────やらかした。


加賀美ハヤト28歳、完全に”やらかした”。
現在時刻は23時。社長室で携帯の時刻表示を見たとき、頭を抱えた。
そういえば前にもこんなことがあったような。グッと集中して仕事を終わらせようと思ったんだ。そこまでは良かった。そこで然るべき時間にアラームが鳴るようにするまでしておけば完璧だったのに。つい捗ってしまってできる仕事を次々とこなしてしまった。おかげさまで、向こうしばらくは残業とは無縁だろう。────いや、いや、問題はそこではないのだ!仕事を早く終わらせようとしていた理由そのものを忘却していたことに問題があるわけで、しかもその理由は可愛い彼女のためだったのに。


彼女はまだ17歳だ。11歳も年下と付き合う未来があるなんて過去の自分が聞けば卒倒モノだろうが、好きになってしまったものは仕方ない。彼女が大人になるまで様々なことは我慢し、大人になっても一緒にいる決心や心構えがあったから彼女にしたわけであって、だからこそ誰よりも何よりも大事にしているつもりだ。こんな失態の後では何の威厳もないが。……葉加瀬さんは年齢のわりには妙に大人びていて(年相応な部分はとことん年相応なのだが)、私を困らせるようなことを言わない。今日のような私側の失態だとしても、詫びを入れればきっと彼女は「いいよ。仕事忙しかったんでしょ?ちゃんといいとこまで終わらせられた?」なんて、こちら側の心配までしてくれるのだ。なんて出来た子だろう。本当に可愛い。


そろり、とメッセージアプリを開く。案の定だ。『仕事お疲れ。気にしなくていいから、帰り気を付けて運転するんだよ』。彼女からはそう送信されている。出来た子であるが故に、こういう大人びたことを言われるのに非常に申し訳なさを感じる。自分の前でくらい、年相応に甘えて欲しいのだが。ゲームでうまくいかなかった時のように、ひどく憤慨して欲しい。何なら多少殴ってくれてもいい。それでないと罪の意識がなお一層強いというか。………いや、自分に頼り甲斐がないのだろう。こんなことで彼女に気を遣わせている時点でそうに違いない。ため息がどんどん大きくなる。彼女の行動で自分の罪の意識を軽くしようとしている時点で終わっている。


本来ならば、今日は私の仕事が終わり次第一緒にご飯の予定だった。お互いの予定を擦り合わせ、久しぶりの、………デート、だったのに。『ただの食事であろうと、特別な場所でなかろうと、ちょっとコンビニ程度だとしても一緒にどこかへ行くならどこでもデートだよ。私、一緒にいるのが楽しいから。』なんて軽く、さらりと言われた時には胸が痛かった。私の葉加瀬さんがこんなにも可愛いです、助けて。


玩具会社は繁忙期が決まった時期に必ずくる。ご存知、クリスマス商戦だの、お正月だの、大型の休みに備えてのアプローチだの。この時期は本格的にそれらにぶち当たる前の貴重な閑散期で、今後のことも見据えてできることを潰した上で楽しく逢瀬の時間を楽しむ予定が台無しだ。全て自分が悪いが、ここまでくると自分を恨んでも恨み切れそうにない。



荷物を纏め、コートを羽織る。気がつけば社長室の外のフロアにも誰も居ない(残っていたらそれはそれで大問題なのだが)。扉にセキュリティを掛け直し、車を止めた駐車場へ向かう道すがらに電話をかける。当たり前だが、今日は配信の予定もないので前以っての確認も不必要だ。1コール、2コール、3コール…出た。


「………はい。」


ほんの少し、ほんの少しだけ、声色が不機嫌そうだった。一番合う表現をするとなると、「ぶすくれている」。こんな時に何だが、あまり聞いたことのない声でほんの少しだけ胸が高鳴った。どうしよう、可愛いかもしれない。怒っている相手に何を、と思うのも最もだが、正直、これは可愛い。珍しく拗ねてくれているし、珍しく拗ねを前に出している。


「あの、本当にすみません。夢中で仕事と戦ってしまって、」


「わかってる」


「……あの、………もしかしなくても拗ねてます?」


「うるさいな」


あー……やっぱり怒っているし拗ねている。仕事ってわかっているけど、わたしは怒ってるんだぞ、と声が言っている。怒らせて、寂しい思いをさせたことに反省すべきなのに、可愛くてたまらない。時間も時間なのでまた今度にしましょう、という言葉が上手く出てこない。自分の意思とは真逆の言葉だから、喉元で痞えている。謝罪と、提案と、言い訳と、代替案と。いろんなものが頭の中を駆け巡ってはいるのに、何一つとして音になってくれなかった。


「………冬雪さん。あの、今から会いに行っても宜しいでしょうか?」


滅多にしてこなかった名前呼びをしたくなってしまった。電話越しにほんの少し狼狽したような声が聞こえる。ああ、また私は彼女を困らせているな。こういうところがいけないって、前に言われたっけ。

「ぅえ、…い、まから………?」


「家の前まで車で行きますから、ほんの少しでも。私が会いたいんです。ダメでしょうか。」


本来ならとっくに寝ていて欲しい時間だ。明日だって予定もあるだろうに。それでも、可愛い恋人の可愛い行動に乗じてこちらが甘やかしてやらなくて、何が恋人だろうか。車に乗り込み携帯をホルダーにセットした。「今から向かいますから。お家の中で暖かくして待っていてくださいね。」と一声かける。彼女からの返事はない。今頃きっとそわそわと服の袖を掴み直し、何とも言えない表情をしているのだろう。彼女の癖だ。



「………わかった。待ってる。気をつけてきてね。」


ぽそり、と意を決したように呟かれた言葉ののち、通話が切られた。
大方、初めて自分の気持ちを全面的に出したはいいが気恥ずかしくなり、その上今から会うことに対しての心構えのためといったところだろうか。彼女には悪いが、やはり可愛らしくて胸が痛い。


本当ならコンビニにも寄りたいけれど、そんなことは後回しだ。一番初めにご機嫌を損ねた可愛い可愛い彼女を甘やかしに、俺は車を走らせた。会ったら何をしようか。謝って、頭を撫でて、ご所望なら、許されるならばだけれど抱きしめるくらいはしてもいいかもしれない。素直になってくれた彼女にそれくらいはしたっていいだろう。ほんの少しの背徳と、期待と、下心と言われても仕方のないようなものたちと一緒に、彼女の住む吹き抜けのある家まで。たどり着くまであと15分。

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