代償 1
© 2019 sasori_bi ――聖宮の中を、ゆっくりと視点が移動する。
始めは自分が歩いているのかと思ったが、どうも違う。視点は壁をすり抜けて、廊下や部屋が次々移り変わる。歩く速さよりもずっと速く、どんどん先へと進んでいく。
東の宮の入り口から始まり、まるで自分が透明になったかのようにするりと壁を越え、東の宮の奥へ。
薄紙を捲ったかのように不意にそこへ現れたのは、厳重に鍵の掛かった扉だった。
両開きの鉄扉に、ガレシアの国章が刻まれている。竜神アスラを模した意匠。神を祀る国の証。
そこを超えると、厳かな雰囲気の渡り廊下が現れた。
濯いだような純白の石壁に囲まれ、壁際にはぽつぽつと篝火が灯されている。――わずかな魔力の痕跡に、それが聖火であることを感じ取った。各礼拝堂に安置される御霊代と同じものだ。それをただの照明かのように扱うことは――その場所がいかに神聖なものであるかを体現しているようだった。
渡り廊下を進むと、再び現れる鉄扉――同じくガレシアの国章が刻まれ、重々しく錠の下りた扉だ――を抜ける。
建物の中は、廊下と同じく純白の石造りだ。ただし、廊下と違ってやけに広い。幾つも柱が立ってはいるが、壁は遠く、天井も高い。がらんどうの空間をさらに奥へ、廊下の壁を越えて――ひと際大きく、広い部屋へとたどり着く。
中央に掲げられているのは、炎だ。これもまた他に漏れず魔力の気配を感じる聖火だが――今までどんな礼拝堂で見た炎よりも大きく、灯火具までもが壮麗で美しい。一目見てわかった。あれこそが国中に分けられた聖火の源。ブリード教の総本山、聖宮にて厳重に祀られる『原初の火』だ。
だが、視点はそれを素通りしてさらに奥へと向かった。
扉の前に幾重にも巡らされた魔封じの帯。扉には幾つもの魔法が仕掛けられている。迂闊に触れてどんなことが起こるかわからない。それほど厳戒に閉じられた扉をあっさり越えて――なおも景色は進む。
わずかに透明がかった白い壁の中、階段をなだらかに下りていく。歩いて進むというよりも、鳥が滑空している最中の視点に似ている。これに似たものをネヴィンの目を通してよく見ていたが――壁や扉をすり抜けていく視点というのは初めてだ。
長い階段を下りきれば、地下に空間が広がっている。だが、白い壁が発光しているかのように、空間全体が見渡せるほど視野が明るい。一体どういう仕組みなのかわからないが――ここにもさらに魔封じの帯が巡らされている。何枚もある扉を越えて、辿り着いた最奥は、『原初の火』を祀る空間と同じほどに広く――そして、赤い。
円状に赤く、敷物のような何かが床に広がっていた。その中央に人影がある。視点は進む。その人影に近付いていく。
俯いていて、顔は見えない。だが、近付くごとに鉄の匂いがした。長い黒髪に遮られて顔が見えない。視点はどんどん近付いていく。
目が合った。
真紅の瞳。床に引き摺るほどの長い黒髪。目が合った瞬間、全身に至るまで肌がざわりと粟立った。
――紛れもない畏怖。
それを自覚したのは、そこにいた人――いや、人の姿をした『何か』が口を開いた瞬間だった。
『ああ、お前は――』
びりびりと深く身体を貫くような声。喋り方そのものはひどく静かなのに、その唇から発せられた声は、獣の咆哮のように大きく全身に響いた。明らかな異常に、無意識の内にも身が竦んでいた。
だが、最後までその言葉を聞くことはできなかった。
気が付けばフローレインは、自室の寝台に横たわっていた。先ほどまで聖宮のどこか奥深い、地下の中にいたはずなのに、はたと我に返ればそこには、自室の白い天井が広がっていた。
――夢、だった。
白い光で目が覚めて、朝が来たことを悟った。けれど、しばらく現実感が湧かなかった。見ていた夢の方がよほど現実味を帯びていて、しばらく目が覚めたことに気が付かなかったほどだ。
フローレインはゆるりと身体を起こす。ゆったりとした寝間着は汗をじっとりと吸っている。気温は暑いわけでもないのに、ひどく汗をかいていた。肌に貼りつく金の髪を掻き上げ、フローレインは小さく息を吐く。
近頃、妙に夢見が悪い。
いや、悪いというよりも、いやに現実味のある夢ばかり見る。それでいてよくわからないおかしな内容だ。行ったこともなければ、見たこともない場所までが夢の中には出てくる。
以前までとは明らかに夢の内容が違っている。何がどうとはうまく言えないのだが、以前の夢はもっとふわふわとして、目覚めれば掻き消えてしまうような、曖昧で断片的なものだった。
なのに今は、目が覚めた後でもはっきりと経験して身体に刻み込まれたもののように、不気味な現実感を帯びたまま。
真紅の瞳を思い出して、フローレインは思わず身震いしていた。
恐怖ではない。ただ、あの目に射竦められると委縮してしまう。ひどく心許なくなってしまう。自分がそれはそれは小さな存在に成り下がったかのような――
「あれは誰……?」
見たこともない人。知るはずのない人。なのに夢はやけにはっきりとそのかんばせを形作っていた。まるで本当に存在しているかのように。
――馬鹿馬鹿しい。
フローレインはふるふると首を横に振り、自分の考えを自分で打ち消した。
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