聖宮の巫女 36

© 2019 sasori_bi

「あなた……それ、本当に……」

 たった今、目の前でフローレインが起動した魔法を見たソフィアは、差し出された手紙を受け取ることも忘れていた。
 手紙の返答が届く約束の日、晩餐から就寝時間までの空き時間、こっそりソフィアを私室に招いていた。だいぶ渋られたが、招待をした場所が人前だったため、そこで揉めるのも嫌だったらしい。最終的にソフィアがフローレインの誘いを受ける形で収まった。
 フローレインは外した瓶の蓋を手に取ると、内側をソフィアの目に見えるように掲げる。

「私の幼馴染が仕組みを作った魔法道具。ネヴィンに頼んでいると、見つかってしまう可能性があるのはよくわかったのだし。……あなたの手紙もこれで向こうに送ったんだ」

 向こうからも起動できれば楽なのだろうが、結界に阻まれる可能性もあるのでこれが限界だ。――仮に向こうから起動できたとすればそれは、空間転移の魔法で外から内に出入りができてしまうということだ。さすがにその制限を超えるのは厳しかったのだろう。
 それでも、結界内で魔法が使えるだけで充分だ。

 ソフィアは未だ戸惑いが拭い切れない表情で、じっとフローレインを見据えている。

「魔法が使えるって、本当だったの? ……私は一度も上手くいかなかったわ」
「えっと、仕組みは正直私もよくわからなくって……そういう小細工の上手な兄と幼馴染がいるとしか言えないのだけど」

 仕組みを説明しろと言われても、手首にある紐がどういう仕組みでそうなっているのかはさっぱりだったので、フローレインは歯切れ悪く答える。よくもまあ見たこともない結界の仕組みを解読して、対抗措置を作り出したものだ。

 フローレインは瓶の蓋を嵌め直して、ソフィアの手に手紙を握らせた。――見たことのない筆跡で、彼女の宛名が記されて紐で括られた手紙。

「あなた宛てなのだから、あなたが読まないと、誰も読めないわ」

 封筒のない、簡易に紐で括られ蝋で留められた便箋だけだった。
 しばらくの躊躇の後、緩慢な動作で部屋の椅子に掛けて、蝋を剥がし、紐を解く。巻かれた便箋をゆっくりと開きながら、深く息を吐いて――ようやくソフィアはじっと文面に視線を落とした。

 筆跡だけで懐かしい。もう――二度と手紙が増えることがないと思っていた。それがわかっていて宮に来たのだ。だから、フローレインに手紙を書くよう言われた時、ずいぶん驚いたし渋った。結局、彼に嫌われる覚悟がきっと鈍ってしまうから、ひどいことを書いた。

「……どうせ罵られているに違いないのよ」

 読もうとして、また躊躇った。怖くて読むことができない。
 思わず零れた呟きに、フローレインが苦笑と共に返す。

「それなら、その程度だったと思って踏ん切りがつくのではない?」
「ルシンはそんなひとじゃない」
「じゃあ信じてあげたらいいと思うな」

 くすくすと笑うフローレインに、ソフィアは不機嫌顔で小さく嘆息した。
 どうして知ったようなことを言われなければいけないのかと思いながら、反論しようと文章に目を通し始める。
 そして、そこに記された文字を追い掛けるのが止まらなくなった。

 読み終わっても身動ぎをしないソフィアに、促すように柔らかな声が掛けられた。

「――なんて?」

 ぽつぽつと、膝に滴が落ちた。
 声が喉で支えて上手く出てこない。どうにか吐き出した声は掠れきって、うまく音にならなかった。

「私のこと迎えに来るって……ずっと好きだって……」

 ――あの日、君の本心を確かめなかった自分をずっと悔いている。

 最後に会った日。掠めるように見たルシンの灰色の瞳は哀しくて、刺すように胸が痛んだ。少しでも気を緩めたら泣いてしまうから、必死に歯を食いしばって堪えていた。
 彼の幸せを自分が妨げるわけにいかなかったのに。

 自室のベッドにぽすりと腰掛け、フローレインがのんびりと言う。

「ソフィアって感動屋さんだね」
「馬鹿にしてるの!?」
「してないしてない。……相手のこと、本当に好きなんだなって」

 泣き虫と言われたようでカッとなったが、彼女はやんわりと宥めるような声音でそう呟いた。謳うようなその物言いに、本当に他意はなかったのだなと納得していると、フローレインが視線を上げる。

 見透かすような二色の瞳が、泣き顔をいっそ不躾なほどにまっすぐ捉える。見据えられると何だかいつも、どうしても竦んでしまう。

「ねえソフィア、危険を冒してあなたに秘密を教えたこと、どうしてなのか分かって欲しい」

 聖宮で魔法が使えること、外とのやり取りができること、魔法道具を隠し持っていること。
 一つでも知られれば厳しい処罰は免れない。特に魔法については処罰で済むような事柄ではない。その仕組みを明らかにし、速やかに対処をしなければ、聖宮の結界が脅かされ続ける――聖宮内の原則を覆される大事だ。

 当人のみならず、知っていて告発しないことでもどんな処罰があるかわからない。

 それでも彼女はソフィアに秘密を打ち明けた。その意図。

「ここで魔法なんか使えないって思っていたけど、そうでもなかったでしょう? 他のことも、きっとどうにかなると思う」

 思わず構えたソフィアはしかし、続いたフローレインの言葉にそんなことかと半ば呆然とした。

「どうにかって……そんな投げやりなこと」
「言ったでしょう、小細工が上手な兄と幼馴染がいるの。……多分、あなたの婚約者? と顔見知りみたいだから、色々と融通が利くと思うし」

 小細工――と言うにはあまりにも重大な秘密だった。聖宮の脅威というとんでもない存在だ。しかし彼らは――どうやら紛れもなく彼女の味方であり、ルシンとも面識があるようだ。

 迷いに揺れる。関わらない方が安全だ。けれど、もしもここから解放されるのなら。そんな希望がちらついて消えてくれない。

「だから諦める必要ないよ」
「そんな危ないこと、できるはずないでしょう」
「ほらそれ。できるはずないって言わないの。魔法が使えないっていうのが嘘だったみたいに、きっと何とかなる」

 自分に言い聞かせるような言葉が、やんわりと窘められる。涙を袖で拭うソフィアに、強く響く言葉が続く。

「ここから出ることだってできるわ」

 ――ここから出ることが許されるのなら。

 ルシン。もう一度あなたに好きだと言えるのに。

「……そんな、こと」
「大丈夫。だってあの二人が約束してくれたから。二人が向こうにいるなら本当にそうなると思う」
「?」

 フローレインがゆるりと左腕を掲げる。捲り上げた手甲の中から、二色の編み紐が覗いた。――金色と、昏い青。一つは彼女の金色の髪と同じだったので、もしかしたら髪を編んだお守りなのかも知れないと思った。

「私が助けてって言ったら、家に連れ戻してくれるって。どんな手を使っても聖宮から解放してくれるって。……何せ呪いの指輪に誓ってくれたんだもの」

 可笑しそうに、フローレインは自分の小指をもう片方の指で辿る。呪いの指輪とは一体――と思いながらも、泣いている自分がどうにも後ろめたく、深く追求することはできなかった。

「だからソフィアも大丈夫。どうか無理とは言わないでね。……あなたの婚約者のこと、信じて」

 一度止まったはずの涙が急に溢れて、また一筋零れた。

 ――信じていた。きっと自分が泣いて嫌だと縋ったら、きっと彼は自分のために戦ってくれた。だから言えなかった。そんなことをしたら自分たちも家も何もかもが全部駄目になってしまうと知っていた。

 けれど、トリカゴには穴が開いていることを知ってしまった。

「駄目だったら、恨んでしまうかも知れないわ」
「いいよ。私も嘘つきになりたくないもの、駄目じゃないように頑張るわ」
「嫌よ。あなたを恨みたくないの」
「恨んであなたが楽になるなら、構わないかな」
「……あなたって本当に変わってるわね。どうしてこの間まで他人だったような私にここまでするの?」
「それはネヴィンのお礼。と、私は……」

 向けられていた視線がふいと逸れた。どこか遠いところを見ているような視線に、無性に彼女が遠く感じた。

「目の前で困ってる人見なかった振りするの、嫌なの。自己満足の正義面した馬鹿だって言われても仕方ない。……どうしても、できることがしたい」
「……できること」
「だってそうしないと、私はとっても恵まれていて……そんな私が恥ずかしくなるから」

 多くに望まれて宮に来た、じきに大史に任じられる特別な巫女。そう聞いてはいるが――彼女がそんな自分を恥じるだなとど、考えたこともなかった。
 自分と違うと思っていた。けれど、それほど大きく違っているわけではなかったのだなと今さら思い知りながら。

「フローレイン」

 呼び掛けると、彼女が不思議そうにこちらを向いた。ソフィアは乱暴に目尻を袖で拭い切ると、椅子から立ち上がり服の裾を軽く持ち上げた。

「心からの感謝を。……本当に、言葉で言い尽くせないわ。……ありがとう」

 膝を折り優雅に頭を下げる。礼儀作法の意味合いでしかない、いつもの礼では決してなかった。本心から礼儀を尽くそうと、心底からの想いを込めた辞儀と言葉だった。

 顔を上げると、フローレインが慌てたように立ち上がった。そして、驚いた表情をふと笑みに溶かして、ゆっくりと首を横に振りながら。

「レインでいいわ。本当に、大したことをしていないけれど。……どういたしまして」


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