独占欲の話

原題:七海建人と独占欲の話


こい‐びと【恋人】
恋しく思う相手。おもいびと。多く相思相愛の間柄についていう。

した‐ごころ【下心】
�@ 心のそこ(で考えていること)。本心。
�A かねて心に期すること。かねてのたくらみ。


「はぁ……」

 東京都立呪術高等専門学校。その敷地内にある休憩スペースで、わたしは人知れず溜息をついた。
 先ほど図書室から拝借した携帯するには些か重すぎる本は、本来今わたしの直面している悩みを解決してくれるようなものではない。こうした単語を調べるのは、別に文字通りの意味を知りたいというわけではなく、これらの言葉が客観的かつ一般的に見てどのように用いられるのかを再度摺り合わせたかったからだ。
 しかしながら、そこに記されていたのは自らの認識が社会的な価値観となんら相違ないことを示す文章のみで、わたしは自分の中の悩みの種がどんどんと成長するのを感じながら机に突っ伏すようにして頭を抱えた。

「あれ、珍しいな」

 ふと、数分間そのままの姿勢でいたわたしの頭上に、聞き慣れた凛とした声が降ってくる。顔を上げなくともその声の主が誰かなどということは理解できるけれど、そんなことを意識するよりももっと前に、わたしは反射的に頭を持ち上げた。

「……硝子」
「休憩するのに辞書を読む人はあんまり見ないけど、一体どういう了見?」

 そう言いながら楽しそうな笑みと共に向かいに腰かけた彼女は、今わたしが何を考えているのかなどとうにお見通しといった様子だ。その証拠に、わたしの返答を待つことなく立て続けに尋ねる。

「七海と寝たことと何か関係あるのかな」
「寝……っ‼ ……はぁ、五条でしょ」
「まあね」

 言葉だけを聞けば明らかに語弊を生んでしまうような表現に思わず動揺しつつもその情報源をぴたりと言い当ててみせれば、硝子は「ふふ」と笑いながら頷いた。

「でも詳しくは聞いてないんだ。それに何か新しい話も聞けそうだし、教えてよ」

 好奇心というべきか、野次馬精神いうべきか。それどころかただの暇つぶしかもしれないが、とにかく目の前の同僚はわたしの現状について少なからず興味があるらしく、相変わらず口角を上げたまま今度こそわたしの返答を待つ。

「教えろって言ったって……そんなに面白い話じゃないよ?」
「いいのいいの。あ、でも待って。やっぱり五条も呼ぼう」
「なんで⁉」
「説明する手間は省けた方がいいだろう?」

 そう言っている間にも硝子は巧みにスマートフォンを操作する。すぐにその画面に見慣れた名前が表示され、やがてこれまた聞き慣れた軽い口調と声が機械越しに耳に届いた。
 曰く、「そんな楽しそうな話、僕抜きで始められたら拗ねるところだったよ」と五条悟。再度頭を抱えるのに十分なその台詞にわたしはまたひとつ溜息をつくと、自身の考えを整理するように、改めて悩みの種──もとい七海建人について思考を巡らせた。



 想い人である七海といわゆる同衾というものをしたのは、もう半月ほど前のことだ。
 わたしを気遣うことに対し「優しさではなく下心」だと言い切った七海は、一般的に言うところの��下心�≠ニいう言葉の意味とは裏腹に、わたしに一切の手出しもすることなく一夜を明かした。いや、一切と言うには少々無視できないような行動があったのは事実だが、いずれにせよ��男女が同じ布団で眠った�≠ニいうワードから真っ先に連想されるようなことはなかった。告白紛いなことを言った割には翌日も七海は至って普通に見えたし、本当に彼はわたしのことを特別視しているのだろうかという疑念を抱いてしまうのは殊更おかしなことではないと思う。
 とはいえ、そんなわたしも数日間は浮かれていた。数年に渡る恋心が実を結んだのだと思ったし、何よりあの七海がわたしと同じような気持ちで居てくれたということが嬉しくて仕方なかった。だからその後お互い見事にすれ違うように任務が続き、碌に顔を合わせることができなくなっても、またどこかのタイミングではっきりとした「好き」という言葉を七海の口から聞けるものだと期待して、それはもう健気にその時を待っていた。

「ところがどっこい、何も言われないまま今日まで来てしまった、と」
「うっ……仰る通りです……」

 揃った同僚二人に事の顛末を話し終えると、わたしはなんとも気恥ずかしいような情けないような複雑な気持ちになる。
 目の前で頬杖をつきながら聞いていた五条は、おそらく想像していた��楽しい話�≠ニは少し違ったのだろう、相変わらず理解が及ばないといった顔をしている。

「いやぁ、予想はしてたけど七海のやつ相当重症だね〜。ま、オマエも大概だけどね」

 せっかく僕がお膳立てしてあげたのに、とわざとらしくぼやく五条の言うことは最もで、わたしももっと早くに自分から何かアクションを起こすべきだったのだと今では思う。ただ、日付が経つにつれあの晩の出来事は次第に現実味を失っていき、もしかするとわたしの都合の良い夢だったのでは、なんて思考もしきりに脳裏を過るようになった。その結果、臆病になったわたしはついにその機会を逃し続けてしまったのだ。

「まぁでも、別に今からでも遅くはないんじゃない?」

 分かりやすくしょぼくれるわたしを見て硝子は一言そう言うと、再び慣れた手つきで手元の端末を操作し、「私も少しだけ協力してあげよう」と目元を細めて微笑んだ。


◇


「硝子も相変わらず人が悪いね」

 そう言う五条の顔を見て「はて」とわざとらしく首を傾げてみせると、五条は「煽ったんだろ? 七海のこと」と愉快そうに笑いながら言う。

「人のこと言えないだろう? 自分だってあんなことしておいて」

 遡ること十数分前、私が七海に一本メッセージを入れたあとのこと。
 今はもうこの場から立ち去った酷く覇気のない顔をしていた同期の瞳が、連絡を告げる通知の音と共にみるみる大きく見開かれた。信じられないという表情でそわそわと落ち着かない彼女にどうしたのかと尋ねれば、予想通りの答えが返ってくる。

「な、七海から今夜会えないかって連絡がきた……」
「へぇ、それは良かったな」

 なんでいきなり? と繰り返しながら戸惑う彼女を尻目に五条を見れば、およそ私が何をしたかの検討はついているようで、何やら悪巧みを思いついたときのような笑みを浮かべている。
 これはまた何かをする気だなとその様子を窺っていると、一瞬微弱な呪力を感じ、その直後返信に迷っているもう一方の同期から悲痛な呻き声が聞こえた。

「──っ痛、何⁉ 五条、今なんかした⁉」

 想定外の出来事に驚きつつそちらを見ると、彼女はうなじの辺りを押さえながら何やら涙目になっているようだった。

「んー? なんにも。ちょっとした僕からのおまじないだよ」
「五条のおまじないぃ……?」

 それがいかに胡散臭いものかを分かっているのだろう、彼女はこれでもかというほど顔を顰めながらしばらく疑うような目で五条を見つめていたが、「ほら、返事しなくていいの?」というその男の言葉を受け、思い出したかのように再び液晶画面に目を落とした。
 俯く形になったことで髪が肩に落ち、先ほど彼女が押さえていた辺りが私からもちらりと窺えた。
 そこには小さな内出血のような跡があり、それは見る人によっては──そう、キスマークに見えないこともない。あーあ、と小さく呟く私に向けて、五条はシーっと人差し指を口の前で立ててにやりと笑ってみせた。

「煽る、という意味では五条の方がよっぽどタチが悪い」
「ま、カワイイ後輩の為だからね」

 その発言はどこへやら、次の瞬間には「七海どんな反応するかな〜」と楽しそうに呟く五条は、相変わらず中身は高校生のままといった風だ。
 私もやれやれと肩を竦めると、先ほど送ったメッセージが表示されたままになっていたスマートフォンの画面を一瞥し、そのままスリープボタンを押した。

【彼女、泣かせてばかりいると五条に取られるよ】

 冷静に考えればなんとも分かりやすい法螺話だが、五条の余計なちょっかいのおかげで少々リアルさが増したかもしれない。思いもよらぬ連携プレー、といったところだ。


◇


「ごめん、待たせちゃった?」

 そう声を掛けると、あちこちに装飾が施された街の角に立っていた七海の視線がわたしを捉えた。
 周辺のお店やレストランは週末に向けて賑わいを見せ、わたしたちが待ち合わせたこの場所にも待ち人の到着を今か今かと待つ人々がたくさん立っている。にも拘わらずその姿を一瞬で見つけられてしまうのは、彼の高い身長とスタイルの良さはもちろんのこと、わたしが普段から七海を目で追う癖がついてしまっているからだろう。
 久しくまともに見ていなかった姿にどくどくと早鐘を打つ心臓に気付かないフリをして、平静を装いながら七海の元へ駆け寄る。

「いえ、私も先ほど着いたばかりです」
「それなら良かった。まだ秋なのに、日が落ちると寒いね」

 冷たい手に暖を取るように自身の息を吐きかければ、七海は「そうですね」といつもの調子で言った。

「……忙しかったのでは」
「え?」
「急な声掛けだったので。本当は他に予定でもあったのではないかと」

 来てもらえたのは意外でした、と言いながら後ろから通り際にぶつかりそうになってきた男性グループを避けさせるように、七海はわたしの腕を引く。そのあまりにスマートな一連の流れに内心どきどきとしながらお礼を伝えれば、七海は「ひとまずどこかに入りましょう」と掴んでいた手を放し、歩き出した。名残惜しさを感じながら、足が長く歩幅も大きいその背中を少し急ぎ足で追いかける。

「七海こそ忙しかったんじゃないの?」
「今日はそれほどでも。昨日まではそうですね、それからおそらく来週も」

 後方からそう問いかければ、わたしが少し遅れていることに気が付いたらしい七海は足を進めるスピードを緩め、しばらく続くであろう多忙に思いやられるといったような表情を見せた。
 次いで辺りを見回すと、すぐに入れそうな場所が少ないということを感じ取ったのか、少々眉をひそめる。

「……喫茶店でも構いませんか」
「うん、全然」

 そう確認する七海は、今一体どういう感情でいるのだろうか。わたしは表情からも声色からも読み取れない七海の気持ちをなんとか探ろうと試みるが、それができていたのならそもそもこんな風に気を揉んではいないのだから、当然失敗に終わった。
 そうして当たり障りのない仕事の話をしながら数分歩くと、街の中心部からは少し離れた落ち着いた雰囲気のカフェにたどり着いた。例に漏れずそれなりに混み合ってはいるけれど、席には幾分か余裕があるように見受けられる。窓際の二人掛けの席に荷物を置いて、着ていたコートを脱いで椅子の背に掛ける。
 乱れた髪をまとめるように一度指で軽く結わったところで、七海がこの上なく面白くなさそうな顔で眉間にシワを寄せていることに気が付いた。

「……��ソレ�≠ヘ?」
「へ?」

 まるで静かな怒りを含んだようなその低い声に、思わずたじろぐ。
 わたし、何かしたっけ? と脳内でここに来るまでの過程を早送りで再生するが、心当たりは見つからない。そもそも七海の言う��ソレ�≠ェ何を指しているのかも、さっぱり分からない。

「アナタの首にある、それです」

 繰り返されてもなお頭上にクエスチョンマークを浮かべていたわたしだったが、��首�≠ニいう単語で思い当たることが一つだけあったことを思い出し、「あ」と思わず声が漏れた。

『ちょっとした僕からのおまじないだよ』

 頭の中でにやにや笑いながらそう言ってのける、いやに顔の良い男。七海と会えることに浮かれてすっかりと記憶から抜け落ちていたけれど、そういえばあの地味に痛い��おまじない�≠ニは何だったのだろうか。

「えっと、これは五条が」

 おそらく七海の言う��ソレ�≠ヘ今頭に思い浮かべているものなのだろうと結論付けたわたしが、昼間の出来事を説明しようと五条の名前を出した瞬間、七海の纏う雰囲気が分かりやすく変わった。
 圧倒されるようなその空気に思わず途中で言葉を止めると、わたしはそのレンズ越しに見える、それ以上は聞きたくないとでも言いたげに細められた瞳が小さく揺れるのをただ見つめた。

「……出ましょう。事情が変わりました」
「え⁉ まだ何も頼んでないけど……!」

 珍しく強引な七海は先ほど脱いだばかりの自身のジャケット、それからわたしのコートと鞄を素早くまとめてから腕に抱えると、もう一方の手でわたしを引き、ずんずんと歩き出す。
 すれ違いざまに何人かの客がちらりとこちらを見たが、特に興味もないのかすぐ自分たちの世界へ戻っていった。



「七海、何か怒ってる?」

 わたしたちを運ぶ車内で、ついに沈黙に耐えられなくなり思い切って問いかける。店を出てあれよあれよという間に乗せられてしまったこの車がどこを行先としているのかも、わたしは知らない。

「……アナタに怒っているわけではないので、気にしないでください」
「そう言われても……というか、どこ向かってるの?」
「私の家です。詳しくは着いてからゆっくり話します」

 そうか、わたしはこれから七海の家に──……七海の、家⁉
 思いもよらないその目的地についてようやく処理し終えたわたしが「は⁉」と素っ頓狂な声を上げると、運転席の七海は「嫌ですか」とこちらの様子を窺うように視線を向けて、その後再び赤信号へと戻す。

「い、嫌なわけじゃないけど」
「では、話はそこで」

 そう言われてしまえばこれ以上聞くこともできず、わたしはまるで先日と同じような急展開に、ただ落ち着かない気持ちで窓の外を流れる景色を眺めた。


◇


 そう時間はかからない内に到着した七海の家は、想像していた通り綺麗に整理整頓されていた。とはいえ、端々に置いてある小物や部屋全体からふわりと漂う七海の香りが、ここが紛れもなく一人暮らしの男の家であるということを物語っている。

「コーヒーで良かったですか」
「……あ、ありがとう」

 あまり知見はないけれど、七海の背景から察するにこれが北欧家具というやつだろうか。おしゃれなソファに腰かけて相変わらずそわそわとするわたしに七海は温かいコーヒーを差し出すと、自分もその隣に腰を下ろした。
 七海の体重で少し沈んだ座面の感覚に、二人きりのこの部屋ですぐ近くに七海がいるという状況を肌で感じ取ってしまい、わたしは緊張からどうしようもなく逃げ出したいような衝動に駆られる。
 ──何か言わなければ。気を紛らわすための、何かを。
 きゅっとマグカップを握りしめ堂々巡りする頭を無理やり働かせようと一人戦っていると、それに気づいたらしい七海の控えめな声が隣から聞こえてきた。

「……すみません。気が焦っていたとはいえ、無理に家に連れ込むなど良い大人がすることではなかった」
「あ……ううん、ちょっとびっくりしたけど大丈夫。でも、七海の考えてることはちゃんと知りたい」

 反省の色を見せる七海の目を見てそう告げれば、彼はふうと小さく溜息をついてサングラスを外し、何度か言葉を選ぶような仕草を見せたのち「先程は」と切り出した。

「……いや、何よりもまずは、半月ほどアナタを不安にさせたことを謝るべきですね。早く話し合いの場を設けなければと常々思っていましたが、どう伝えるべきか迷っていたことと多忙とが重なり、後手に回ってしまった。すみません」
「わたしの方こそ、ごめん。ちゃんと七海に直接確かめれば良かった」
「いえ、アナタはしっかりと気持ちを伝えてくれていたので。答えを有耶無耶にした私の責任です」

 語られる言葉が七海の素直な気持ちであることは、その真摯な表情を見ればすぐに理解できた。心のもやもやが徐々に晴れるのを感じ、幾らか軽くなった心で頷いてみせれば、それを見た七海は「念のため確認しておきたいことがあるのですが」と言いながらわたしの手からマグカップを取り上げ、テーブルに置いた。
 何事かと七海の顔を見れば、彼は自身の大きな手をわたしの頬に添え、そのまま指を滑らせるように首筋に這わせる。くすぐったくなるような優しい手つきに思わず小さく身を捩れば、七海は真剣な眼差しをわたしに向けたまま、その薄い唇を開いた。

「五条さんとは、何を?」
「……へ?」

 ��五条さん�=B
 わたしの身近な人間で五条という名字を持つ人間は、いつも調子の良いことばかり言ってのける同僚の五条悟ただ一人だ。七海の言うその人がおそらく同一人物であるということは難なく理解できるが、その名前が今出てきた理由についてはどうにもすっきりしない。
 心当たりを探そうとウンウンと唸るわたしを見て、七海は改めて首に添えた手でうなじをなぞる様にさすった。再び訪れたぞわぞわとしたその感覚に思わず「ん」と声を漏らすと、七海はそれに反応するように少しだけ眉を動かして、続ける。

「この、首についているアトの話をしています」
「アト? あ、やっぱり痣になってる?」
「……? ええ。先ほど、五条さんがつけたと」

 七海の言葉でようやく、先ほどカフェで説明しようとした内容を聞かれているのだと理解したわたしが「それは……��おまじない�≠轤オいけど」と言ってみせれば、七海は訝しげにその言葉を繰り返した。

「……おまじない?」
「そう。なんか、今日のお昼に五条に��おまじない�≠チて言われてむぎゅっとされたの」

 意味不明だよね、と七海の方を見ると、彼はわたしの首からその手をどかし「本当にあの人は……」と呆れたように呟いた。

「まさか、その場に家入さんもいましたか」
「え、すごい。どうしてわかったの?」

 名推理といわんばかりに目を丸くしたわたしの返答を聞くや否や、七海は大きな溜息をついて目元を手で覆う。
 一向に状況が飲み込めないわたしがそんな七海を覗き込むようにしていると、七海はほんの少しだけ赤く色づいた顔で、してやられたとでもいうように「クソ」と悪態をついた。

「……その��おまじない�=Aどういう風に見えているか分かっているんですか」
「え……いや、そもそもさっきまで忘れてて。どうなってる?」

 五条の考えることでわたしに理解できることなんてほんの一握りだ。それは彼の脳内で組み立てられる術式はもちろんのこと、日常生活における言動や行動についても同じことが言える。
 相変わらず腑に落ちないといった様子で眉間にシワを寄せている七海は、わたしの返答に棚の引き出しからシンプルな二つ折りの手鏡を取り出し、手渡した。
 普段自分では中々見る機会のない首の後ろ側をそれに映してみれば、そこには想像以上にくっきりと刻まれた、事情を知らない人間が見ればキスマークにしか見えないような鬱血痕があり、わたしは思わず「何これ⁉」と叫んでしまう。

「それを見て勘違いしない方がどうかしてる」

 不貞腐れたような顔で吐き出された��勘違い�≠ニいう言葉に、ふと、今日の七海のらしくない行動が頭を過る。先ほどの言動からも察するに、それはつまり。

「……七海、もしかして妬いてたの?」

 数秒の間は、肯定の意か否定の意か。
 自意識過剰というわけではないけれど、図星をつかれて決まりが悪いといったような表情をしている七海を見る限りでは、前者と受け取っても問題なさそうだ。

「な、七海も嫉妬とかするんだ」
「……私を機械か何かだと? ただの男なんですから、人並みに嫉妬だってしますし、好きな相手のことは独り占めしたいとも思います」

 およそわたしの知る七海のものとは思えないような情熱的な台詞は、殺人級の威力をもってわたしの心臓にストンと突き刺る。そして、彼の言うその感情が自分に向けられているのだということを改めて意識すれば、顔にどんどんと熱が集まるのを感じた。

「好きな、相手」

 それでもなお直接的な言葉を求め促すようにわざとらしく言葉を反復してみせると、どうやらとっくに腹を括っていたらしい七海は、その深い翡翠を湛えた瞳に真っ直ぐわたしを映し、躊躇うことなく言う。

「好きです。もう随分と前から、ずっと」

 その心地の良い低音がわたしの鼓膜を震わせた瞬間から、周囲の音は意識の外へと押し出され、消えてしまった。今わたしの耳に聞こえるのは、どくどくと忙しなく脈打つ自分の心音だけだ。浮世離れしたかのようななんとも形容しがたい不思議な感覚のまま、わたしも同じ気持ちであることを伝えようと絞り出した声は、もはや本当に自分のものなのかも定かではなかった。
 変に高揚している気持ちを隠したくて、まして何故か浅ましいとさえ思えるこの感情を悟られることも憚られ、わたしは視線を幾度か泳がせたのち、七海の射貫くような鋭い視線から逃れるように俯いた。いや、正確には俯こうとした。
 それが叶わなかったのは、七海がそれを許すまいとわたしの顎を掬ったからだ。

「……どうしたんですか、そんなに熱っぽい顔をして」
「……あ、えっと……」

 思わず言い淀むわたしの考えていることなど、目の前の七海にはとっくにばれてしまっているのだろう。
 心なしかわたしを見つめる七海の目も欲望を孕んでいるような気がして、このまま目の前の大きな体に自分の腕を回せば、七海の少しカサついた唇がわたしに重ねられるのだろうということを本能的に理解する。そしてそれを承知の上で、その首にためらいがちに両腕を回した。
 引かれはしないだろうか。浅ましいと思われないだろうか。心の中でいくつかの不安が頭をもたげたが、今はただ、わたしの知らない七海の熱に触れてみたかった。

「……随分と積極的ですね」
「困る?」
「いいえ。大歓迎です」

 七海はどこか嬉しそうにそう呟くと、自分の体ごとゆっくり倒れこむようにしながら、それはもう丁寧に、まるで映画のワンシーンのようにわたしに口付けた。
 繰り返されるうち角度を変えながら徐々に深くなるそれは、やがて一呼吸つく間もないほどになる。普段の七海からは到底イメージできないその噛みつくようなキスに、わたしは酸素を求めて七海の首から分厚い胸板へと手を移動させ、ぐっと押し返した。
 ちゅ、と音を立てて離れた七海の息は荒く、薄く紅潮した顔で口元を拭うその仕草は、こちらまでアテられてしまいそうなほど艶美だ。呼吸を整えながらぼーっとその姿に目を奪われていると、七海はわたしの姿が目に毒だとでも言うように大袈裟に目を逸らした。

「……そんな風に見られると、帰せなくなる」

 ��そんな風�≠ニは、どんな風だろうか。
 自分が今七海の目にどのように映っているのかは分からないけれど、少なくともその台詞に嘘はないのだろう、七海の声はいつもの数倍熱を帯びているようだった。

「もう恋人同士、だよね?」
「アナタがそう思ってくれるのなら、そうですね」
「……じゃあ」
「……下心では済みませんよ」

 わたしが頷くのを確認した七海は大きく息を吐くと、自身のネクタイに手をかけ、少し乱暴にそれを緩めた。


◇


「僕のおまじない、効果テキメンだったでしょ」

 任務の報告書提出のために訪れた高専で、今一番見つかりたくないと思っていた男に声をかけられる。ギギギ、とブリキのおもちゃのような動きで振り向いてみせたわたしに、五条悟は愉快そうに喉をくつくつと鳴らした。

「あ、その節はどうも……。じゃあわたしは急ぐのでこれで」
「あはは、分かりやすーい」

 五条はそそくさとその場を立ち去ろうとするわたしの首根っこを掴むと、「優しい同僚たちのおかげだろ?」と恩着せがましく圧をかけてくる。会ったらまた文句の一つでも言ってやろうと思っていたけれど、この状況はまずい。
 無意識に掴まれた首元に力が入り、しまったと思う。案の定こういうことには人一倍鋭い五条は、わたしが何か隠し事をしているらしいということを、そしてそれが己の掴んでいるあたりにあるのだと素早く察知し、ぐっとその内側を覗き込んだ。

「ちょ……っ‼」
「わあ、スッゴイの見ちゃった」

 語尾についているであろうハートマークが目に見えるような口調で楽しそうに言う五条とは正反対に、わたしはこの世の終わりだとでもいうように項垂れる。
 五条にデリカシーがかけらほどもないことは今更糾弾するだけ時間の無駄だが、悔しいことに「七海って意外と独占欲強いんだねぇ」というその言葉にだけは同意せざるを得なかった。

「……で、性欲の方はどうだった?」


 ──前言撤回。やはりこの男はデリカシーという言葉について一から学び直すべきだ。


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