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「ああ、もう、うるさいなあ」
小さくつぶやいたと思った声は意外と大きかったらしく、騒がしかった教室が、一気に静まり返った。恐る恐る周りを見渡すと、教室にいる連中の気まずさと反発の入り混じった視線が、俺に突き刺さる。壇上でつまらない講義を繰り広げていた講師は急に静まり返った教室に目をぱちくりさせると、また眠そうな声でつまらない講義を再開した。俺は小さく肩をすくめると、つまらない講義に耳を傾ける。優等生ぶってる、とかうざい、とか周りにいる連中には思われているだろう。もちろん、それは間違いじゃあないから否定はしない。ただ、どんなにつまらない講義でも受ける権利はあるし、俺は講義中にやかましいのが嫌いな質なんだ。
「カッキー、やっちまったな」
隣に座っていた友人がおかしそうに言うのを無視して、俺は小さく舌打ちする。
やっぱり、大学なんてくだらん。
俺の名前は
俺自身を表すとこんな言葉ぐらいでしか表せない。周りの連中はやれ唯一の特待生だとか、優等生だとかはやし立てるがさほど興味はない。成績優秀、無遅刻、無欠席だが、それは学生として当たり前のことだし、それ相応の評価を大学側からもらっている――と、自分では思っている。(そういう態度が周りからやっかまれる原因ってのも承知している)
友人は数人程度いるし、一応彼女もちゃんといる。人並みにいい学生生活を謳歌している筈だ。
……が、正直に言って、ちょっとつまらない生活を送っているなと思う。まあ、一般的な学生生活なんてこんなものだろう。あまり過剰な期待はしていないが、それでもこの何も起こらないような平穏な日常に多少のスパイスがほしいという気持ちはある。そんな気持ちから俺はこの春、何とも不可思議なサークルに入ってしまった。
このことが、一連の事件の始まりだったのかもしれない。
……なんて、な。
ことの始まりは、大学2年が始まったばかりの4月のことだった。
その時変わったことといえば、俺や周りの連中が大学2年生になったこと、俺たちに後輩ができたことぐらいで、周りの連中は緊張の面持ちに包まれている新入生を眺めては、去年の自分たちを思い出しているか、かわいい子を見つけているかしかしていなかった。
「なあなあ、カッキー。あの子かわいくね?」
友人が教室移動の際に一人の新入生らしき女の子を指さして、俺の耳元でこっそりささやく。ちらりとそちらに目を向けて、さりげなく観察をする。背は平均より小さめで大人しそうな印象の子だ。外見はとても大学生には見えず、少し幼い印象を受ける。肩でそろえたまっすぐなショートカットが余計そんな印象を与えているのだろうか。
ちなみに俺は友人たちから「カッキー」と呼ばれている。
「んーそうか?」
かわいいといえばかわいいかもしれないが、少なくとも俺好みではない。そう伝えると、友人はつまらなそうに「彼女持ちは言うことが違うよな」と言い始めた。
馬鹿馬鹿しい友人の言動を無視して、先ほどの女の子をもう一度ちらりと見やると、向こうもたまたまこっちを見ていたらしく、目があってしまった。目があった瞬間に、女の子は顔を真っ赤にして、慌てて視線を逸らす。
そんなに慌てることもないと思うが。
「なあ、カッキー聞いてんのかよー?俺にもかわいい子紹介してくれよー」
「知らん」
「冷たいなー友達だろー?」
「俺には女子の友人が少ないの、お前も知ってるだろ?それにサークルにも入ってないしな」
「そこが不思議だよなー。カッキー、球技大会の時すげえ運動神経よかったじゃん。バスケでバンバンシュート決めて、女の子の視線一人で持ってってたよな」
「運動は確かに得意なほうだが、別にサークルに入ってまでやりたいと思わないんだよ」
「もったいねーなー」
友人は、だれかれ構わず配っているサークルのチラシをひょいともらい、俺に押し付ける。
「ほら、こういうサークルに入って、青春して、俺にかわいい子紹介してくれよ」
「自分で探せばいいだろ……」
押し付けられたサークルのチラシを見ると、それはカバディ部だった。カバディ部でどう青春しろというのだろう。考えようによっては青春できそうだが。
「やっぱり新入生が入ってくるこの時期はサークル勧誘多いよなー」
友人の言葉にあたりを見渡すと確かにどこもかしこもサークルの勧誘で立っている人ばかりだった。中には見かけたことのある顔ぶれもいる。去年のこの時期もしばらくはこんな感じで、よく声をかけられたことを思い出した。
「いったい、うちの学校にはいくつサークルがあるんだ?」
「さあなー。運動系なら一通りそろってたはずだぞ。確か、バレー、バスケ、サッカー、ゴルフ、水泳、アーチェリー、フェンシング、カバディ、テニス……それぐらいか?文化系はもっとあると思うけどなー。中には非公式なものも」
「……そりゃよりどりみどりでいいわ」
アーチェリーにフェンシングなんてものがあるのには驚きだった。マイナーなものから、ポピュラーなものまで一通りあるらしい。それよりも友人がそれだけ知っていることに驚いた。
「お前こそ、どこかに入らないのかよ」
友人にそう言うと、彼は笑いながら「実は声楽部なんだな」と得意げに言った。
「声楽部?これまた意外だな……」
こいつが声楽に興味があるなんて思わなかった。というより、今までずっとサークルには入っていないと思っていた。いつも遊ぶことしか頭にない奴で、毎日のように遊びに誘ってきたからな。いったいいつ、サークル活動してたんだ?
首をかしげて考え込んでいると、友人はバツが悪そうな顔で頭をかきながら「幽霊部員だけど……」と言う。
「サークル出てなかったのか」
どおりで毎日、暇そうにしてるわけだ。妙に納得してうなずく。
「可愛い子多いから入ったんだけどよー練習毎回あるし、くそ真面目だしで、全然出てねーわ」
「本当、適当だよな、お前」
「うっせ、カッキーがくそ真面目すぎんだよ。あーあ」
友人の言葉を受け流しながら、腕時計に目をやると、いい時間になっていた。
「悪い。俺もう行くわ」
「ん?この後1コマ空きじゃなかった?」
「ああ。彼女もこの後空きコマらしいからちょっと話せないかって連絡来たんだよ」
「はあああ?なんだとけしからん!俺にもいい加減紹介しろよ」
「また今度な」
縋りついてくる友人を振りほどくと、小走りに急ぎながら待ち合わせ場所の旧館へと向かう。
うちの大学、は新館、別館、旧館に分かれている。旧館は古い建物で使われていない空き教室も多く、そのうち取り壊すのではという噂もある。今はほかのサークルや部活の活動場所の一部であったり、物置になっているらしい。授業で使うことはめったにない。新館は1号館〜10号館まであり、それぞれ学科や授業ごとで分かれている。別館は主に専門機器などが置いてあり、授業などで使う特定の人がよく通っている。そんなわけで旧館には人も少なく、逢引の場所にはぴったりだ。……すまん、今のは冗談だ。
旧館の入り口まで来ると、長い黒髪を靡かせながら旧館を見上げる彼女がいた。薄い黄色で花柄のワンピースがよく似合っていて、少し繊細そうな印象を受ける。思わず見惚れそうになりながらも早足で駆け寄ると、声を掛ける。
「真美。ごめん、遅くなった」
俺の声に彼女は振り返ると、少しだけ口角をあげて首を横に振る。
「んーん、平気。こっちこそこんなとこに呼び出してごめんね、斗真くん」
彼女は
出会ったのは去年の秋で、今日みたいに旧館を見上げて涙を流していた彼女に声を掛けたのがきっかけだった。
彼女はこの旧館になんらかの思い入れがあるらしく、学内で会うときは必ずここを指定される。
俺にはよくわからんが、なんとかというミステリ小説に出てくる校舎とうり二つらしく、見つけたときには感激のあまり泣いていたと話してくれた。ちょっと変わったところもあるが、可愛いし、可愛いし、可愛い。
「斗真くん、走ってきてくれたの?」
汗かいてるよ、とカバンからハンカチを出した真美はそのまま俺の額をぬぐう。
「や、いいって。汚れるし。それに走ってないし。急いでないし。ただ今日は暑いから汗かいてるだけだし」
早口でそれを伝えようとすると、真美はおかしそうに笑う。
「はいはい。でも汗は拭いてあげる」
真美がハンカチを当てるたびにいい匂いがしてきて、眩暈がする。そんな感情を誤魔化すように、俺は一つ咳払いをして姿勢を正すと、真美に問いかける。
「んで、さっき連絡してきた話したいことって何?」
「あ、そうそう。ね、斗真くんこれ見て」
真美は俺を旧館前の掲示板へと連れて行くと、そこにべたべた貼ってあるポスターの一つを指さした。
掲示板にはサークルや部活の紹介ポスターが乱雑に貼ってある。あからさまに関係ないのは、学生会が見回ってはがしていると聞いたが、その中に少し黄ばんだポスターがあるのがわかった。いつから貼ってあるんだろうか。他のポスターに紛れていて気が付かなかった。
『stranoへようこそ。周りで不可思議な体験をした、奇妙な事件が起こった、変わったものを見かけた方がいましたら、stranoへお越しください。美味しいお茶とお菓子をご用意して待っています。メンバーも歓迎です。旧館3-1明星』
「……随分と変わったサークルだな。何て読むんだ?すとらの?」
「ストラーノ。イタリア語で奇妙なって意味ね」
賢い彼女を尊敬する。第2外国語は今学期から習うのに、イタリア語なんていつ習ったのか。不思議そうな顔をする俺に気付いたのか彼女は「本で見かけたことあるだけ」と笑った。
「イタリア語に詳しいわけじゃないから喋れないよ?」
「びっくりした……あ、もしかして第2外国語イタリア語とってる?そしたら俺と一緒なんだけど」
「……あー、ごめんね。友達に誘われてロシア語にしちゃったの」
「ロシア語ってすげえ難しいって聞いたけど……」
「うん……断り切れなくて。勉強頑張らなきゃね」
そんな他愛もないことを話し合いながら、ふと本題からそれたことに気が付いた。
「そんで、このストラーノ?っていうサークルがどうかしたの?」
「そう!それ!」
真美はぱぁっと顔を輝かせると、両手で俺の手を握り締める。
「面白そうじゃない?」
「え?」
「斗真くん、興味ない?よかったら一緒に入らないかなって……」
「や〜……興味というか、何をするか分かんなすぎない?」
正直に言うと彼女がそんな怪しいサークルに入るのはオススメしたくない。というか興味もない。
「これからね、その活動内容聞きに行こうかなって思ってるんだけど……」
上目づかいでこう言われると男は弱い。それが可愛い彼女からの言葉なら頷く以外の選択肢はない。
「……俺も暇してるし、行こうか」
「本当に?ありがとう!」
嬉しそうに笑う真美と一緒に俺は旧館へと足を向けた。
重いガラス戸の扉を押し開けると、少しだけ埃っぽいにおいがする。ちゃんと掃除されているのだろうか。
「ええと、確か3−1教室って書いてあったよね……」
旧館にはエレベーターがなく、階段しか備わっていない。建物は3階建てで、木造でできている。築何年か分からないが、震災対策とか大丈夫なんだよな、これ。そんなことを考えながら、扉からすぐ正面にある大きな螺旋階段を上っていく。足を踏み込む度にかすかにキイキイときしむ音がする。普段はほかのサークルや部活の人で多少は賑わっているものだと思ったが、今はどこも授業中なのか、しんと静まり返っている。
「そういや、今の時間に尋ねても誰かいるのかな」
「さあ……?でもポスターには特に曜日とか時間の指定はなかったよね」
そんなことを話しながら3回にたどり着くと、階段の右横すぐの教室のプレートに「3−1」と記載があった。
ドアは締まっていて、小さいガラス窓から覗いても薄暗くて人がいるかが分からない。ここで立ち止まってても仕方ないと思い、軽くドアをノックする。返事はない。ドアノブを押すと、あっさりとドアは開いた。
「失礼します」
「お邪魔します」
小さい声で挨拶をしながら薄暗い教室の中へ入る。電気はついておらず、窓から差し込む光だけが教室を照らしていた。
「やあ、お客様とは珍しいね」
突然かけられた声に驚いて、数歩後ろへ下がってしまう。真美が背中を支えてくれて、転ばずに済んだ。
よく見ると薄暗い教室の真ん中にいくつかの机といすが並べてある。その真ん中の椅子にその男の人は座っていた。
無造作の黒いぼさぼさの髪に黒縁のメガネ。ジャージの上になぜか白衣をまとっている。
「いらっしゃい。君たちは僕にどんな話を聞かせてくれるのだろうか」
それが忘れもしない、明星京一郎との出会いだった。