上司と私


世の中は狭い、と言うけれど、それを身をもって経験することになるとは思っていなかった。けれど、もしかしたら―――と思っていた部分は、少なからずあったんだ。同じ職業を目指している、と聞いたあの日から。…ずっと。

『赤井秀一だ』
『…工藤、円香です。よろしくお願いします、先輩』





静かな室内に、カタカタとキーボードを叩く音だけが響いている。いくつものパソコンの液晶に映し出される文字の羅列、たくさんの映像、私はそれを1つも見逃したりしないように視線を動かし記憶する。
目や脳を酷使し過ぎたのか、ズキリと悲鳴を上げるように痛むけれどそれに構っている暇なんてない。もう少し、もう少しで解析が終わりそうなんだから…そうすれば、また一歩、黒の組織壊滅へと歩みを進めることができる。
タンッと軽快な音が響き、私はようやく息を吐いた。グッと伸びをすれば、色んな所からいや〜な音が聞こえてくる。うっわぁ、首とかバキバキいってる…まだそこまで歳じゃないつもりだったんだけどなぁ。

コキコキと音を立てながら首を回し、何か飲み物でも持ってこようと立ち上がって部屋を出た。今まで籠っていた部屋は私専用で、ドアを開ければ上司や同僚達が仕事をしている部屋に直結していたりする。何故、私だけ専用の部屋があるのかと言いますと…FBI捜査官であり、ハッカーでもあるからだったりする。

(解析するのは非常に楽しいのだけれど、肩が凝るのはなぁ…悩み所よね)

肩が痛い、とグルグル回しながら給湯室へと赴けば、そこはひっそりと明かりがついたまま。あれ?もう誰もいないと思っていたのだけれど…それとも電気の消し忘れ?いや、でも消し忘れるような人はいないと思うんだけどなぁ。ドアにも、中にもでかでかと『つけたら消せ!』って書いてあるくらいだし。
だとしたら、やっぱり誰かが残ってるってこと?恐る恐る給湯室のドアを開ければ、そこにいたのは意外な人物で―――思わず、「…げ、」と声が出てしまいましたとさ。


「…人の顔を見た途端に、その反応は頂けないな。円香」
「それはどーもすみません!…だっているとは思っていなかったんですもの」
「さっき仕事が終わって戻ってきた所なんだ。…飲むか?」
「いただきます…」


給湯室でコーヒーを淹れていたのは、私の上司でもあり、相棒でもある赤井秀一。FBI随一の切れ者と言われ、凄腕スナイパーでもある彼は私の憧れだ。憧れなのだけれど、…何であんな反応をしてしまったのかと言いますれば!こんな化粧を落として、尚且つ疲れきった顔を見られたくなかったから!!
他の人に見られるのもあまり気持ちのいいものではないけれど、秀一に見られるよりはマシ。それくらいこの顔を、この人に見られるのは嫌だったってことなのだ。…憧れの人には、なるべくいい顔をしていたいじゃないか。FBIに所属している時点で、それはかなりの難題だっていうのはわかっているつもりだけれど。
差し出されたコーヒーはブラックではなく、ミルクが入れられたカフェオレ。おや?と首を傾げる。私はいつもブラックしか飲んでいなくて、ミルクや砂糖を入れることはほぼないんだけど…受け取ったまま、じーっとソレを見つめ続ける私の秀一は訝し気な声を掛けてくる。そして毒なんて入れていないぞ、と。


「ふはっ!そ、そんなこと疑いませんよ。嫌ですねぇ、秀一ってば」
「なら、何をそんなに…」
「んー?ミルクがね、入れられているので」
「ついでに言えば砂糖も入っている」
「えっ何で?!」


大声を上げた私を見ても何のその。平然とコーヒーを啜っている秀一。


「お前、疲れきった時は必ずミルクと砂糖を大量に入れて飲んでいるだろう」


絶句。
今の私にはその言葉がピッタリだ、と内心考えていた。だ、だって秀一がそんなことを覚えているなんて…思ってもみなかったから。


「え、ええ〜…?」
「何だ、そのマヌケな声は」
「マヌケって、…まさか覚えてくれているなんて、思いもしなかったので」
「覚えているさ。―――お前のことなら、な」


―――ごくん。
啜っていたコーヒーを思いっきり音を立てて、飲み下す。へ、変な所に入らなくて安心したけどっ…こ、この人は急になに変なことを言い出していらっしゃるんですかね?!
…いや、落ち着け?円香。今のは決して深い意味じゃあない、ただの大学時代の先輩・後輩の間柄で覚えている、というだけだ。そうだ、そうに決まっている!あの時だってレポートに追われて疲れた時、この甘いコーヒーを飲んでいたんだから。
そう結論付けて、私は秀一の言葉を聞かなかったことにして流す。真に受けたらきっと、私の心臓はもたない。絶対にもたない自信がある!そんな自信があるのはちょっと、悲しいような気がしないでもないけれども。


「…で?円香。こんな時間まで何を?」
「頼まれていた解析をしてました。久しぶりに骨のあるモノで結構、時間かかっちゃいまして…」
「ホォー…お前が手こずるとは珍しい」
「そこまで腕利きのハッカーじゃありませんよ。まだまだ上がいます」


グイッとコーヒーを飲み干し、空いた紙コップをゴミ箱に投げ捨てる。…さて、糖分補給もした所だし、そろそろ帰ろうかな〜もうすぐ日付も変わっちゃうし。それではさようなら、とクルッと上司に背を向けると、まぁ待て、と肩をガッシリ掴まれた。
うーん、さすがの秀一もこれから新しい仕事を頼んでくるような鬼では、…いや、この人は仕事の鬼だった。頼まれる可能性もゼロじゃないはずだ。溜息を吐いて何でしょうか、と視線だけを後ろに向ければ、送っていくから帰る支度をしろって言われました。


「…はい?」
「聞こえなかったのか?送っていく、と言ったんだ」
「誰が?」
「俺が」
「―――誰を…?」
「お前以外に誰がいる?さっさと準備をしないと置いていくぞ」
「えっちょ、ちょっと待ってくださいよ秀一!」


自分から言ってきておきながら、さっさとしないと置いていくって…それはないんじゃないですかね?!ああもう、と心の中で悪態をつきながら、薄暗い廊下を歩く上司の背中を追った。
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