手引書異変 5
© 2019 sasori_bi「俺がこういうことを苦手なのは、あんたのせいもあると思う」
堪え過ぎて変な声の出し方をしていたせいだろう、自分でもひどいと思うような声でユージオは唐突にクランカイトをなじった。
自分の衣服を整えていたクランカイトは、出し抜けに何をという顔をしながら恨みがましそうなユージオと視線を交わす。
「どういう理屈だ?」
「……あんたが、あんな……あんな恥知らずなことをするから」
クランカイトの視線に、ユージオは自然とその目から逃れるように顔を背けた。いたたまれなくてまともに顔を見て話すこともできない。わなわなと肩を震わせながら寝具の中で手足を丸める。
最中、忘我の域にあったとはいえ、記憶が飛んでくれるわけではない。思い返すほど本当に――ひどい取り乱しようだった。もう生きていられないなどと衝動的なことを思うほどだ。不得意でないと承知の上で、どうしてあんな手加減のない触れ方をするのか。
それなのに、クランカイトは悪びれもせず「いや?」と小首を傾げた。
「なんか頑張ってくれたのに、そういえばお返ししてやるの忘れてたなと思って。どうだった?」
「どうもこうも……」
「っていうかお前、どっからあの知識仕入れてきたんだ? 誰かに聞いた?」
「聞いてない、うるさい」
まともに怒ることすらできなかった。精神的にどっと疲れて、それだけを言うのが精一杯だった。どういう神経をしていたらそうも破廉恥な質問ができるのか。
もう顔を見ることも嫌で、布団に籠って頭を抱える。
「嫌な顔だの泣いてる顔だのが好きだからって、わざと嫌なことをするような奴に責任がないと思うのはおかしいと思う」
「気付いちまったか……」
「あんたのせいなのに、俺だけが一人勝手に罪悪感で苦しめられて、本当に馬鹿馬鹿しい……」
「そうだな馬鹿だな……」
声音を聞くだけでもどこかしんみりとした響きなのが増して腹立たしい。怒りが冷めるどころか増すばかりだが、声を荒げて怒る気力もない。
苦手だというのにこの男は人を辱めるために手管を惜しまないのだから、自分だけが悪いというのもそもそもおかしいのだ。
ユージオは枯れた声でぴしゃりと冷たく突き放した。
「声も聞きたくない。腹が立つからしばらく来るな。帰れ」
そこまで言ってようやくユージオの怒りを理解したように、クランカイトは「そりゃひどい」と困ったような声で言う。が、果たしてどこまで演技なのかわかったものではない。ユージオは態度を変えなかった。
「あんたがふざけるからだ」
「わかった。じゃあ譲歩する。次にする時は逆でもいいってのはどうだ」
布団の上からぽんと軽く叩かれる。
「逆……」
だが、少しだけそれを想像して、すぐにユージオは冷たく返した。
「無理だってわかってて言ってるんだろ」
「そう」
「来るな」
「あー嘘、嘘だって。悪かった」
少しも謝罪しているとは思えない軽薄な声音だ。どう取ればそれを謝罪と取れるのだろうか――と無言を返していると、布団の上からまたぽんぽんと軽く叩かれた。
「ごめんて。帰れないから布団入れてくれよ、さすがにちょっと寒い」
それを聞いた途端、ユージオはぱっと起き上がって布団を捲った。クランカイトの腕を引っ張って引き寄せ、上から布団を被せる。
とうとつな手のひら返しにさすがのクランカイトも困惑したが、じっと上から目を覗き込んでくるユージオにその心中を察する。クランカイトが体調を崩さないのか心配しているのだ。
そうわかった途端、クランカイトは笑みを禁じ得なかった。
「このぐらいで具合なんて悪くならねえって」
そう言われても、ユージオは納得した様子を見せない。むしろ、いっそう疑念を濃くした瞳を細めてクランカイトを見下ろし続ける。
「すぐふざける嘘つきの言うことは信じない」
「じゃあ一晩中見張ってくれんのか?」
「馬鹿らしい。寝る」
冷たく突き放し、ユージオはもそもそと布団に潜り込んだ。
うるさい男に背中を向けて壁を向く。そして、果たしてこの頼りない壁がどれほど室内の声を漏らさずにいてくれるのかと、今さらながら冷や冷やした。
そういえばここはユージオの個室なのだから、声が隣室に聞こえていれば完全にそれはユージオの独り言になるのではないだろうか。いや、声質で別の人とわかっても、それはそれでまずいが――
「……音洩れ防止の魔法……」
「いいなそれ。いくらでも声が出せる」
「そうじゃない馬鹿」
『地の底』のどこかを探せばもしかしてそういう魔法がありはしないだろうか、などと思いながら呟いた言葉は、思いがけない方向から返された。
そういう目的のためでは断じてないのだと冷たく吐き捨てると、後ろから腕が伸びてくる。
どうやら冗談だったらしく、その話はそれ以上続かなかった。ただ、抱きすくめられて、うなじの辺りに息がかかる。擽ったさにどうしていいかわからずにいると。
「……無理させたいわけじゃねえんだけど」
でも、と静かな声が言う。先ほどまでの茶化した響きは僅かもない。静かな夜にじんわりと響く、小さく穏やかな声だった。
「嬉しかった。おやすみ」
思いがけず真摯な声はそれだけを言って、それきり何も言わなかった。
驚きに身を固くして何も言えなかったユージオは、そのうち後ろから聞こえてきた、おそらく演技ではない寝息にようやく少しずつ身体の強張りを解く。とはいえ腕が回っているので振り返ることもできずに、視線だけをうろうろと彷徨わせながら。
(……びっ、くり、した……)
心の中でだけようやくそう呟いた。
果たして彼がどんな顔をしていたのかはわからなかったが。
あの顔が少しの笑みもなく言うのを見たら多分、あまりの恥ずかしさに大声を出してしまいそうだったので、見えなくてよかった――と、一人でこっそり安堵に息を吐いた。
© 2019 sasori_bi
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