金縛りじゃなくてアルハイゼンだった。

 急な金縛りにあった。体が締め付けられるような圧迫感。手足は碌に動かず、少し息が苦しい。は、と息を吐きながらゆるゆると意識が覚醒し始める。うっすらと目を開くと眠る前と同じように部屋の壁や寝具の一部が目に飛び込んできた。
 唯一自由に動く首を動かして自分の体を見ると自分のとは違う太い腕がギチギチと巻き付いている。はて、彼は今日うちに来ないはずだが。とはいえ合鍵を持っているような相手は彼ぐらいのものなので、この腕の持ち主は必然的にアルハイゼンということになる。うなじの辺りに埋まっているだろう少し固い跳ねた髪の感触にも覚えがある。

「アルハイゼン……?」

 後ろでわたしにくっついて寝ているであろう彼の名前を呼んでみても帰ってくるのは健やかな寝息ぐらいのものでどうしたものかと考える。部屋の中は真っ暗できっとまだ起きるにも早すぎる時間だろう。寝直したいのは山々なのだが、いかんせん纏わりついてるアルハイゼンの体が少しばかり苦しい。なんとか拘束を緩めてもらえないかと彼の腕をぺしぺしと叩いたりして呼びかけを続ける。しばらくした所でもにゃもにゃと何事か呟きながら、背後で「やめろ」と煮詰めたカスタードクリームのようなふわふわとした、だけれどほんのりと機嫌を斜めに向けた声がする。

「苦しいからもう少し緩めてください」
「いやだ」
「そこをなんとか」

 イヤイヤをするみたいにうなじへぐりぐりと擦り付けられるおそらく彼の額が少し痛い。甘えられるのは問題ないし、かわいいはかわいいのだけれどやはり寝にくいのは困る。彼の腕の中からなんとか左手を引き抜いて後ろ手に探りながら彼の髪を撫でる。

「ねえ、アルハイゼン。顔を見せて」
「ん……」

 そこでようやっと腕の拘束が緩んだので身を反転させて彼に向き合う形に体勢を変えると半分以上眠りに浸かったままのアルハイゼンが視界に飛び込んでくる。閉じたままの瞼も眉間によった皺も、眠そうに唸る声も、彼が無防備に寝ている姿を曝け出していることの証明のようで、ほんの少し心がくすぐったい。
 手を伸ばしてアルハイゼンの跳ねた横髪を梳くと、ようやっとそこで瞼がうっすらと開いた。

「今日はどうしたんですか?」
「……うん」
「お眠さんですね」
「……うん」

 適当な生返事だけが返ってくるのをしばらく楽しんで控えめに腕を広げてみる。ほぼくっつきそうな瞼の間からでもこの仕草はしっかりと見えていたようで「なんだ」と言った。この状況で腕を広げるなんて選択肢は一つきりだと思うのだが、眠気というのはアルハイゼンほどの優秀な頭脳をも鈍らせてしまうようだ。
「おいで」
 言葉の意味を咀嚼して、程なくしてアルハイゼンがもぞもぞと身動ぎをしてわたしの腕の中に収まった。胸元に擦り寄ってくる仕草なんて平時ではほぼ見ることがないため新鮮な気分になる。
 すやすやと眠る吐息に釣られてあくびが出てきた。今なら心地よく眠れそうだ。彼の頭をぎゅっと抱き込んで目を閉じる。わたしより少し高い体温に心臓が少し速く動くのはいつものこと。それでもどこか安心感が勝ってくるようになったはいつの頃からだったか。ぼんやりと霞んでくる意識の淵で、いつかもっと当たり前になるといいなと願って眠りについた。



 目覚めると既に日が高く昇っている。こんな時間まで寝ていたのはいつぶりだろうか。深夜に目覚めた時にアルハイゼンがいたような気がしたのだが気のせいだったのだろうか。夢を見ていた感覚はしなかったのだが。手探りで確かめた空っぽの隣は既にわたしの体温だけが残っているぐらいで、行き場のない気持ちを抱えた。
 ベッドから足を下ろして靴を履きリビングまで歩くと、ようやくそこにアルハイゼンを見つけた。読書をしていたようで、彼用にと置いてあったマグカップにコーヒーまで淹れてソファでしっかりと寛いでいる。
 そのままリビングの中へ入ると足音に気が付いたのか、彼の目がこちらを向いた。ヘッドホンの遮音機能は使っていなかったらしい。

「おはよう。よく寝ていたようで何よりだ」
「おはようございます。いつここに来たんですか?」
「……覚えていないのか」
「いえ……その、夢かと思って」
「何を言っている」

 呆れた顔をされたが仕方がないじゃないか。わたしだって真夜中に寝惚けるぐらいはするのだから。不満に思いながら彼を見ていると何を勘違いしたのか彼は読んでいた本を脇へ避けて腕を広げた。どうしたというのか。首を傾げると、アルハイゼンは一つため息をついた。

「おいで」

 ぱちん、と目の奥で何かが弾けたみたいだった。何か考えるより先に足が彼の方へ向いていく。そのまま彼の膝の間に座ると、ぎゅうっと抱き込まれる。高い体温にやはりドキドキと心臓が動くのと、落ち着くのと、半分ずつ。どこか地に足のつかないような心地でぎゅっと彼の服の裾を掴んだ。

「どうした」
「……普段、あなたはそんな風に言わないでしょう」
「そうかもしれない」

 彼はふむ、と顎に手を当てた。いつもであれば、わたしが彼の隣に座るのを待ってからひょいとわたしを持ち上げて膝の上に乗せるか、わたしが彼のそばへ寄った時に腕を引いて抱きしめられるか、要はこういった接触を行う際にアルハイゼンが具体的な言葉でわたしの行動を促すことはほぼないから、少し新鮮に思う。

「だがこれは君のせいだ。君が普段、言うことや為すことを俺がなぞっているに過ぎない」
「わたしのせい?」
「俺が何か影響を受けたのだとしたらそれは君からのものに違いないからな」
「わたしそんな事言いますっけ」
「自覚がないのか。俺は君の言葉遣いを存外気に入っているよ」

 さらさらと髪を梳かれる感覚にいつか慣れる日も来るのだろうか。彼がたとえ内容が詰まらなかったのだとはいえ読んでいた本を横に避けることにさえ最初は驚いていたのだから、きっとその内に当たり前になってくれるのだろうか。
 彼の胸元に鼻先を埋めてそっと息を吸い込んだ。本棚に長くしまってあった本を開いた時のようないい匂いとも違うが落ち着く匂いだ。そして彼の心音に耳を傾ける。
 鼓動がわたしと同じぐらいの速さでドクドクと動いているのが耳にちょうど心地よかった。