知っている香り
とある土曜日。依頼人と会う約束があった私は朝から今―――夕方まで出かけていたのだが、…締め出しを食らいました。作ってもらった合鍵を探してみるものの、そういえばパソコンデスクの上に放置しっ放しだったことを思い出し頭を抱えるハメに。
最後の望みをかけてインターホンを押してみたが、だーれも出ない。そりゃそうだ、玄関も家の中も真っ暗…いつもならついているはずの明かりがついていない。つまりは博士宅には誰もいない、ということ。
でも今日、出かけるなんて言ってたか…?確かに朝弱いから意識が覚醒していないまま、生返事をすることはよくあるけどな。聞き逃していたとしたら最悪だなー、と考えながらずっと触っていなかった携帯を確認すれば、メールが1件入っていた。誰だろう、と開封してみれば、送ってきたのは志保のようだ。
『急だけれど、博士と探偵団の皆と出かけてくるわ。夕食も食べてくる予定だから、私達のご飯は気にしないで。 哀』
メールの受信時間は14時。…ああ、ちょうど依頼人と話をしていた時だなー…普段から携帯をいじることって少なかったけど、こんな所でそれが仇になるとは思わんかったぜ。あ、でも鍵を忘れてきちゃってるからメールを見てたとしても何もならなかったってことかな。
さて、どうするか…夕食を食べてくる予定ってことは、少なくともあと2時間は帰ってこない計算になるな。私もまだ食べていないし、ファミレスでも行って2人が帰ってくるのを待つことにするか。毛利探偵事務所に押し掛けてもいいんだけど、蘭に気を使わせちゃいそうだからなぁ…そもそも家にいると決まったわけでもないし?うしっ!うだうだ考えてる暇があるんなら、さっさと移動してしまおう。
近くのファミレスは何処だったかな、と携帯で検索し始めた時だ。あまり聞き慣れない声で名前を呼ばれたのは。
「こんばんは」
「あ、…沖矢さん、こんばんは」
そこに立っていたのは今、工藤邸を仮住まいとしている沖矢さん。その手にはスーパーの袋が握られていた。中には当然ながら食材が入っていて、恐らく夕食の材料なんだろう。何度か料理をごちそう(作り過ぎたのをもらっただけだけど)してもらってるから、料理上手なのは知ってるけど…あれだよなぁ、沖矢さんくらいの年齢の人が自炊してるって結構珍しいことだよね。特に男の人。
博士を筆頭に、私の知り合いの男の人は料理をしない人・苦手な人が多いから尚更だ。
「中に入らないんですか?博士のお宅に住んでいるのでしょう?」
「あー…そう、なんですけど、」
「ふむ、…その様子だと鍵を持たずに出かけてしまったんですね」
「…疑問じゃなくて断定ですか」
そうじゃなければ家の前で立っていたりしないでしょう?
笑ってそう言われたけど、もしかしたらこれから出かける所だったかもしれないじゃないですか。ちょっとだけムッとしながら言葉を返せば、出かける直前だとするなら家の前でのんびり携帯をいじってなどいないでしょう?だってさ。ついでに顔に疲労の色が見えるからその線は薄い、とも言われちまったぜチクショウ。逆の立場だったら私もきっと同じことを言うだろうから、もう何も返せません。
つーか、この人ってよく相手のこと見てるんだな…そうじゃなきゃ、疲労の色が見えるなんてわからないと思うんだ。よくもまぁ、少しの間でそんな所まで見てるなぁって感心しちゃうくらいだ。
「ええっと、…じゃあ私は失礼します」
「家に入れなくて困っていたのでしょう?良ければ僕の家に来ませんか?…と言っても、家主は別の方ですが」
「え。」
「ちょうど夕食を作る所でしたし、ご一緒しませんか」
お腹空いてるし、正直博士と志保が帰ってくるまでファミレスで時間を潰すのも怠いなーって思ってた。それに志保にこの人のことを調べてほしい、と言われてるし…聞き込み以外での彼の人となりを知る絶好のチャンス―――だよな?これって。
危険があるかもしれないけど、探偵である身としては…掴めるかもしれない真実をむざむざ逃がすわけにもいかんだろう。
不自然に思われない程度の時間、考えた結果。私は沖矢さんの家―――もとい、工藤邸にお邪魔することにした。そういや、高校を卒業してこの町を出て行ってからはお邪魔してなかったな…戻ってきたら、新一は小さくなっちまってたし。
家主が誰もいない家に入れるわけもないし、それに訪ねる理由もなかったから。だから、新一の家に行くのはすっげー久しぶり。
2年ぶりくらいに訪ねた新一の家は、私の記憶に残っているものと何ら大差がなかった。ただ、そこにいるのが新一ではなく沖矢昴さんという(自称)大学院生、ただ1人だ。
「では、作ってきますので座って待っていてください」
「あ、私も手伝います!料理はそこそこ得意なので…ただ待ってる、というのもあれだし」
「招いたのは僕なので構わないのですが、…せっかくですのでお願いしましょうか」
咄嗟に出てしまった手伝います、の一言。よくよく考えてみれば、彼が料理を作ってくれている間に家の中を探索してみれば良かったんだ。家捜ししているみたいで気が引けそうだけど、何かあの組織に繋がるような物証でもあればーとか考えてたし。
まぁ、元は工藤家の家だし?それに誰が来るかもわからない家の中に物証なんざ置いておくわきゃないとは思っちゃいるけどさ、きっと新一だって訪ねてくることもあるんだろうし。もし本当にこの人が組織と繋がりがあるんだとしたら、そんなものを放置していたらただの馬鹿だ。
…あー、ダメだ。考えれば考える程わかんなくなってきたな。殺気とか、何か企んでいるとか、そういう気配は一切感じない…何を考えてるのかはわかんないけど、少なくとも―――誰かに危害を加えるようなことを考えているような素振りがないのは確かだ。今の所は、だけど。
でもずっと、違和感だけは感じてんだよなー何がおかしいのかは、私自身も説明できないんだけど。
「(何がおかしいんだ?顔?…それとも全体か?)」
キッチンに行くまでの間、沖矢さんの背中を見つめながら考えてはみるものの…そういや私、この人と初対面だったわ。過去に会ったことなんて一度もない。
だったら尚更、沖矢さんに違和感を感じるなんておかしいことなんだけど―――でもどこか、変だ。
「―――伊勢谷さん」
「え?」
「先程からじっとこちらを見てらっしゃるようですが…何かついていますか?」
「あっ…ええっと、…すみません、つい」
クセで、と言いかけて口を噤んだ。ここで探偵なんです、なんて言ってしまえば、なーんか妙な疑いをかけられちまいそうな気がする。
「人間観察って言えばいいのかな、それが趣味みたいなもんで…」
「ああ、それであんなに熱い視線を向けられていたわけですね?納得しました」
もっとツッコまれて聞かれるものだと勘ぐってたけど、そんなこともなく。その後は普通にご飯を作って、2人で食べただけ。会話も当り障りないことないことばかり、もしくは世間話で怪しい動きは1つもなしときた。
こっちから質問をして吹っかけてみるか?いや、でもそれで深くツッコまれてしまったらまずくなるのはこっちだしなぁ…悩み所だな、これ。
どーすんべ、と食後のコーヒーを飲みながら考え込んでいると、車のブレーキ音が聞こえた。携帯で時間を確認してみると、もうすぐ20時半になろうとしている所だった。ということは、さっきのブレーキ音は博士の車の確率が高いってことだな。時間的にはそろそろ帰ってきてもいい頃合なわけだし。
―――ガタッ
「コーヒーと食事、ごちそうさまでした。そろそろ帰りますね」
「いいえ。こちらこそ美味しい食事をありがとうございました」
「ま、いつも美味しいおすそ分けをもらってますから―――お礼も兼ねて、ね」
靴を履いてくるり、と振り返る。そこには変わらず薄らと笑みを浮かべた沖矢さんの姿。
「君、その喋り方は素ではないですよね?」
「へ?」
「別に無理に敬語を話す必要はありませんよ。…苦手なんでしょう」
「……私、アンタの前で素の口調になった記憶ないんだけど」
「多少、ぎこちなさがあったのと―――似合わないなぁ、と思ったもので」
―――ビシッ
沖矢さんの一言に、絶対薄らと青筋が浮かんだような気がする。この人、物腰が柔らかそうに見えてすっっっっっげぇ失礼だな!!当の本人はクスクス楽しそうに笑ってやがるけど…あ、これ、ひとかけらも悪いと思ってねぇと見た。
確実にこの人の方が年上なのがわかってたから慣れない敬語で接してたっつーのに、…つーかさ、依頼人と会う時は常に敬語使ってんのに今更バレるってどーなのよ。
…でもま、いっか。別に口調を隠してたわけではないし。
「…アンタ、すっげー失礼」
「それは失礼しました」
「ま、敬語苦手なのは確かだけどね」
さってと、いい加減お暇しようかね。では、とドアに向き直った時、カシャンと何かが落ちた音がした。何だ?と振り返ると、足元に愛用しているライターが落ちていた。ああ、ポケットにいれてたやつが落ちちゃったんだな。
拾おう、と私が手を伸ばすよりも数瞬早く沖矢さんの手がライターを掴んだ。
その時、一瞬だけ心臓が―――ドクリ、と跳ねた。
ふわりと鼻を掠めた煙草の匂い。知らないはずなのに知っている、そんな妙な感覚を覚えたけれど…私の周りには煙草を吸う人なんて1人もいない。…あ、いや、確か蘭の父親である小五郎のおじ様は喫煙者だったけど、この香りじゃなかったはずだ。何度も探偵事務所に遊びに行ったことがあるから、間違いない。
おじ様以外に煙草を吸ってる知人、なん、て―――幼い頃に出会ったあの人だけ、だ。香りも一緒だけど、でも、顔も声も一切似ていない。というか、むしろ別人としか思えないし?そもそも、あの人が生きているわけがないのは前に彼女に聞いて知っている。
「伊勢谷さん?」
沖矢さんの声でハッと我に返る。拾ってくれたライターを手に、どうしたんですか?と首を傾げる彼に何でもないとだけ告げて、ライターを手に取った。ありがとう、とお礼の言葉は忘れずに告げて。
そして私は逃げるようにして工藤邸を後にしたんだ。
―――ガチャッ
―――バタンッ
「咲羅?ずいぶん遅かったのね、お土産に甘いもの買ってきたけど―――…何かあったの?」
「灰原ぁ?咲羅の奴、帰ってきたのか?」
「―――…ただいま、志保、新一」
ドアを背にズルズルと座り込んで、大きく息を吐き出した。あー…何だろ、普段はそんなに緊張するような質じゃないんだけどな。つーか、一体何に緊張してたんだって話にもなるよなぁ?まっさか危ない奴と対峙してたわけでもあるまいし。
こんな所で吸うな、って怒られそうだけど、どうにも気持ちが落ち着かなくて1本だけ、と心の中で誰かに言い訳をしてから煙草に火をつけた。ふう、と煙を吐き出した所で、ようやく少しずつ気持ちが落ち着いてきたような気がした。
「おい、咲羅。煙草吸うんなら上がってからにしろよ」
「あー、悪い悪い。ダメだよなーとは思いつつも、ちょっと気持ちを落ち着けたくてさ」
でもこのまま此処で座り込んでるわけにもいかないな、と煙草を口に咥えたまま立ち上がって靴を脱ぐ。さっさとリビングに向かう私の後ろを小学生の姿になっている2人がトコトコと追いかけてくる姿は正直、めちゃくちゃ可愛らしい。中身は17歳と18歳なんだけどな。体が縮んじまってるとこうも印象が変わるもんなんなんだなーなんて、どこか他人事のように考えていた。
リビングに行くともう博士の姿はなく、しんと静まり返っていた。遠出してたみたいだし、1人で子供の相手してんだしそりゃあ疲れちまうよな?運転もしてたんだし。
「で?依頼人と何かあったのか?」
「…いや?依頼人とは何もないよ、無事に依頼完了したしね」
「その割には顔色が冴えないようだけれど」
「んー…何つーか、」
―――キツネに化かされたような気分。
ボソリと呟けば、新一と志保は「はぁ?」って呆れ顔になった。うん、まぁそんな反応になるよなぁ…私も聞く立場だったら2人と同じ反応すると思う。
でもごめんな、それ以外に表現のしようがないんだよ。
「あの時のお嬢ちゃんか。…まさか再会することになるとはな」
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