或る軍人の追憶 12
© 2019 sasori_bi とうに時間は日付を越えていた。
一時的に重く圧し掛かってきた眠気は、今やその頂点を過ぎてすっかり覚めている。
何度も達して、眠気と疲労で理性を手放したイージアスは、もう自分で何を口走っているのかも自覚がないようだった。啜り泣いて、無意識のうちに嬌声を押し殺しながら、時折甘く拒絶を紡ぐ。
「――……ッあ、むり、だ……」
ぼろぼろと涙を零して、顔を隠すこともできないまま。泣きじゃくる彼の顔を飽きもせず眺めて、ウルスラは冷たく問い詰める。
「止めていい? おいやでしょう? ……ほら、ここ突き上げると、溢れてくるの、わかるでしょう。止めて欲しくないくせに」
「ッ、あ……、う……」
「駄目でしょう、逃げないで下さい。腰、引けてますよ。ちゃんと振って」
散々に強いて、過ぎた快楽をその上求めさせた。無理だと弱音を吐くイージアスを言葉でねじ伏せて、欲に任せて好き勝手に苛んだ。最後にはもうほとんど声もなく朦朧として、気が付いた時には気をやっていた。
深く日の傾いた深夜、すっかり目が冴えたウルスラは、ぼんやりとイージアスの寝顔を眺めた。
長く王都に残した代償に、明日――もう日付が変わって今日か――一日を自分にくれると約束させた。少し眠って、何か食べたら、また同じことをするのだろう。そんな怠惰に彼を付き合わせることが後ろめたく、そしてやはりそれ以上に誰にともない優越感が勝った。
なんとはなしに視線を背け、寝台脇の壁に据えられた、小さな灯り一つを頼りに、ウルスラはそばに置かれた洋紙に手を伸ばす。墨を含ませたペンで、書類に彼の代筆を書きつけた。王都に上がったばかりで何かと多く持ち込まれたようだが、こうした雑務はウルスラの仕事だ。裁可はイージアスに尋ねてある。それに従って可否を書き込んで戻してやるだけだ。
手慰みに黙々と洋紙の山を減らしていると、不意に隣でもぞりと動く気配がした。
視線を落とせばイージアスが身じろぎ、ゆるりと目を開いた。そして、ウルスラの手にあるものに気付いたように、口を開こうとしていた。
だが、その唇が言葉を紡ぐことはなく。
「……ッ……」
「ああ、水ですね。そうでした」
声が出なかったのだ。
そのことに気付き、ウルスラは洋紙を横に置いて、水差しから器に水を注いだ。そのまま自分の口に運ぶと、一口含んでイージアスの唇に重ねる。開かせた唇の合間からそっと流し込んでやると、こくり、こくりと喉が何度か上下する。
何度か咳き込んだ後、イージアスは泣き腫らした目で見上げてきた。
「……何時だと思ってる。寝ろ」
自分だって疲れ果てているくせに目を覚ましたりして、人のことを言えないのでは。
そんな思いに駆られながらも、ウルスラは反論せずにゆるりと笑う。
「興奮しちゃって寝れないんです。寝かしつけてくれます?」
「殴っていいなら、望むようにしてやる」
「半殺しってことです? ひどいなあ」
イージアスは眠気を振りほどけない重々しい仕草で、自分の目に掛かる髪をくしゃりと掻き上げる。
「今さら子供ぶるな。いい歳した軍人が」
「おかげさまで、と申したらいいですかね。あなたに拾われてなかったら、この歳まで生きていたか怪しいもんですし」
「……馬鹿なこと」
イージアスは否定しきれなかったようで、歯切れ悪くそれだけを言った。
ウルスラはジオ様、と呼び掛ける。わずかに甘えを含んだ声は、思いのほか頼りなく響いた。
「読み書きもできるようになりました。言葉使いも、まあガレシアの国民として不自然はないでしょう? あなたの名代としての務めも、そこそこ果たせているのでないかとも自負しております。自分の身も守れます。……全部、あなたがいるから」
イージアスのもとに居ついてから何年も、たくさん勉強をした。不慣れな大陸の共通語も正しく覚え直した。言葉使いの癖も矯正したし、読み書きも数学も、ガレシアの歴史も数多の魔法も、ついでに不本意ながらブリード教の教典も覚えた。振る舞いも改めた。――たくさん色んなことを学んだ。他ならぬ彼のそばを選んだ義務だった。
ウルスラの急な話に、彼は怪訝な顔をする。
「この上、褒美でもせがむ気か」
「下さるのなら是非に」
「言っただろう。俺が持っているもの、全部だ。いつか全部やる。約束は違えない。それ以上は、どうやっても出ない」
「要りません」
約束をされている。彼の地位も領地も財産も、そのすべてを継ぐのは自分において他にいない。始めに彼が言った通りだ。血縁がいらないと。その名目になってくれるなら、持っているものすべてをくれると。
欲しいとは思わなかった。どうでもよかった。ただもう少しこの、子供に対してさえ偽りもおためごかしも言わない、潔白な男のそばにいたかった。この男が自分に与えてくれるものなら何でも心地よかった。けれど。
「子供だったから、俺は少し間違えてしまったみたいです」
言葉を間違えたのか、自分の思いが定まっていなかったのか。両方かも知れない。彼に向って放った遠い自分の言葉を、ウルスラは改めて訂正した。
「あなたがくれるものなら何でも欲しいなんて、間違っていたみたいです。だって、あなたのものなんか何も要らない。欲しくない」
「……なら、何を」
「俺が欲しいのはあなただ」
自分に名前を付けるのも、彼でなければ嫌なのだ。他ならぬ彼が、自分のためだけにくれるものがいい。爵位や領地、財産などという代わりの利くようなものでは駄目なのだ。――彼でなければ。
「あなたの全部だけが欲しい」
イージアスの手を握る。縋るように力を込めた。ここにあるという確認のように。
「心配を……いたしておりました。ずっと」
少ない便りをよすがに、彼の無事を確かめては安堵していた。不安だった。何事もないことを誰にともなく祈っていた。
イージアスが「馬鹿だな」と顔色を曇らせる。けれど、それでもまだ心は安らがない。
「俺の目が届かないところで、死んだりしないで下さい。俺より先に死なないで下さい。もしも本当にどうしようもなくなって、誰かの手に掛からなければいけないような状況になった時は……あなたの命を俺に下さい」
掴んだ彼の手を額に押し付ける。
「他の誰にも渡したくない」
どうしようもなくて、生きていることができないのなら、せめて最期の彼の目に映るものが自分であって欲しい。他の誰かに彼の命を奪われるぐらいなら、自分の手で終わらせたい。
俯いて動かなくなったウルスラをどう思ったか。
イージアスが身を起こした。そうかと思えば背中に腕を回され、抱き寄せられる。
彼の肩口に顔を埋めるような格好で、ウルスラは彼の宥めるような優しい声を聞いた。
「馬鹿。ガレシアはやみくもに命を狙われるような剣呑な国じゃない」
「……そんなこと、知っています。ガレシアが平和ボケしたぬるい国だってことも、ここ数十年戦争の火の粉を浴びていない国だってことも、異端者が秘密裏に死んでいく国だってことも……昨日まで会話していた人間が、次の日にはころっと死ぬことも」
馬鹿馬鹿しいほど、あまりに簡単に。
身に染みて知っている。ぬるま湯に浸って簡単に忘れてしまえるような、生易しい生き方をしていない。
「知っていますから」
「……厄介なやつ」
「知ってて拾ったんでしょ。ひどいこと言わないで下さい。傷つきますよ」
「……まったく……」
イージアスにこつんと頭をぶつけられる。長い髪が頬に掛かるくすぐったさに、ウルスラは目を細めた。
「本当に俺はお前に甘くて、困る」
「一体どこがですか……」
「生きてるだろう。そう不安がるな」
抱き締める腕に力が込められる。夜に怯える子供をなだめるような優しい腕に、ウルスラはほっと息を吐いた。
三度目は裏切らないだろう。今度は形があって、姿もあって、言葉もある。
「俺のかみさま」
何かに縋りたい時に思い浮かべるのは、彼の他に思いつかない。きっと皆が仰いでいたものは、そういう存在だったのだろう。自分にとっての彼のように。
「今回の登城も、万事つつがなく済んだこと、無上の幸甚に存じます」
何事もなく再会できたことを、今さらながらしみじみと実感しながら。
「待っておりました。ずっと」
「お前は、本当に……」
そう溜め息を吐いたかと思えば、一度口を噤んだ。
何事かと思って顔を覗き込むと、瞼に口付けられた。とっさに目を瞑り、視界が遮断される。
その隙にイージアスは小さくウルスラに囁く。表情が見えなかったせいか、その声は心なしか、どこか慈しみが滲んでいるように感じた。
「ただいま」
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