澄み渡る青空。太陽は今日も休むことなく燦燦と輝いており、綿菓子のような雲は風に身を委ねて旅をする。町中を駆け巡る水路の水は、日光を反射して踊っていた。
 三人の少年が木剣を振り回しながら通路を駆けていく。小さな石橋を超え、水路を泳ぐ妙な生物に挨拶をし、店のおばさんに注意され。
 勇者ごっこ。剣を持った勇者が魔物を追いかける遊びである。要は鬼ごっこと同じだが、最近の子供たちは“鬼”よりも“勇者”という響きの方が聞こえが良いと、“勇者ごっこ”に改めたようだ。
木製とはいえ持っているのは剣である。人に当たれば危ない。それを通行人は避けて歩く。今日も元気だな、そう微笑みながら。
 この町の住人たちは心が広いというか、穏やかというか。少年はそれをいいことに、加減もせず走り回る。
魔物が曲がった。見失う! そう思った勇者は足を速め、曲がった先に誰がいるかなど考えもせずに右折した。
 刹那、少年の視界は暗転した。右折したと同時に、大柄の男にぶつかったのだ。
スピードを殺さず曲がったのが災いし、衝撃はいとも容易く軽い勇者を吹き飛ばす。勇者はすぐ後ろの水路へなす術もなく落ちてしまった。
 水路の流れは見かけよりも速い。落ちれば大人でも上がるのに少々苦労するほどだ。勇者ごっこをしていた子供たちは、落ちた少年に気付き顔色を変え引き返す。

「うわああっ! ライが水路に落ちたァ!!」
「どうしよう!?」

 飛び込んだところで助けられる見込みもない。むしろ逆に溺れてしまう可能性の方が高い。
涙で顔をぐしょぐしょにしながら、少年たちは友の身を案じることしかできないのだ。

「おいおい、ぶつかっといて謝罪はなしかァ!?」

 ライがぶつかった男たちが少年たちに凄む。この町では見たことのない風貌だ、おそらく船を直しに来た海賊だろう。
浅黒い肌や伸びた爪、少々黄ばんだ歯やほつれた服などが、この男たちがあまり清潔でないことを物語っている。
 子供たちは「ひっ」とひきつった悲鳴を上げるが、今は自分達よりも落ちた友だちのほうが優先だと、恐怖を振り切り男の足にしがみ付いた。

「お願い! ライを助けて!!」
「このままじゃ死んじゃうよォ!!」

 ライは必死に息継ぎをしようと水面から顔を出してはいるが、無論足はつかずパニックに陥っていて、いつ沈むかもわからない。
流されていく友だちを見て、少年たちは焦りから吐き気を覚える。心臓が早鐘を打ち冷や汗が噴き出した。
 海賊はそんな様子を見て、助けるどころか哀れみもせずせせら笑う。

「おいおい汚ねェな……!! 離せ! クソガキが!!」

 勢いに任せて足を振り上げれば、しがみ付いていた少年は簡単に振り落とされ強かに尻を打つ。

「お願い、しま、っ……!!!」

 ガチャリ、向けられた銃口に息を飲んだ。

「うるっせェんだよ。そっちがぶつかって来たんだろォ?」

 子供相手に大人げない。少年は恐怖で声が上ずった。
恐怖に染まる顔。たまらない。海賊たちが愉悦の色を濃くしたその時。

 ーーザブン、とまるで二階から重いものを投げ入れたかのような、そんな音。
高く上がった水飛沫が、水路に何かが落ちたことを告げる。
見れば流されていたライの姿がなく、代わりにゆらゆらと金糸が揺れているのがわかった。

「ライ!!」

 海賊は叫んだ少年二人を睨みつけ足を振りかぶった。

「ハーフノット・エア・ドライブ!!」

 女の声。男は一瞬怯んだ次の瞬間、水路に投げ込まれていた。

「何!?」

 もう一人の海賊が目をむく。今、何かが仲間の足に絡みついてーー。
 ザバ、男が水面から顔を出す。突然の事態に嗜好が追い付いていないようだが、ただ一つだけ、自分が何者かによって水路に引きずり落とされたことだけはわかっていた。

「誰だゴラァ!!」

 仲間の手を借り水路から上がる。綿の服はたっぷりと水を吸い、通路に大きな水溜まりを作る。
顔に張り付いた紙を直すことなく、怒りに任せて周りを見渡した。

「ひっ」

 しかし視界に入ったのは、腰を抜かして地べたに尻もちをついている子供二人だけ。
懐からナイフを取り出した海賊は、二人に切っ先を向け、声高らかにこう告げる。

「誰だか知らねェが、出てこねェとこのガキを殺すぜ!!」
「っ!!」

 二人はガクガクと足を震わせ涙を浮かべる。窓から顔を出す野次馬こそいれど、返事を返す者はいない。
海賊二人はにやりと口角を上げ、空を仰いだ。

「見殺しか。それともビビッて逃げたか!? はっはっは、それもイイなァ! そそるねェ、絶望の表情はたまんねェからなァ!!」
「じゃーそのガキの顔を拝ませてもらうぜ……ってええええェェェ!!?」

 今の今まで足元に居たはずの少年二人がこつぜんと姿を消していた。突き刺そうと振り上げたナイフが行き場をなくす。

「ど、どこいきやがった!?」

 キョロキョロと見渡すがこの野次馬が集まりつつある中、子供二人を探すことは不可能に近かった。
男は舌打ちするが、別にあの少年にこだわる必要もない。このムシャクシャした気持ちを晴らせれば誰を殺してもかまう事はないのだ。
 男たちがナイフを片手に人だかりに向かおうとした時。二人の前に、一つの人影が降り立った。
上から降ってくるなど予想だにしなかった海賊は怯む。しかし、その姿を確認した途端、海賊たちは下卑た笑みを浮かべた。
 それもそのはず。美しい金糸にエメラルドのような目、凛とした顔立ちは整っており、少々焼けた肌は健康的な印象を与える。
水路に落ちたのだろう、服はぐっしょりと水を吸っており体に張り付いている。
胸と腰のラインがはっきりとわかる状態だ。水も滴るイイ女とはよく言ったもので、まさにこの女は海賊たちにはとても魅力的に見えるだろう。
 顔に張り付いた髪を鬱陶しそうにかきあげる女。その姿すら際立つ彼女に、男はナイフをチラつかせながら詰め寄った。……はずだった。

「近寄んじゃねェ」

 ナイフが弾かれ、川に落ちる。油断していた男は攻撃されたことに憤慨し、青筋を立てながら女に怒鳴った。

「てめー何様のつもりだ、あァ!?」
「そのロープ、さっきのはお前の仕業か!!」

 彼女は上半身を脱いだつなぎの袖を腰で結んでおり、その影には鞭のようにまとめられたロープが隠れていた。
今手に持っている分をまとめると二束。それもかなりの長さだ。
 女はニコリと人の良い笑みを浮かべると、そのロープを肩にかけ口を開いた。

「正解だ。子供たちは逃がさせてもらったぜ」

 まるで海賊をあざ笑うかのような不敵な笑み。かかってこいよ、と態度で表す。
何をされても構わないと言った風な彼女の様子に、男たちは激高し息を荒くして走り出す。

「なめんなクソアマァ!!」
「おっと怖い怖い」

 余裕しゃくしゃく。男が振り下ろしたナイフは虚しくも空を切った。
勢いでバランスを崩した男を背後から押し、転ばせる。
子供をあやすかの様な自然な動作。大の大人と子供が喧嘩をしているかのような、圧倒的強さ。
野次馬の歓声が上がった。転んだ男が恥ずかしさで頬を染めながら立ち上がる。
 女は丁度、もう一人の男を倒したところだった。

「もう我慢ならねェ……!!」

 男は腰のホルスターから銃を抜き、躊躇なく発砲した。
しかし女は玉を簡単に躱し、連射される前にロープで銃を弾く。さながらカウガールのような腕前だ。
男が怯んだ一瞬の間、女はポシェットから金槌を取り出し男の頭を力の限り……いや、1割の力で殴った。
白目をむいて沈む男。

「でしゃばる杭は打っとかねェとな!!」

 腕を組み男二人を見下ろす女。なんと男らしい姿だろう。
周りからは野次馬の歓声が沸き上がる。女はロープで男たちを縛り上げ、一人約70kgはあろう体を、まるでウエイトリフティング選手が少女を軽々と持ち上げるように肩に担いだ。

「今日も男前ですシルヴィさーん!!」
「かっこよかったですーっ」
「調子が良さそうで何よりだ!」
「絶好調だなシルヴィ!」

 男の声、女の声、子供の声、老人の声。様々な声を聞き、笑顔を向けつつ立ち去ろうと踵を返した時。

「シルヴィ!」
「待って!」

 シルヴィと呼ばれたこの女は、助けた少年たちの声により立ち止まった。

「よお、怪我大丈夫か?」

 つり目は鋭く、声は凛としていて、口調はまるで男。しかし少年は恐れず、太陽のような笑顔を向けた。

「大丈夫だよ!」
「助けてくれてありがとう!」
「殺されたかと思ったよ」

 三人とも本当に怖がっていたのだが、助けられたことやシルヴィの戦いぶりによって吹き飛んでしまったらしい。
今は男を担いでいるシルヴィに憧憬の眼差しを向けている。

「帰って風呂入りな、ライ。風邪ひいても知らねェぞ」

 ライは鼻を擦りながら仁王立ちをし、偉そうにシルヴィに宣言をする。

「おれは風邪なんてひかねェよ。だって勇者だからな!」

 並びの良い真っ白な歯を見せ笑うライ。しかし一瞬、顔をしかめたかと思うと大きな声を出しながら盛大にくしゃみをした。

「言わんこっちゃねェ。馬鹿も風邪ひくんだな」
「どーゆー意味だよ!」
「そのままだバーカ」
「ムカつく!!」

 茹蛸のように顔を赤く染めながらライはシルヴィに食って掛かる。
シルヴィは大人の余裕だろう、あっさりと受け流しながら相手をしている。
無視して立ち去らないのが彼女の優しさである。
 しかし、肩にかかる重みが変化したことをきっかけに、シルヴィの表情は鋭くなり、子供たちに早く帰るよう催促し歩き始めた。

「あ、もう危ない遊びすんなよ! 剣あたると痛いんだからな!」

 果たして聞こえたのか否か、子供たちは手を振りながら角を曲がって姿を消した。

「ん……いってェな……」
「目ェ覚めたか海賊」

 やはり気が付いたらしい。男はぼんやりと呟いた後、弾かれたように暴れだす。

「ってめえ! こんなことして仲間が黙ってねェぞ!!」

 さすがのシルヴィも暴れる男を担いでいるのは苦労する。降ろすというよりは落とす形で二人を地面に叩きつけた。
その衝撃でもう一人の男も覚醒したようで、身を捩ってはロープから抜け出そうとする。

「はいはい、諦めな。そのロープはちょっとやそっとじゃ緩まねェし切れねェ」

 猟犬のように目をぎらつかせ、今にも襲い掛かりそうな迫力の二人。
周囲の人々が後退りする中、シルヴィは物怖じせず金槌をくるくると器用に回す。
金槌を見た男は言葉に詰まり、冷や汗を流しながら目を逸らした。

「ところで……おたくら、もしかしなくてもイージー海賊団だよな」
「それがどうした? 今に船長がお前を殺しに来るぜ……直った船を奪ってな!」

 もはや苦し紛れの空笑いとしか見えないのだが、二人は本気らしい。
直した船を、奪って。シルヴィは思わず失笑した。気分を害した二人はシルヴィを睨み上げた。シルヴィは二人を哀れむような目で見つめ口を開く。

「残念。喧嘩を売った相手が悪かったな……」

 口角を上げたその顔は、まるで獲物を捕らえほくそ笑む狐のようだった。