられないのかと自分が情けなくなった。それでも仕方ない。人は一度に理解できないことがたくさん起こると思考を放棄してしまうらしい。視界に映る空は雲ひとつなく、絵に描いたようにとても青い。こんな日は空を飛べたら気持ちよさそうだ。それでも私には羽が生えているわけでもないので、投げ出された身体は再びの強い痛みと共に地面に叩きつけられた。

痛い。視界がぼやける。悲鳴やどよめきが人ごとのように遠くで聞こえた。そのどれもが知らない声。私を覗き込んでくるのも知らない顔。まず、そうだ、ここはどこ。あなたは誰。こんなセリフ、漫画でしか読んだことがないはずなのにな。今日の夢は随分と手の込んでいると私は夢を否定する痛みを無視して意識を手放した。



人は誰しもここではないどこかに行きたいと思うものではないだろうか。人生順風満帆、右も左も薔薇色ハッピーというのであれば例外はあるのかもしれないが、私は至って平凡な人生を生きてきたので、そう考えた事はもちろんある。何度だってある。想像の中だけであれば私はお姫様にだって勇者にだって、魔法使いにだってなれる。叶いもしない想像だとわかっていたとしても、想像だからこそ私は誰よりもその世界では幸せになれたのだ。そうして現実の世界で生きていく。人に誇れるような大層なことは成し遂げていないが、人に背を向けて生きていかなければならないことをした記憶もない。

「………いたい」

自分のものになった意識。見覚えがない白い天井とこじんまりとした部屋に私だけの声が小さく響き渡る。錘でもつけられたのかと思うほどに頭が重い。身体がじんじんと定期的な痛みを繰り返す。手や足に巻かれた包帯が夢ではなかったことを物語る。どのくらい眠っていたのだろうか。いや、それよりも、ここはどこ。ツンと鼻を指す薬の匂いから嗅覚は正常だということがわかった。この匂いは健康診断の時の採血を思い出すからあまり好きじゃない。それでもここを病院にするにしては少しばかり設備が足りないような気がした。歩き回ればわかるかな。試しに手や足に力を込めてみれば自分の思った通りに動いてくれるようだ。痛みはあるがそこまで重い怪我ではない。それがほんの少しだけ私を安心させた。まずはゆっくりと身体を起こしてみる。改めて部屋を見渡してみても見覚えのあるものはひとつも見つけられなかった。眠っていたベッドのすぐ近くには見たこともない花がよく手入れされた状態で生けてある。この花は…なんという名前の花だろう。

「目覚ましてんじゃねえか!」

興味本位で花に手を伸ばしたとき、その声は突然に聞こえた。びくりと肩が跳ね上がる。知らない声だ。瞬時に声の方に目線を向ければ、そこにはやはり知らない男の人がどこか嬉しそうに私を見つめていた。

「あ!ちょっと待っててな!あいつ呼んでくるから!」

あいつとは。完全に私を置いてきぼりにしてその人はバタバタと駆け出していってしまった。待っててと言われたのだから待つ方がいいのかな。あの口ぶりからすればどうやら私が目を覚ますのを待っていてくれたようだ。改めて生けてある花に手を伸ばす。どうやら造花ではないようだ。鼻を近づければ甘い香りがした。いい香り。あの人が戻ってきたら状況を説明してもらおう。これが事故だとするなら今後の予定だとか慰謝料だとか難しい話になるのかな。家に帰れるのはいつになるのだろう。早く家に帰りたい。家、あれ?

家って、どこだ。まって、嘘だ、家だよ家。家はわかる。帰る場所だ。その意味はわかる。わかっているのに私のそれがどこなのかがわからない。ぼんやりとしていた頭が一気に混乱する。

「待たせたなー」

再び聞こえた声にそのまま戸惑いの視線を向けてしまった。そこには先ほどの男の人の他にもう1人、深く帽子を被った男の人。その男の人の肩の上には。

「は……??」

頭がぐらりと揺れる。ええと、その生き物は確かゲームやアニメの中だけの、人が創り出した想像の生き物のはずで。現実には存在しないはずなんだ。そんなことは誰もがわかっている。わかっていたとしても、そうしたら目の前のこの子はなんだ。私を見つめるまん丸の瞳、音を聞き取るように動く耳、極め付けにはトレードマークの真っ赤な頬っぺた。

「ピ、ピカチュウ……?」

それは紛れもなくピカチュウだった。

「おう、こいつのパートナーだ。なあレッド。ピカチュウもずっとあんたを看病してたんだぜ」

夢だ、夢だと思考が現実逃避をして、身体の痛みがそれを否定した。怪我をした時もこんな感じだったような気がする。男の人が何やら説明をしてくれているようだが内容はこれっぽっちも頭に入ってこない。わからない、わからない。そればかりが頭を支配していく中で、次に生まれた感情は怖いというものだった。