代償 2
© 2019 sasori_bi「まあなんてひどい顔」
朝、いつもの黒い修道服に着替えて朝議の間へと向かう途中、顔を合わせたソフィアの第一声がそれだった。言われたフローレインも否定する言葉はなく、代わりに目の下の隈を指先で擦り、もう片方の手をひらひらと振る。
「はいはい、顔色が悪くて態度が悪くて顔も悪くてごめんあそばせ」
「そこまで言ってないわよ。何かあったの?」
フローレインはかろうじて欠伸を噛み殺しながら、涙の滲む目を伏せた。
「どうも夢見が悪くて……」
だが、フローレインの嘆きにも、ソフィアは違う受け取り方をしたようだった。
「わからないでもないわ。据え付けの寝台は固くて具合が悪いったら。いい加減慣れてきたけれど、後から来たあなたはまだでしょうね」
嘆息混じりに言い捨てる様子に、フローレインはどんな顔をしていいかわからず、乾いた笑みを面に貼り付けた。
「ご令嬢の言うことは違うわ」
「成金娘が言うじゃないの」
「残念ながら私は地べたで眠れるぐらいには育ちがいいのよ。そんなんじゃないわ」
よく大木の森の湖畔で昼寝をしていたので嘘ではない。暑い時期でも湿ってひんやりとした空気の場所だったから、快適な昼寝場所だった。だから、寝台が固いとか安普請だとかで寝心地が悪いなど、そういう話ではない。
と、フローレインは道中ふと足を止めた。
視線の先には廊下が伸びている。
この角で曲がらずに廊下をさらに進み、遠く左手側に見えている廊下へと曲がった先。
夢と同じように真っ直ぐ進めば、あの先に竜神アスラを模した意匠が施された、両開きの鉄扉が現れる――かも知れない。
行ったことがないため、わからなかった。不要な場所にはなるべく立ち入らないようにと告げられているし、誤って迷い込んだ際には使部がどこからともなく現れて行き先を塞ぎ、正しい道へと案内してくれた。
用もなく勝手に進んでいけば、また使部に見咎められることだろう。
けれど、もしあれが夢の中の作り物ではなく、本当に存在しているのであれば――
想像し、僅かうすら寒い思いで首を傾げていると。
「レイン。まだ道を覚えていないの?」
立ち止まったフローレインに気付き、ソフィアが怪訝そうに声を掛けてくる。
あんまりな言いざまに苦笑しながら、フローレインは止めた歩みを再び進めた。廊下の先への関心をどうにか断ち切りながら言う。
「そうね。そういうことにしておけば興味本位であちこち探索しても叱られないかしら」
「無駄よ。故意だろうと過失だろうと、まずいところに入れば叱られるものは叱られるわ。連帯責任は御免だもの、不用意な行動は慎むことね」
「はあい」
嘆息混じりで投げやりに答え、ソフィアに並んで足早に歩く。素っ気ない言いざまだが、彼女が本当に冷たい性格でないことは色々と話していてわかっているため、腹を立てることはなかった。
そうだ、どれほどこそこそしようがすまいが、使部に見つかる。見つかればすぐにノヴァリスに報告が行く。無理なことはすべきではない。
そう思ったところでふと、フローレインはある少年のことを思い出す。
ここは男子禁制の宮だ。それがある時、祭服を身に着けた少年とこの宮の中で会った。
本来いるはずもない彼が、どうして使部に見つからなかったのだろうか。もともと内部にいるフローレインたちですら簡単に見つけ出されるものを、外から入ってきてどうして見咎められないものなのだろう。そんな経路がこの宮にあるのだろうか。いや、本当に彼は誰にも見つからずにあそこにいたのだろうか――
と、ソフィアが急に、フローレインの顔を横目で伺って尋ねてくる。
「いつもなの? 夢見が悪いのは。懐郷病かしら」
我に返ったフローレインは、一瞬押し黙った後、何事もなかったように首を横に振る。何だかんだ辛辣なことを言うが、根底のところでは彼女が優しいことを知っているため、こっそりと笑いそうになる表情を殺しながら。
「ううん、それは違うと思う。別に故郷恋しさで気を病んでいるなんてこと、ないもの。ただ、何だか段々ひどくなっている気がするかも――前よりもひどいっていうのが、よくわからなくて」
「前はあなた浮いていたものね」
「あれを浮いていたで済ませる?」
「そうね。今もだから、浮いている、だわ」
「本当に、あんまり魔力が多いものだから、凡人とは相容れなくて困るわ」
自嘲気味にフローレインはそう言い捨てて、短く息を吐く。ノヴァリスが公平に接してくれ、ソフィアが話し相手になってくれるだけだいぶましにはなっているが、周囲から遠巻きにされている状況にはさほど変わりがない。
特別扱いをされている神部の巫女で、じき神祇官主典、大史。東の宮の管理者から始めずいぶん目の敵にされ辛く当たられたため、未だに周囲とは一線引かれたような距離がある。
が、そのことと夢見が悪いなどということとは、あまり関係がないつもりだ。
「まあでも、眠れないわけではないから、体調が悪くなったりはしないわ。心配してくれてありがとう」
「あなたの心配じゃないわ。あなたが倒れたら来月の例祭で代理が必要になることを憂慮しているだけよ」
「はいはい、要らない心配もありがとう」
素っ気ない返事にもひるまず、フローレインはひらりと軽く手を振った。本意であれ建前であれ、どちらにしてもフローレインが体調を崩しやしないかと思っていることには変わりない。本当に素直じゃないのだと思いながら、またこっそり笑みを噛み殺す。
幸いそんなフローレインには気付かずに、ソフィアは幾段、声量を落としながら、思い出したように尋ねてきた。
「そう、例祭のことだけど。あなた、殿下に拝謁するのでしょ? 大丈夫なの?」
「大丈夫って、何が?」
きょとんと問い返すフローレインに、ソフィアは怯んだように「何って……」と言い淀む。
と、周囲をはばかるように軽く見回した後、僅かに声を潜めた。
「もしも殿下に見染められたらあなた、殿下の妃になるかも知れないのよ」
フローレインは目を丸くして、何度か瞬きをした。
――殿下に見染められたら。妃に。
皆が同じようなことを言うものだと思いながら、フローレインは困惑がちに問い返す。
「いやそれ、私も?」
「えっ……それは……そうでしょう」
「でも私、そんな立派な家柄じゃないし……城壁のあるお城の中で、高級なふかふかの寝台で寝てきたご令嬢じゃないのに? 私もそれあるの?」
「関係ないわそんなこと」
ばっさりとした口調で断言され、フローレインは僅かに考え込む。
考えた後、結局フローレインはあっけらかんと首を横に振った。
「……いやいや。ないわよ」
「ないわけないでしょう馬鹿ね……!!」
痺れを切らしたようにソフィアが声を荒げた。その声に圧されるように、フローレインは軽く肩を竦める。ソフィアの頑なな姿勢に、頭からあり得ないと思い込んでいたフローレインも少しばかり思い直しながら。
「か、考えたことなかったな」
「……何を考えてここに来たわけ?」
「ええと……巫女になると思って」
「周りの人は何も言わなかったの?」
「お妃様になるかもとは言ってたけど、なるとは言わなかったから。他にたくさん綺麗な女の子もいるし。あんまり関係ないかと……」
もし殿下の寵愛を得れば。もし殿下に見染められれば。もし、という仮定の話ばかりだったので、あまり真剣に受け取らなかった。くじを引いたら当たるかも知れない、というような曖昧な物言いをされたところで、それが自分に関係のある話とも思えず、もっと現実的な話の方を優先して頭に入れていたのだ。
宮に来た後もやはり、花のような(少なくとも容姿は)少女たちに囲まれて、どうしてこれで自分がくじに当たるのだろうという気持ちでいた。そもそも、学校で異性に好意を寄せられたこともない。そんな自分なのだからやはり関係ないだろうと、確信を深めてすらいた。
だが、そんなフローレインの浅慮さにか、ソフィアは怒りが冷めないというように肩を掴んで揺さぶってくる。
「何であなたが大史になるかわかってないの!?」
「ま、魔力が多いからでしょう?」
「魔力が多い女を選んでどうしてわざわざ殿下に拝謁させるか、考えてみなさいよ!! どう考えても、そういう……」
言いながら、顔色が曇った。声量もいきなり小さくなる。
迷うように忙しなく視線をあちこちに散らし、フローレインの肩を掴んだ手を離しながら、ソフィアはやっと小さく言葉を継いだ。
「……世継ぎが望まれているってことよ……」
下世話な話と思っているからなのか、言った後もしばらく落ち着かない様子でそわそわと視線を動かしていた。対するフローレインは無言でソフィアの言葉を受け止め、ゆっくりと自分の頬に手を当ててようやく。
「……なるほど……?」
「なるほどじゃないわ」
やはり自分事とは思っていないようなフローレインの落ち着きぶりに、ソフィアは苛立たしげに腕を組んだ。ぶつぶつと「まったくどうしてこの子は」などと文句も呟き出す。
そんなソファを落ち着かせるように、フローレインは慌てて言葉を返した。
「周りが何を期待したところで、顔を合わせてすぐにどうにかなるものでもないと思うのだけど」
「今まで殿下は宮にお出でになったことがないのよ。これをきっかけにお訪ねになられるかも知れないじゃない」
「そうかなあ。この宮に巫女が来て一年以上経っていて、殿下がそれを知らなかったなんてこともないでしょう? 今まで来なかったのに、急に来るようになるなんてこと、ある? それとも、立ち入り解禁日なんかがあって、まだその日になっていないとか?」
「解禁日って何よそれ、そんなものないわ。とにかく、いきなり来るのと、知っている顔があるのじゃ、訪ねやすさは違うかも知れないじゃない」
そうかなあとフローレインは首を傾げながらも、それ以上の否定の言葉は重ねなかった。今までどうして来なかったのかも知らないし、そもそも顔も知らないのだ。年頃は近いと聞いてきたような気もするが、遠い世界の人間と年齢が近いからどうだという気がして、あまり真剣に聞いていなかった。
今さらながら顔も知らなかったことを思い出しながら。
「殿下って、どういう方? 誰か顔を知っている?」
「さあ、表に出て来られない方と聞いているけれど」
どの道ルシンの足元にも及ばないに決まっている、と言い捨てるソフィアに、フローレインは渇いた笑みを浮かべる。欲目と言いたいところだが、自分も兄と幼馴染が揃ってそれぞれ秀でていたので、その気持ちもまあわかった。
ともかく、万が一訪ねて来られることがないわけではない、ということも理解した。
「ソフィアの言い分はよくわかった。何事も起こらないと断言はしないわ。だからそうね、もしも何事かあったら……」
もしも――何か天変地異が起こって、自分に妃の可能性が兆したら。
フローレインはいたく真剣そのものの顔で考えた後、きっぱりとした口調で言い切った。
「土下座して許して貰う」
「何しに来たのあなたは」
ソフィアの返答は冷ややかだった。それは当然のことだろう。聖宮に集められるということは、それを了解の上で来ているということのはずだ。土下座などという手段はともかく、その役割から逃れようとは前代未聞だろう。
フローレインは急にしどろもどろになりながら返す。
「あんまり、こ、子供を産むつもりでは来てなかったかな……」
「どうやったらあなたみたいなお間抜けの生娘に育つのか知りたいわ……」
「ええ、ええ。いつか見せてあげるわよ。きっと納得すると思うもの……」
ちょっと底意地は悪いがそれを補って余りある美形の兄と、口振りは素っ気ないがそれ以上に大切に扱ってくれた幼馴染に会わせれば、もう説明はいらないほどだろう。
自分が思っていたよりずっと事態は重かったらしいとようやく気付き、フローレインは自分のこめかみを押さえながら力なく呟いた。
「どうしよう私、ここに来て今が一番後悔しているかも……」
「そうね、悔いた方がいいと思うわ。自分の愚かさを」
悲しいほどに返す言葉はなく、フローレインは大人しく「はい」とだけ答えた。
© 2019 sasori_bi
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