聖宮の巫女 37

© 2019 sasori_bi
 東の宮の一端に、本殿と繋がる渡り廊下への扉がある。ガレシアの国章が描かれた重々しい鉄扉だ。
 監督役に預けられた鍵で錠を開けて廊下へ出ると、ノヴァリスは再び施錠して歩き出した。
 白い石壁に四方を囲まれた渡り廊下を歩く。両側にはずらりと灯火具が置かれているが、今は火が灯っていない。祭日のみ灯される篝火だ。代わりに吊り下げの灯りで足元を照らしながら、白い渡り廊下をひたすら進む。

 半ばまで向かうと、廊下の先に人影があった。
 灯りで照らすと、そこには艶やかに着飾った美貌の女――ケリドウェン・リュースが立っていた。

「リュース大副」
「誰もいないわ。今すぐその白々しい呼び方を止めることね」
「……ケリドウェン」
「ゼズルカはどうしてるかしら」

 ぱちん、と開いていた扇を手遊びのように閉じて、面白そうに大粒の宝石のような瞳を細める。二人の子供を持ってもなお、女のまま放埓に生きているせいだろうか。未だ少女のような輝きを帯びていた。

 ノヴァリスは小さく息を吐いた。暗がりに潜んで待ち伏せるなど趣味の悪いことをと思いながらも、窘める気が起きない。

「ゼズルカ大祐は……何の裁量もないわ。大したことは任せていないし、東の宮ではその権も取り上げているから」

 神部の巫女の監督を任されながら、他の巫女の目がないからとずいぶんその任を疎かにしていた。そう簡単に信頼は戻らない。
 ケリドウェンの判断も同じだろう。軽い口調で「当分放っておいていいわ」と言い放つ、その瞳もどこか冷たかった。

 と、閉じた扇をもう片方の手のひらにぽんと乗せながら、ケリドウェンは今度はどこか楽しそうに。

「可愛いひよこちゃんたちはお元気?」
「以前とは別の巫女や、使部に当り散らす巫女がいるかしら。水面下に潜んでしまったもの、手に負えない」
「まあそんなものよねえ。……何かしら環境に変化があればいいのだけれど、殿下はどうやらその気がおありじゃないようだし」

 ふうん、と関心があるのかないのかわからないように鼻を鳴らして、ケリドウェンは凭れていた壁から背を離す。夜会を抜けて出てきたのだろうか。豊満な身体を包む夜会の衣装が灯火を反射して煌びやかだ。
 それに比べれば、黒一色の修道服を纏う自分がいかに見劣りすることだろうと、ほんの少し自分を恥ずかしく思いながら。

「改善策を探す?」
「とりあえずいいわ。例祭までは――ああ、例祭用の修道服の手配はどう?」
「前夜祭までは納品される手はずだけれど」
「そう、問題ないわ。それと、白ガラスちゃんの任官……」

 魔法協会が偶然見立てた『白鴉の魔法使い』フローレイン・アステリア。ケリドウェンも彼女について認識しているようで、時折彼女の様子を尋ねてくることがある。

 が、急に表情を曇らせて、ケリドウェンは溜め息を吐いた。

「ああ、もっと早く済ませておけばよかった。しきたりに固執して進言を無視する、愚か者の邪魔のせいだわ」
「? 例祭の後では遅いの?」
「……とりあえずこれもいいわ」

 大史の任官の件だろう。どういう理由からかは知らないが、ケリドウェンとしてはもっと日取りを早めたかったらしい。彼女の中でどういう段取りになっているのかは知らないが、思うところがあるのかも知れない。
 身を翻したケリドウェンが、壁に立て掛けていた身の丈ほどの何かを手に取った。

「来たばかりのところ悪いけれど、一度向こうに戻ってちょうだい。これを預けておくから」
「これ?」
「東宮の管理者の聖杖」

 ケリドウェンが無造作に放ったそれを慌てて受け取ると、見覚えのある古い杖だった。

 装飾に紛れて幾つも魔法陣が刻まれている。複雑に魔法が絡んでいて、おまけに祭祀以外でほとんど使われることがないので、誰も詳しいことを知らない曰く付きの品物だ。
 東の宮に巫女が入った際、代表者に王太子の手から渡される聖杖。形式上の意味合いしかない道具だ。それでも役目は充分に果たせるだろうが。

「例祭の時にどうせ渡すのだけれど、本殿で保管していたところで出番もないのだし。それまでの管理を任せるわ」

 ひらひらと白い手を振って、ケリドウェンがあっけらかんと言い放つ。投げやりな言い草に肩を落としながら、ノヴァリスはゆるゆると頷いた。

「……まあ、そうね。当日のどさくさで紛失しないとも限らないもの。……それにしても、ちょっと扱いが雑じゃない?」
「何か困ったことがあったら使っていいわ。庭の雑草が増えて困るだとか」
「……そんなことに使うはずないじゃない……」

 祭祀に使う神聖な聖杖を何だと思っているのかと心底呆れた。
 ケリドウェンは悪びれもせず、鮮やかに服の裾を翻した。

「用件はそれだけ。それじゃ、わたくしは夜会に戻ります。こんな時間に頼みごとをして悪かったわね」
「今に始まったことじゃないでしょう。構わないわ」

 ノヴァリスは嘆息混じりにそう言うと、鍵を取り出しながら廊下を引き返していく。ケリドウェンも反対方向へと立ち去ろうと歩き出していた。

 聖杖の揺れる涼やかな音を連れて、扉の前まで引き返していったノヴァリスが、鍵を開けて外に出て行く物音がする。扉が閉じて再び静寂が訪れると、ケリドウェンはそこでふと立ち止まった。

 暗闇が訪れた渡り廊下の中。
 誰にともなく、ケリドウェンがひとりごちる。

「さて、やれることはやったわね。……上手くいくといいのだけれど」

 呟きの後、すぐに足音が続いて遠ざかり、後は暗がりばかりが残った。




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