勝負する話
原題:伏黒恵と罰ゲームをかけて勝負する話
恋のゲームは落ちた方が負けだなんて、よく言ったものだ。
その日は体に水分を入れたそばからすぐに出ていくほど蒸し暑く、自分の口から出る言葉全てが飲まれてしまいそうなほど蝉が五月蝿い、そんな夏の日だった。
だからその顔に宿る逆上せるような熱も、回らない頭も、帰ろうとしていた彼女の腕を思わず掴んでしまった手も、全部全部照りつける日差しがアスファルトを焦がしているせいで、俺の意識の管理下で起きたことではなかった。
「……恵? どうしたの?」
蝉が、五月蝿い。
それでも彼女の声は、そんな音の嵐の中にあるわずかな隙間をいとも容易くすり抜けて、確実に俺の鼓膜を震わせた。
「……先輩。アイス、食ってから帰りませんか」
そもそも衝動的で意味のない行動だ。不思議そうに見つめるその顔に、気の利いた回答なんて何一つ出やしない。手にじんわりと滲む汗は、この早鐘を打つ心臓のせいか、はたまた気温のせいか。
「アイス。いいね、食べよう。アタリが出た方が勝ちね」
「なんでアンタ、いつも何でも勝負にしたがるんですか。しかもアタリつきって種類かなり限られてくるんですけど」
「だって、物事にはスリルが必要でしょ」
スリルが必要、という口ぶりから察するに、彼女は��いつも通り�≠アの勝負に罰ゲームを課すつもりらしい。それはどんな些細な賭け事にも適応される謂わば彼女の自分ルールで、術式を使う際にもその縛りにより呪力を増幅させているのだと、出会ってすぐの頃に聞かされた。
「……で、無難にガリガリ君ですか」
「うーん、ピノも好きだから迷ってるんだけど。こっちも星形のが出たりするでしょ。でも分かりづらいかなって」
悩む彼女の横顔は真剣そのものだ。しかし、普段思い切りの良い彼女がいつまでも足をレジに向かって踏み出さないのは、つまり本当に手元の水色のアイスとその星形が出るという六つ入りのアイスのどちらにするかを考えあぐねているのだろう。
「じゃあ、俺がピノにするんであとで何個かどうぞ」
「……え、いいの?」
「別にそんなこだわりないんで」
本当にアイスが食べたかったわけでもないですし、という言葉が出かけて、慌てて飲み込んだ。素直に喜んでいる彼女の手からその小袋をひょいと取り上げ、レジで会計を済ませる。「先輩なんだから払わせて」と財布を出そうとする彼女を手で制し、「言い出したのは俺ですから」と返せば、まだ少し納得いっていないような顔をしながら渋々頷いた。
「で、二人とも当たらなかったらどうするんですか? これ」
「当然、二人とも罰ゲーム」
「それもう勝負じゃないですよ」
店を後にしながらの会話で、楽しそうな顔に冷静にそう突っ込んでみれば、彼女はニコニコ笑いながら「細かいことは気にしない気にしない」と封を開けた。
外は相変わらず蒸し風呂のような暑さだ。
手元の冷気に救いを求めるように同様に封を切ろうとしたところで、俺の方は開けたその場でアタリかハズレかが分かってしまうことに気付き、事前に確認しておくべきことを聞くのが優先だと思い立つ。
「罰ゲーム、何にします?」
「……ん〜、そうだな。じゃあ、好きな人を夏祭りに誘う」
「………は?」
思わず口から素っ頓狂な声が漏れてしまう。この先輩はいつも突拍子もないことを言うが、今日のはまた一段とぶっ飛んでいる。
「恵だって男子高校生なんだし好きな人くらいいるでしょ?」
「いや、そういう問題ではなくて。なんでこんな思い付きのアイスだけでそんな重い罰ゲームなんですか」
「え、そんな重い? いいじゃん、こういうのはきっかけが大事なんだし。それより溶けるよ、私の分もあるんだから早く開けなよ」
彼女はそう言って俺の手元を覗き込むと、もう少しでアタリか否かが分かりそうな氷菓をまたひとくち、口に含んだ。仕方なく俺も封を開ける。星形が出る確率なんてものはよく知らないが、こういうときに自分が勝負強くないということだけは知っていた。
「残念。ハズレ、だね」
「……そういう先輩は?」
「……ハズレだねえ」
はぁ、とため息をつく。この結果にたどり着く可能性が一番高いのは、普通に考えれば分かったことだ。だからこそ負けた方の奢りだとか、ジュース一本だとか、そういう学生らしい小さな罰ゲームを課しておくべきだったのだ。
口の中で混ざり合うほろ苦いチョコレートと甘いバニラを溶かしながら、そんなことを考えた。
「先輩も、誘いたい相手がいるんですよね」
「お。��も�≠チてことは、やっぱり恵、好きな人いるんだ」
「……茶化さないでくださいよ。誰なんですか」
「ピノ、一個ちょうだい」
ただの木と化したアイスの棒を手で弄びながら、彼女が俺の手にあるピックを指差して言う。それを無言で差し出せば、嬉しそうに六つの内の一つ──残りの数で言うなら、正確には四つの内の一つ──を口に含み、顔を綻ばせた。
「うん、やっぱりピノは美味しい。雪見だいふくでもよく言うけど、こういう一個一個が貴重なアイスを分けてくれるのって、��愛�≠セよねぇ……」
「なんですか、それ」
調子の良いことを言う彼女にまたやれやれといった風に返してみせたが、本当は見透かされているような��愛�≠セなんて言葉に少しだけ動揺した。
先ほどの質問も有耶無耶にされたままで、この人のこういうのらりくらりとしたところはどこか五条先生に似ていて、なんとなく面白くない。
「……先輩」
「ん?」
「俺と一緒に、夏祭り、行ってもらえませんか」
ジーワ、ジーワと蝉が鳴く。顔から首にかけてが先ほどより数段熱く、彼女の顔は見られなかった。
手元に残ったアイスに容赦なく日差しが降り注ぎ、バニラを覆うチョコレートが少しずつその固さを失っていくのが分かる。
「……恵、こっち向いて」
「今、嫌です」
「いいから、早く」
「なんです、むぐ」
半ばヤケクソに呼ばれた方へ顔を向けると、まだピックを持ったままだった彼女によって、俺の口にアイスが押し込まれた。熱くなる顔の中で、口にあるそれだけが俺の体温を下げようと努めていた。
「そんな真っ赤な顔して考え込んでたら、熱中症になっちゃうよ」
目の前の先輩が「ふふ」と笑う。
こんなにも暑くて汗が滲んでしまうような中で、なぜ彼女はこうまで綺麗なままでいられるのだろうか。いや、彼女の顔や首にも確実に暑いことが窺えるような発汗は見られるが、その笑顔はまるでそんなことを感じさせないほどに無邪気で楽しげだった。
「……実は先日、可愛い浴衣を買いまして。お披露目できる機会を探してたんだよね」
「……そのためにこんな罰ゲームにしたんですか。俺がアンタを誘うのを、分かってて」
「そうなったら良いな、と思ってたのは否定しないけど。恵がアタリを引いたらわたしから誘うつもりだったよ」
「……先輩もハズレでしたよね」
「今の、お誘いの答え且つ罰ゲームってことにならない?」
勘弁してくれとでも言うように片手を顔の前に立てる彼女に、またひとつため息が出る。それが先ほどよりもずっと軽く、嬉々とした意味を含むものであったのは言うまでもない。
好きです、と不意に呟いた言葉は、同じように愛を叫んでいる周囲の鳴き声に掻き消された。それでも少なくとも目の前の彼女には届いたようで、先輩は勝負に勝った時のような少し得意げな笑みを浮かべていた。