サラシバ


ああ、どうか。(うろこだき)


 とてもやさしいおかおをされた、おさむらいさまでした。
 わたくしは、ええ、心のそこから感謝しているのです。



 鎹鴉かすがいがらすの指示に従い赴いた村は、山中にあるという事を差し引いても尚、しんと静まり返っていた。微かに聞こえてくる生活音さえも、真冬の夕暮れの様に冷たい。

 人を喰う獣が出る。さらに墓が暴かれ、死人が消えている。

 恐らくはそれが原因であろう。
 ただでさえ貧しい村だ。飢えや病で苦しみ、得体の知れぬ獣に怯え、死んだ後にも尚、安らかな眠りがないとあれば、心穏やかに暮らせるはずもない。
 絶望のにおいがした。
 そしてその中に確実に、やつらのにおいが混じっていた。まるで根を張る様に、蝕む様に。
 一匹ではない、微かだが、二匹目のにおいがする。
 濃い方のにおいは胸焼けするような悪臭だ。少なくとも五十人は喰っている事だろう。においの元は村の中には無いらしい。

「おさむらいさま。」

 若い娘の声が呼び止める。
 振り向くと、身を縮めるようにしてこちらを見ていた。
「このような場所に何か特別なご用でもおありでしょうか。お迷いであれば、ご案内させていただきます。」
 怯えているようだが、利発そうな声でそう言った。
「近頃は、けものも出ますので、みちを間違えられては危のうございます。」
 侍相手に警告とは、なかなかの度胸である。江戸にいる、少しでも血の気の多い帯刀者であれば、この娘は斬られていたかもしれない。しかし娘の言葉は優しさから出たものではなさそうだった。
 何か、隠し事をしている様な、霞がかったにおい。
「実は人を探しておる。古い知人で、名を兵右衛門と言うのだが、お主、心当たりはないか。」
「…ございません。」
「そうか。何年も前に世話になった男でな、この村へ身を寄せていると聞いて足を運んだのだが…」
「念のため、おじじさまにもきいてまいりましょう。この村で一番の年寄りですから、何か知っているかもしれません。」
かたじけない。」

 娘の案内で、小ぢんまりとした茅葺かやぶきの家へと出向くと、与吉という老人が、女中の様に若い奥方と二人住まいをしていた。
 当然、老人は「兵右衛門」なる人物には覚えがないと言った。初めから出任せである。たとえ同じ名前の同じ様な人物がいたとしても、人違いだ。
 何もないところだが、と老人が泊まるよう申し出てくれたので、有難くそれを受けた。

「兵右衛門さまがみつかりますように。」

 そう言い残して娘は去った。
 娘は微かに、ごく微かに、鬼のにおいを纏っていた。


 深更。
 与吉宅を抜け出し、においを追っていた。昼間の、濃い方のにおいである。あの微かなにおいも気にはなるが、差し迫っているのはやはり濃い方であろう。
 不意に、血のにおいが混ざり込む。
 山中を駆ける足を、更に速める。間に合え、間に合え、もっと速く。
 息を深く吸い、気血の充足と共にそれを捉えた。

 熊よりも大きな身体。
 葉の陰に、夜の闇に溶けるような薄暗い肌。
 紅い口元。

 咀嚼音と、濃厚な血のにおい。

 日輪刀を握る手に力が籠る。強く踏み込み、流れるように横一線、刃を走らせる。首を斬られた鬼の眼が、ようやくこちらを見た。
 何事か口走り、既に離れてしまった身体が今更の様にして手を伸ばし、空を掴んで塵となった。
 後に、喰い荒らされた身体だけが残った。
 両手を合わせ、助けられなかった事を詫びる。それしか自分にはできなかった。

 翌朝、雨雲のような不安のにおいに村は包まれた。
 不慮の事故へと捧げられた葬列。線香のにおい、明日は我が身、家族をいつ失うとも分からない恐怖、得体の知れない物への震え。その中で、

「おさむらいさま。」

 娘の身体からは

「まだいらしたのですね。もう発たれたあとかと思っておりました。」

 ふつふつと、喜びのにおいがした。

「おかよばあさん、かわいそうに。初孫が生まれたばかりだったのに。」

 娘は悲し気な顔を作る。

「いったいどういったけもののしわざなのでしょうか。犬でも熊でも、けっしてあのようにはしないでしょうに。」

 何を思っているのか、自らの頬に手を添わせる。

「また誰か、死んでしまうのかしら。」

「否、もう誰も死なん。」

 言い放つと、娘は目を見開いた。

「なぜです。」
「その獣を儂が殺したからだ。」

 ひゅっと娘の喉が小さな音を立てた。

「誰かが死なねば、困ることでもおありかな。」

 いいえ、と呻く様にして答える。
 娘から不安、畏れ、悲しみ、そんなものがい交ぜになったにおいが立ち上る。

「時に娘、お主の家は何処にある。世話になった礼がしたい、力仕事などあれば手伝おう。」
「いえ、どうぞおかまいなく。お手を煩わせるようなことは何もございません。」
「そう言うな、礼なのだ。それくらいはさせてくれ。」

 無理矢理に娘を家まで案内させると、あの微かな鬼のにおいが床下から滲む様に上がっていた。
 やはりこの娘、鬼を隠している。
 今、お茶をおいれしますので、と支度を始めた娘の両目は、今にも泣き出しそうな程であった。

「両親にも姉にも先立たれ、このようにわたくしのひとり住まいでございますから、何のおかまいもできず申し訳ありません。」
「いや、こちらが押し掛けたのだ。女ひとりで住む家に上がり込んで、すまない事をした。さて、何か手伝うことはないか。それこそ力仕事には困っておろう。」
「いいえ。いいえ、もう、おかえりくださいませ…」
「つれない事を。薪割でも掃除でも何でもしてやろう。そうだ、例えば

 床下の掃除などはどうだ。」

 娘は肩を強張らせ、身を震わせた。
 もうおかえりください、とついには涙を流し始める。
「後生でございます、もうおかえりくださいませ。おねがいでございます。」
「居るのだな、床下に。」
 娘は静かに頷いた。


 床板を外すと、その下に深い深い穴があった。耳を澄ますと、穴の奥から何やら唸るような音が聞こえてくる。
「この中に、わたくしの姉がいるのです。」

 ある日、わたくしが帰ると姉は両親を食べておりました。それはもう、酷い有様で。おさむらいさまはご存じでございましょう。
 母様と父様…、ふたりは姉をどう思ったことでしょう。おぞましいと思ったでしょうか。わたくしは、それを見て確かに驚きました。恐ろしかったし、姉を憎みもしました。けれど姉は、姉はあの時、泣いていたのです。
 わたくしもそのまま姉に食べられてしまうものとばかり思っておりました。足がすくんでしまって、逃げることができなかった…また、姉のそんな姿から逃げてしまうということが、酷く悲しくもあったのです。
 姉はわたくしを食べませんでした。ふたりを食べた後だったからかもしれません。

 ―――鬼になってしまった、人喰い鬼に。

 泣いていました、姉もわたくしも。
 わたくしは姉の身体を洗い、両親と姉の葬儀を出しました。ええ、姉も死んだことにしたのです。

 姉はいつも押入れに隠れておりました。わたくしは姉に鳥や兎を食べさせました。けれど、一度、人の味を覚えたせいか、それともそういった性なのか、どうしてもそれでは満足してくれませんでした。
 やがて、村人から死者が出ました。姉が夜な夜な食べたのです。見たわけではありません、けれどそうなのでしょう。山の鬼が現れたのは、もう少し後のことなのですから。
 心中することも考えました。ええ、そうです。ふたりで両親の後を追おうと、何度考えたか分かりません。ですが、両親の菩提を弔う者がいなくなることも、心苦しくてたまらないのです。

 …いいえ、ただの言い訳に過ぎません。わたくしには姉を殺めることなどできなかったのです。

 一度だけ、姉がわたくしを噛んだことがあります。余程飢えていたのでしょう。
 姉に食べられてしまうことを、怖いとは思いませんでした。むしろ少し安堵していた…けれど、姉を置いて逝くわけにはいかない、両親がわたくしをそうさせたように思います。

 ―――だめよ、姉様。わたしまで食べてしまったら、姉様がひとりきりになってしまう。

 それからというもの、姉は、飢えを感じると自分の腕を食べるようになりました。どれくらい食べていたのか、細かいことなど分かりません。これもご存じでございましょう、鬼は身体が欠けても元に戻ってしまうのです。

 わたくしたちは、穴を掘りました。この穴です。簡単に出られないように、深く深く。そして姉が自分で出られないほどに深く掘った時、わたくしは姉を引き上げる事をやめました。
 わたくしは姉が哀れでなりません。
 時折、姉が自分の身体を食べる音が聞こえてくるのです。

「ですから、いけないことと分かってはおりましたが、村で死人が出ると、その死体を姉に与えておりました。姉が自分の身体を食べなくても済むように。このような言い方はけっして許されませんが、あの鬼がいたから、あの鬼の食べ残しがあったから、姉は自分を食べずにいられたのです。」

 けれど、それももう、と娘は目を閉じる。
「鬼狩りのおさむらいさま、どうぞ、姉を…」



 初めからそうすべきだったのでしょう。
 鬼になってなお、生きながらえることほど苦しいこともないのです。あの時のおさむらいさまには、本当に感謝しているのです。
 わたくしはこれからも生きてまいります。両親を弔い、姉を弔い、生きてまいります。


(おしまい)

- 1 -

*前次#


ページ: