通わせ、ココロ
ドアの開く音で目が覚めた。職業柄か元々、そこまで深い眠りにはつかない。それでも隣に円香がいる時だけは気を抜いて深く眠ることもあったが…別々に寝ていた今日は、いつも通り浅い眠りだったようだ。
近づいてくる足音と気配、それに気がついてはいたが俺は目を瞑ったまま動かずにいる。円香が何をしに来たか知りたかったのもあるが、今はアイツの姿を映してはダメだと直感的に思ったのが一番の理由かもしれん。
side:赤井
さっさと目を開け、声を掛けてしまえば良かった。数分前の自分を咄嗟に恨みたくなる…それくらい、円香の行動は不可解で心臓に悪いモノだったのだから。髪に触れ、甘い声で俺の名を呼び、あまつさえキスをしてくるとはな。そんなもの誰が予想するというんだ?本当にこの女は、記憶があろうがなかろうが人を煽ることが得意らしい。
あまりにも堪えた俺は、自分でも驚く程に情けない声が口をついて出た。俺をどうしたいんだ、と。
正直、もう限界だと思った。このまま感情に任せ、本能に任せて抱きたいとさえ思う。抱き潰して、啼かせて、もう一度この腕の中に閉じ込めたいと本気で思っている。そうしてしまえば、彼女が心の底から怯えてしまうとわかっていながら…けれど、そうすることでしか落ち着けられないのもわかっていた。
「赤井、さん、聞きたいことがあるの」
「…なんだ」
「これ、この指輪―――」
大きく深呼吸をして、顔を上げた。円香は首から下げていたチェーンを外し、ずいっと俺の前に指輪を突き出して真剣な表情になる。何となくだが、彼女が俺に聞きたいことがわかった気がするな。
頭の切れる奴だ、思い出せずともその真実に辿り着くのは容易いことだと思っていた。現に今、彼女は辿り着いているのだから。
「貴方は大切な奴にもらったんだろう、って言ってましたけど…赤井さん。貴方がくれたのでしょう?」
ほら、当たりだ。俺自身が濁し、伏せてしまった真相をコイツは導き出した。もう、隠してはおけないな…フッと苦笑を浮かべ、そうだ、と言葉を返す。
体を起こし、ソファに座り直してからさっきの円香と同じようにチェーンを外し、指輪を見せた。同じデザインの指輪を。それを見た円香はやっぱり、と口にしたから首を傾げることになったんだが。やっぱり、とはどういう意味だ…?
「一度だけ、胸元から見えたことがあったんだ。同じデザインに見えたから、だから赤井さんがくれたものなのかなって」
「…そうだったのか。では、俺と円香がつき合っていたのも気がついていたんだな」
「もしかしたらそうなのかも、って思った。でも確信なかったし、聞いても答えてもらえない気がして」
ぎゅっと指輪を握り込み、俯いた。涙が浮かんでいるようには見えなかったが、少しだけ不安そうな表情をしていたように思う。
何故、そんな顔をしているのかはわからない。記憶が戻っていないから?だからそんな顔をしているのか?なぁ、円香。
「黙ってて悪かった。だが…つき合っていることを言えば、混乱させてしまうかと思ってな。言えなかったんだ」
「ううん、もう…いいよ」
「……」
「ずっとわからなかったの。どうしてこんなに優しくされるのか、どうして時々甘い声で私を呼ぶのか、どうして…っ」
パタパタとソファに彼女の涙が落ちる。泣いている、とわかった瞬間、俺は華奢な円香の体を抱きしめていた。それこそ折れてしまうんじゃないか、というくらいに強く。それでも円香の口から拒否の言葉は一切出てこなくて、心の中で安堵の息を吐いた。
ここで拒否されたら、いくら何でも心が折れそうだからな。…その反面、拒否をされないことに期待をしてしまっている自分もいる。もしかしたら、と願ってしまっている自分がいる。それの何と滑稽なことか。
(いっそ―――突き飛ばされてしまった方が楽なのかもしれないな)
嫌だ、と一言言われてしまえばきっとそこまでだ。そこまでで…俺達の関係は呆気なく終わりを迎えるだろう。日本に戻ればまた、上司と部下の位置に納まるだけ。恋人という関係がなくなるだけ。
今の円香の状態を考えるならば、それが一番の良策だとは思っている。それこそ何度も思ったさ。なのに、その度にコイツを手離せるわけがないと思ったんだ。ただの上司と部下になんざ、今更戻れるわけがないというのに。
「……っ?!」
グッと胸を押され、背中に回していた腕の力を緩めた。涙が止まったんだろう、と思ったんだが…その次の瞬間、俺の視界は彼女の顔で埋め尽くされることとなる。何が起こったのか、すぐには理解出来ずに目を瞬かせた。
数秒固まってようやく気がついた、ソファに押し倒されているんだということに。
いまだ涙が止まっていなかったらしい円香が、ボロボロと涙を零したまま俺の上に馬乗りの状態。…本当にコイツは、俺をどうしたいというのか。いい加減、抑えられなくなるぞ。色々と。それでも頭の片隅で、さすが体術が得意とあって動きが滑らかだったなと見当違いのことも考えていたが。
「貴方は、」
「おい、円香?っこら、」
ポツリ、と何かを呟いたかと思えば、彼女の手が俺のシャツを掴んだ。そして何を思ったのかわからんが、そのままボタンを1つずつ外し始める。動きは緩やかでどこか拙いのに、でも確実に。真ん中辺りまで外した所で、満足したのか動きを止めた。全く…コイツ、寝惚けているんじゃないだろうな?
いい加減にどいてくれ、と口を開こうとしたが、それは音になることなく飲み込まれた。ちゅ、と可愛らしいリップ音を鳴らし、唇が離れていく。頬を流れ落ちていく涙は、カーテンの隙間から入り込む月の光でキラキラと輝いていた。それは息を飲むほどに綺麗で、尚且つ幻想的でもあるのに何故だろう。それ以上に妖艶だ、と思ってしまった。
見惚れてしまっていた、とでも言えばいいのか。俺が呆けている間に首筋に噛みつかれ、更にはシャツの隙間から手を滑り込ませて、細い指が体のラインをなぞる。それは俺が円香に触れる時と同じやり方で、心臓がドクリと跳ねた。
思い出したわけではないと思う、ただ…体が覚えているのかもしれない。今までのことを。だが、それに感動している暇なんてなかった。このままでは本当に、抑えがきかんぞ…?!
「円香、ちょっと待て…!っ、」
「赤井さ……」
「っ、く…」
息が、上がる。コイツが積極的に触れてくるなんて、酒に酔った時だけだ。素面で、しかも記憶がない状態でこんな風に触れられたら―――堪らなくなるのは、仕方ないだろう。愛しい女にここまでされて何もしない男がいたら、会ってみたいものだな。…人間、諦めが肝心と言うが、本当かもしれないな。
鎖骨辺りに噛みついてきた彼女の頬に触れれば、ピタッと動きが止まった。おずおずと上げた顔には赤みが差し、目には涙が溜まっている。その姿はまるで情事中のようで、一層鼓動が早くなっていく。ああこれはもう…我慢しろ、という方が無理だろう。
先に手を出したのはお前だ、文句なんざ言わせない。後頭部に手をかけ、思いっきり引き寄せて噛みつくように唇を重ねた。無理矢理にこじ開けて舌をねじ込めば、すぐにくぐもった声が聞こえてくる。やや苦しそうに感じるが、止まれそうにない…散々煽ってくれたのはそっちなんだ、覚悟してもらうとしよう。
「んっ…ぁ、はっ」
「舌、出せるか?」
「う……?」
「…いい子だ」
差し出された舌に軽く吸い付き、甘噛みすれば彼女の体は面白いくらいに跳ねた。止まったように思えた涙も、また流れ出して…優しくしてやりたいと思う以上に、めちゃくちゃにしてやりたいという加虐心が湧き上がる。
Tシャツの隙間から手を差し込んだ所で、待ってと声が掛けられた。そのまま無視して進めても良かったんだが、声音がいやに真剣で思わず手を止める。
「どうした?先に手を出してきたのはそっちだぞ」
「わかってる、けど…ねぇ、赤井さん」
「ん?」
「貴方は―――記憶のない私でも、愛してくれる…?」
くしゃり、と円香の顔が歪む。
それは懇願。愛してほしい、とそう言っているように見えたんだ。
「好き、好きなの…どうしたってダメなの、貴方が、赤井さんが好き…っ!」
「……っ!」
ぞわり、と背筋を何かが駆け抜けていく。ああそうか、これは歓喜による震えだ。嬉しくて震えるなど、初めて経験したよ。
湧き上がってくる感情のままに抱きすくめる。驚く声も、呼吸さえも飲みこんで口内を執拗なまでに犯した。それこそ円香が音を上げるまで、ずっと。
「もう一度―――…お前に愛してもらえるとは、思わなかったよ」
「赤井さん…?」
「質問に答えていなかったな。記憶があろうがなかろうが、円香に変わりはない。愛しているに決まっているだろう」
愛せないわけがない。円香から手を伸ばされたら尚更だ、それこそもう容赦も遠慮もしないぞ。