穏やかな微睡み


目を開くとそこには見慣れた天井があった。すん、と鼻を鳴らせば嗅ぎ慣れたセッタの匂いがした。ゆっくりと体を起こせば、お腹というか胸というか…その辺りに激痛が走った。
そこまでしてようやく、カルト教団に潜入していた時のことを思い出した。潜入というか、私の場合は侵入のが正しいけどね。だって信者に交じってないもの。…って、そんなことはもうどうでも良くて…あれからどれくらいの時間が経ったんだろう、と携帯を探してみるけど見当たらない。というか、私のカバンは何処だろう…もしかしてリビングに放置されてんのかな。寝室内をぐるりと見渡してみてもない所をみると、その可能性の方が高そうだなぁ。

痛んで軋む骨を見て見ぬフリをしながらベッドを降りると、何と下は下着以外何も履いてなかった。うわぉ、まさかですか…上はちゃんとTシャツ着せてくれてんのに、何でここで横着するのかなぁ久保くんてば。でもまぁ、着替えさせてくれたってことだけでも感謝、ってやつかなぁ。ベッド近くに落ちてた自分のスウェットを履き、Tシャツの上には久保くんのパーカーを羽織って寝室を出た。


―――ガチャッ

「目ェ覚めました?お姫様」
「なにその呼び方…」
「よー、ほたる。調子はどうだ?」
「気分は平気だけど、お腹めっちゃ痛い。でもお腹空いた」


矛盾してんね?って苦笑されたけど、でも本当なんだから仕方ないじゃんかバーカ。傷に響かないように静かにソファに体を沈めれば、口元にポテチが差し出された。恐らく、時くんが食べてるもの。…起き抜けに、と思わなかったわけじゃないけど、お腹空いてたのは本当なので有難く頂くことにする。ん、おいし。
こういうのって何でか一度食べ始めると止まらないんだよね〜、と食べ続けてたらあっという間になくなった。2人で食べたら当然かー…でもこれだけじゃ全然足りないや。何か買い置きあったかなぁ?さすがにこの痛みの中、自分だけの為にご飯を作ろうという気にはならない。久保くん達が食べてないんなら作るけど、時計の針が差しているのは午後4時。どう見たって夕方だ、つまりお昼なんてとうの昔に食べ終わっているわけですな。


「あ、カロリーメイト発見。ねー時くーん、カロリーメイトもらってもいー?」
「いーけど、もーちょいまともなモン食えよ…」
「だって買い置き何もないんだもん。作る元気まではないし」


いただきまーす、とカロリーメイト(チョコ味)にかぶりつく。口ん中の水分はもってかれるけど、適度にお腹も膨れるからちょうどいいよねーコレ。意外と美味しいし。今度はもーちょい買ってきておこうかな、いざという時にあると便利なことに気が付いた。


「何か飲む?」
「んー…カフェオレ」
「リョーカイ。…肋骨、2本イッてるって」
「あ、やっぱり?ミシミシいってたからもしかして、と思ってたけど」
「動かさないわけにいかないから仕方ないけど、しばらくは無理しないこと。いい?」
「したくても激痛でできないって」


淹れてもらったカフェオレでカロリーメイトの残りを流し込む。さっきよりは空腹感がマシになったけど、今日はいやにお腹が空くなぁ…何でだろ。
不思議に思ってポツリ、と呟けば、久保くんがさも当然とでも言うような顔で「5日間寝てたんだから当然っしょ」と言いやがった。うっわぁ…マジ?マジで私、5日間も眠りこけてたの?そりゃあお腹も空くはずだよね、5日間飲まず食わずの状態だったんだから。けど、本能のままに食べ続けてたら太りそう。運動もしばらく出来ないだろうから食べ過ぎは禁物、ってやつですね。気を付けよう。
ふとつけっぱなしのテレビに目を向ければ、『邂逅の牙代表、逮捕!!』ってニュースがやってた。でも捕まったのってきっと5日前のことでしょ?それなのにそのニュースをいまだに取り扱ってんのかぁ…これも時代、なのかね?時期的に大衆が飛びつきそうなネタではあるけれど。…ニュースといえば、一緒に教団に潜り込んだあのオニーサンはどうしたんだろう。代表が捕まったってことは無事だってことなんだろうけど、…やっぱりちょっとだけ気になるなー。
姉に母親を殺されたようなものだけど、あの人は本当にお姉さんを恨んでいたんだろうか。恨んでて、母親の敵を取りたくてあの教団に潜入したのだろうか。


「真相は神のみぞ知る、ってやつかなー…」
「ん?」
「…ううん、何でもないよ。私には関係のないこと、よね」
「よくわかんないけど、お前が気に病むようなことは何一つないよ」

―――ポンポン、

「そうね、ありがと久保くん」


ほう、と詰めていた息を吐き出して、目の前に立つ彼の胸へと寄りかかる。


「なぁに?甘えたい気分?」
「なのかなー、わかんない。でも少しだけこうさせて」
「いくらでもどーぞ、ほたる」


ふわりと香る慣れ親しんだセッタの匂い。指先から香る微かな火薬の匂い。それなのにどうして、脳裏に浮かぶのは彼ではない別の人なんだろう。記憶の彼方へと押しやったはずの穏やかに笑うあの人の残像を消し去るように、私はゆっくりと目を閉じる。
僅かな違いを感じ取ったのか、さっきまでされるがままだった久保くんが折れた肋骨が痛まない程度の力でぎゅうっと抱きしめてきた。…何でこの人は恋人でもない私のことをこんな風に優しく扱うのかな。前に沙織ちゃんと葛西さんに言ったことあるけど、俗に言う甘ったるい関係じゃないし、別にそんな関係になることも望んでるわけじゃあない。そりゃ好きか嫌いかの次元で言えば、好きな方だとは思うけど…恋人になりたいわけじゃないしなぁ。愛され愛したい、と思ったりもしない。
こんなこと気にするなんて、私、どうしたんだろ。あれかな、怪我してるしずっと寝てたから色々機能してないのかも。


「久保くんも甘えたい気分?」
「ん〜?カモ」


気が付けば久保くんはダイニングテーブルに腰掛けてたらしく、いつもより少しだけ視線が低い。そのまま私の肩に顎を載せてゆらゆらと揺れてるんだけど…何がしたいの、この人。ん、でもこの揺れ…ちょっと気持ち良いかもー…寝ちゃいそ。
寝るんならベッドで、と思うけど、今日はこのまま久保くんの腕ん中で眠りたくなってしまった。どうしてだか自分でもわかんないけど。でもそう思っちゃったんだから仕方ない。肩口に埋めていた顔を上げた彼の肩口に今度は私が顔を埋める番。ぐりぐりと額を擦りつければ「猫みたい」と笑われた。うん、何でもいーよ別に。


「眠いんならベッド行く?」
「ん、…ここでいい」
「立ったまんまじゃ寝づらいっしょ?せめてソファで寝なさい」
「…じゃ、運んで…」


首筋に腕を回して擦り寄れば仕方ないなぁ、と溜息を吐きながらも持ち上げてくれるこの人は、冷たいようでどこか優しくて甘いんだ。
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