笑顔の隣人


―――それは昔のこと。両親がまだ生きていて、元気に探偵をやっていた頃の話だ。
…私が、初恋の人と出会ったのは。





「おきやすばる?」
「ええ。貴方が仕事で2週間程、留守にしていた時期があったでしょう?」
「あったね。それが?」
「その時にこの家のすぐ近くにあるアパート、木馬荘と言ったかしら?あそこが火事になったのは知ってる?」


火事、…ああそうだ、新聞の小さな記事で見た記憶がある。住所を見てびっくりしたんだった、博士の家のすぐ近くだったからね。でもまぁ、2人に被害はないだろうと思って何の連絡もしなかったんだけど。
…んん?何か、志保の言いたいことがよくわからなくなってきたぞ?急に知らん男の名前を出されて、それでこれまた急にすぐ近くのアパートの火事の話をされて…何か、読めない。いつもだったら的確に、キッパリハッキリと用件を言うはずの志保が―――どこか言葉を濁してるみたいに感じる。
ひとまず志保の問いかけに頷きを返すと、眉間にシワを寄せたまま黙り込んでしまった。えええ…?その沖矢昴って奴のことを話したいんだよな、多分。そいつ、言いにくいような性癖の持ち主だとか変人だとか、そういうことなのか?


「―――さっき出した名前の人、」
「ああ、沖矢さん?」
「彼、その木馬荘に住んでいて行き場を失くしたから今は工藤くんの家に住んでいるのよ」
「……は?新一の?」
「そう。面識なんてなかったはずなのに、彼が許したのよ。―――此処に住めばいい、って」


面識があったのなら、親しい人だったのなら、新一があの家を貸すことも不自然じゃあない。実際、アイツのご両親は外国で活動をしている方達だから滅多に戻ってこないし、2人が許したのなら何の問題もないはずだ。…でも志保が言うには、その人と面識は一切ないはずだってこと。それなのに家を貸しているなんて不自然極まりないよなぁ。
でも彼女がここまで深刻そうにしている理由はそれじゃないらしい。ま、それもそうか…あの家で泥棒があったりしても、困るのは志保じゃない、所有者の工藤家の人間だもんな。それなら何が気になっているのか、と言うと…その件の男から、黒の組織の存在を感じたんだそうだ。だから気になって仕方がない、警戒しているっつーわけね。


だけど、志保の勘が当たっていてもし本当にその男が黒の組織の一員だったとした場合―――新一が気がついてないってことなんて、有り得るのか?

情報を得る為、組織の奴らを一網打尽にする為の作戦だったとしても…いくら何でも危険すぎるだろう。そんな危ない橋をわざわざ渡るようなこと、するのかね?
確かにアイツは推理大好きの推理バカで、子供になった今でも事件に首を突っ込んではいるものの、そんな危険な真似をする程にバカだとは思っていないんだけどねぇ。


「…ま、志保が聞いていないってことは私が問い質しても教えてはくれないだろうな」
「あら、それはわからないわよ?工藤くんだもの。好きな相手―――つまり、貴方には真相を明かしてくれるかもしれないわ」
「それ触れないでよ。…付き合ってるわけじゃあ、ないんだから」


新一に好きだと言われた。私も好きだと返した。…だけど、付き合っているわけじゃない。新一と私の関係は以前と何ら変わりないままなんだよね、簡単に言えば黒の組織のことが片付くまでは保留ってことにしたわけですよ。付き合う云々に関してはな。
それを後悔していないわけではないけどー…うん、やっぱり気持ち的には複雑なんだ。自分で言い出したことだから、そんなこと言ったら元も子もないんだけどさ。

…っと、話が逸れちまった。紅茶を一口飲んで、同じように喉を潤していた志保にそれで?と問いかける。


「え?」
「沖矢さん、だっけ?その名前を出した本当の理由だよ」
「……調べて、みてくれない?あの男がどんな人物なのか、」


そう訴えてくる彼女の瞳は、とても真剣なものだった。元々、志保の頼みは断る気なんて更々ないのだけれど、こんな真剣な瞳を向けられてしまっては、尚更断れないじゃないか。


「―――いいよ」
「!咲羅っ…」
「私が志保の頼みを断ると思うかー?…まぁ、新一が警戒していない所を見ると、そこまで警戒心持たなくても大丈夫なような気がしないでもないけど―――組織に関してはきっと、志保の方が詳しいだろうからね」


そんな君がもしかしたら、と怯えているんだ。だったら、その不安を取り除いてあげるのが騎士の役目でしょう?ねぇ、お姫様。
にっこり笑ってそう言うと、からかわないでちょうだい、と怒られてしまったけど。それでも私の機嫌は最高に良い、だって志保が頼ってくるなんてことは滅多にないんだからね。そりゃあ機嫌も良くなるってもんだ。新一に頼られるのも、蘭に頼られるのも、園子に頼られるのも嬉しいけど、でもやっぱり―――人に頼る、ということを知らない彼女に頼られることが一番嬉しい。


「何かあったらすぐ知らせるから」
「ええ、お願いするわ」


志保とそんな話をした次の日から、私は『沖矢昴』という人物について調べ始めた。黒の組織に関係があるかもしれない、ということから偽名の恐れがあるわけだから、本当なら戸籍を取り寄せることができれば一番いいんだろうけどね。生憎、私は探偵業を営む一般人なわけです。そんなもの取り寄せる権限なんて一切、持ち合わせていないのだ。
なーのーで、地道ーに調べていく他に方法はないってことです。ま、そういうのは探偵業ではよくあることだからこれっぽっちも苦に感じないからいいんだけどねー。


「(うーん…近所での評判は上々。というか、むしろ好感持ってる人の方が多いみたいだ)」


近くの商店街やご近所さんにそれとなーく彼の印象とか、そういうのを聞いてみたものの。そのほとんど―――というか全部?が「物腰が柔らかくて、稀に見る好青年」という答えだったんだよな。たまにお姉さんもそう思わない?って聞かれたけど、私、まだその人に会ったことないから何とも言えない。素直にそう答えるわけにもいかないから、そうですねーって濁しておいたけどさ。

ふむ、それにしてもびっくりするくらいに悪い印象が1つも出てこない。こうも素敵な人なんですよ、という好印象な意見ばかりだと逆に怪しいと思ってしまうのは人間の性なのか、はたまた探偵という特殊な職業の性なのか。それはわからないけれど、聞き込みを重ねれば重ねる程に私はまだ見ぬ『沖矢昴』への疑念がむくむくと膨らんでいくのを感じていた。
だっておかしくないか?人間は誰にでも欠点が1つや2つあるもので、それはどんなに完璧そうに見える人間にだって当てはまる。というか、この世に完璧な人間なんていないと思ってる…どれだけ生きていたとしても、人間はどこか不完全。
私の個人的意見ではあるのだけれど、あながち間違ってはいないはずだ。


「不完全だからこそ、面白味があるんだけど…、」


―――『沖矢昴』にはそれが一切感じられない。
どこまでも完璧で、非の打ち所がなくて…そう、まるでそうインプットされている機械仕掛けの人形みたいな感じなんだよな。本人に会っていないのも1つの要因かもしれないけど、これは思っていた以上に危険人物である可能性も出てきちまったかも。
はあ、と溜息を1つ。聞き込みからこれ以上の情報を得るのは難しそうだ、と感じ始めた私は、彼の調査を一旦打ち切ることにした。


「(これはやっぱりそいつの後をつけるのが手っ取り早いかなぁ…)ただいまーぁ」
「…ああ、おかえりなさい。お邪魔しています」
「―――………誰?」


リビングに足を踏み入れると、そこには見知らぬ男が博士と談笑していた。博士と話しているということは知り合いだってことだろうけど、でも…何だろ、この妙な違和感のようなものは。

張りつけられたような笑み、黒縁メガネ、黒のタートルネック、それから低すぎない穏やかな声音。それから―――エ、エプロン…?

いつもの癖で目の前にいる男をそっと観察していると、最後に目に入ったエプロンに全神経を持ってかれたような気がした。え、だって何で他人の家にお邪魔している時にエプロンしてんのさ?料理をしてたとしてもだよ?普通は外してくるもんだし、そもそもエプロンしたまま此処まで来たの?もしそうだとしたら、まぁ変質者だよね。絶対、すれ違った人全員に二度見されていること間違いなしだ!
妙な違和感も、ちょっとした警戒心も根こそぎ奪い取られ、脱力感を感じていた所で博士におかえり、と声をかけられた。そこでようやく我に返る。


「そうか、咲羅くんはまだ彼に会ったことがなかったのう。今、新一の家に住んでいる沖矢昴くんじゃ」
「おきや、―――」
「初めまして、沖矢昴です」
「えっと、伊勢谷咲羅、です…初めまして」


まっさかこんなタイミングで『沖矢昴』に会うことになるとは、思いも寄らなかった。
聞いてみれば、彼はたまに作り過ぎた料理を差し入れしに来てくれるんだってさ。ここ最近は私も家を空けることが多かったし、ご飯作れてなかったから心配してたんだよね…2人がどんな食生活を送ってるのか。志保は放っておくとカロリーメイトとかで済ませる癖があるし、ひどい時は水くらいしか口にしないこともある。逆に博士はインスタントで済ませることが多いから。
そして彼はこの日も作り過ぎたというカレーを差し入れしに来ていたそうな。夕飯に食べたそれは私が作るものよりも美味しくてびっくりした。…すんげー負けた気がして悔しいんだけど。

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