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加賀美さんは百面相のままだし、誰だか知らないおじさんは爆笑したままだし、緑はキョトンとしているし、私は加賀美さんの前で緑に腕を掴まれてるしでめちゃくちゃだ。加賀美さんの耳が赤い。



「うわーめっちゃ面白いな。緑仙、こいつな?」


「ちょっと!辞めてくださいよ!恥ずかしいじゃないですか!」


「え?まじで何?わからんのだけど」


あー…なんとなく察してしまった。緑は、“緑仙”という名義でそれなりにキャリアと知名度のあるボーカルだ。ネットでも結構有名で人気があるしSNSとかに載せる写真では顔にスタンプしてあるけどライブでは普通に出している。緑のファンであれば、顔を見ればすぐに緑仙だとわかるだろう。かなり意外だけど多分加賀美さんは緑のファン、ということなのかもしれない。あー、とかうー、とか言いながら加賀美さんは言葉を選べずに苦しんでいる模様だ。


そんな様子に緑もなんとなく察したのか、「………僕のこと知ってるの?」と問いかけた。年上にも敬語がゼロなのがまたらしい。加賀美さんは口元を隠していた腕を退け、「ええ、あの、はい………。」と観念したかのように言った。やっぱりかあ。

「ハヤトくんさあ、すごい緑仙のファンなんだよ。前のワンマンとか行ってたし。」

「へえー。ありがとうございます。僕全然対応した覚えないんで多分僕と喋ったことないですよね?」


「この様子だから物販も開演前に済ませてるし、終演後緑仙が出て来るまでには帰ってるんだってさ」


筋金入りの接触苦手オタクすぎて、思わず私は吹き出してしまった。釣られて緑も思わず笑う。緑は律儀なタイプでかなり自分のファンを覚えているほうらしい。女の子のファンの方が多いから男性は特に覚えているはずだ、こんな目立つ見た目なのだから尚更。

「………緑仙さんの歌声がすごく好きでして。あの、今日はどなたをご覧に…?」


「いや葉加瀬と一緒な時点でわかるでしょ…えーと、加賀美さん?がいるバンドなんだけど」


ひえ、と小さな悲鳴をあげて加賀美さんがまた顔を隠してしまった。この人、こういうところもあるんだ。相当モテるだろうな、男女ともに。正直ちょっとかわいいなあと和んでしまう。説明を求めるように私の方をちらり、と見てくる。あ、緩んだ顔を見られたかもしれない。


「緑仙に話したんです、このあいだのこと。初めは知らない人に着いて行くなって怒られたんですけど、こんなバンドだったよってMV見せたら興味持ってくれて。私も一人じゃ寂しいし、どうかなと思って誘ったんですよ。」


「加賀美さんめっちゃいい曲書くね。普通に気になってさ。今日楽しみにしてるから。」

緑はにっこりと微笑むと、私の腕を引いてフロアへと向かう。置き去りにされた加賀美さんは相変わらず百面相のままで、男の人に笑われている。そりゃそうだ。普段あんなに澄ましている人がこんな風になるの、笑うしかない。ほぼ初対面に近い私でもいま笑いを噛みしめている。


緑はフロアへ到着するとニヤニヤしたまま「ねえ見たあの顔、おもろかったなー。」と言った。自分のファンだとわかった瞬間に弄りだすの本当にいい性格してる。正直面白かったから「緑ファインプレー」って返しちゃった。ごめんね、加賀美さん。



そのまま緑とフロアの中でなんとなく喋っていると、さっきの関係者っぽい人がふらりと近づいてくる。

「いやあ、面白かったね。まさか緑仙が今日来るとも思ってなかったし、ハヤトの驚きようが最高だった。」


「全然存在を知らなかったけど、僕のオタクにしては珍しいタイプで面白かったな」


緑はくく、と笑いを噛み締めながら呑気に言った。さすが、自分のファンを多く持ってる人はあしらい方が上手いというか……。トコトン緑は自分の人生を楽しんでいる感じがして羨ましい。

「で、そっちの女の子は?ハヤトと知り合いっぽかったけど。」

突然振られてびっくりしてしまったけど、私はおおよその経緯を話す。むしゃくしゃして行き着いた先がたまたまライブハウスだったこと、その入り口で声を掛けられたことを話す。するとおお!と声をあげて、「君が噂の子か!」となぜだか嬉しそうに言われる。え、私音楽業界で噂になるようなことしてないんだけどな。私が不思議そうな顔をしていると、その人は笑いながらも説明してくれる。


「や、こないだハヤトの人誑しがついに見知らぬ女の子にライブ見せるまでになったってバンドのメンバーから聞いてさ。ほんとすぐ色んな人に優しくするから、アイツ。」


「うわめっちゃ人誑し感あるじゃん加賀美さん!わかるわー」


即座に緑が答えていたけど、なるほど確かに。人誑しと言われると全て合点が行くというか…妙に優しかったのも頷ける。多分っていうか絶対すごい同性にも異性にもモテるんだろうな、って思うのも何回目か。完全に個人の趣味だけどロリっ子を助けて仲良くしてるところに遭遇とかしないかな。いいお兄さんっぽいし。


「うわあ、めっちゃわかります。なんで見ず知らずの私にそこまでしてくれるんだろうなって思ってたんですけど、人誑しって言われたら…全部合点いきますね。」


「だろ〜?」


そのあといくつか人誑しエピソードを聞いたけど、ちょっとえげつない。なんていうか、お人好しが過ぎるというか…。よくそんなに他人に優しくして自分がしんどくならないなレベル。


この間会ったばっかりの人にそれっぽいもクソもないかもしれないけど、聞けば聞くほどウマ味のある(おたくとして楽しい)人だなあ、なんて呑気に思ってしまった。


チラリ、とステージを見やると、ちょうど次のバンドが演奏の準備をしているところだった。あの妙な高ぶりをまた感じられるのかと思うと少しドキドキする。思わず握った服の袖を爪で引っ掻いてしまった。