悲しみの封印
「さて…さっさと終わらせるとするか」
そう言って微笑む彼女は、今までで一番綺麗だと思った―――
side:コンラート
時が、来た。もう迷ってる時間はない。
「…創主を解放するのに、陛下や猊下がこの場所にいるのは危険だな」
「問題ないよ、私が結界を張る。皆に危害を加えはしない」
そう言って、彼女は愛用の剣を抜き地面に突き立てた。瞬間、澄んだ綺麗な音が聞こえた。
見た目は何も変わったようには思えないけど…きっとルナの言っていた結界が張られたんだろう。
とりあえず、これで他の者達への危険はないはずだ。
「コンラート」
「ん?」
「創主を解放すれば、私の意識はきっと残らない。自分の意識で体を動かすことも出来ないと思う…だから」
―――しっかりと、殺してくれよ?―――
「本来なら…あんまり聞きたくない願いだな」
「そうだな…私だってそんな願い、聞きたくなどない。だが、あえて頼むよ」
ルナの声を聞くのも、ルナとこうやって会話をするのも、自分の意識を持ったルナの顔を見るのも…きっとこれが最後だ。本当に、もう会えなくなる。
次に会うのは、創主となった彼女ではない彼女なんだから。
名残惜しくて仕方ないが…これ以上会話をしていると、決意が揺らいでしまうな。
「終わらせよう、コンラート」
後にいつもつけていた腕輪は、創主を封印する封印具だと教えてくれた。
これを外せば、創主がルナの魂の奥底から解放される。
その封印が、今解き放たれた―――――
「こ、れが…創主の力だと言うのか?」
「ルノアーナが結界を張ってくれたというのに、空気が一瞬で変わりましたね」
「思ってた以上に禍々しいね、これは…」
ギュンターの言う通り、一瞬にして空気が変わった。
何て言えばいいのか…猊下の言う通り、禍々しいし…何より氷のように冷たい。ルナの纏っていた空気とはまるで違う。
目の前にいる彼女は、本当にもう彼女ではないと思い知らされる。ただ、彼女の"カタチ"をしているだけのモノ。
『ククク…ッヨウヤク解放サレタ!アマリニモ長クテ退屈ダッタガ…ソレモ、モウ終ワリダナ』
…違う。笑い方も、声も、雰囲気も、表情の作り方も、何もかもが違う。
「もう…いないんだな、ルナは」
『アァ、コノ身体ノ持チ主カ?ソヤツノ意識ナラ、トックに沈ンダ…』
「目覚めたところ、申し訳ないが…また眠りについてもらうぞ。今度は永久にね」
『ソノ手ニ持ッテイルノハ、我ヲ封印スル剣カ。…面白イ!我ヲ滅ボスト言ウノダナ』
負けられない…ルナの涙の奥に見た覚悟の為にも、絶対に。
「く…っ」
「コンラッド!!!」
くそ…魔力が強すぎて、全く歯が立たない。
「やっぱり押されてるね、ウェラー卿。元は強力な魔力を持ったルナさんの身体だからなぁ…」
「冷静に分析してる場合じゃないだろ、村田ぁぁぁぁぁっ!!!」
結界の外から陛下達の声が聞こえる…。
陛下の元気のいい声と、それとは真逆の落ち着いてる猊下の声に少しだけ笑みが零れた。
あの人達は本当に周りを和ませてくれる。…まぁ、今がどんな状況か理解していただけると嬉しいんだけどね。
そんなことより、今は目の前の敵に集中しないと…創主を封印する前に俺の命がなくなってしまう。
『ドウシタ、小僧?先程マデノ勢イガマルデナイデハナイカ』
「そうですね…貴方の力が思ってた以上だったもので、少し驚いてるだけですよ」
『クククッ我ガ強イノハ当タリ前ダロウ?神ナノダカラ…』
冷たく笑う紅と碧の瞳。見慣れていた瞳だったと思っていたのに、その瞳の冷たさに背中がぞっとした。
このまま俺が創主を倒せずに死んだりしたら、この世界は間違いなく終わりだ。
そんなことになったら、完璧にルナに怒られるんだろうな。
何をしてくれてるんだ、バカじゃないのか!コンラート!…ってね。
「俺は…ここで死ぬわけにはいかないな…」
『ソレハドウダロウナ?オ前ノヨウナ小僧ニ、我ガ殺セルハズガナカロウゾ…故ニ、貴様ハ死ヌ運命ニアルノダ』
「そんな運命、誰が決めた?…やってみなきゃわからないだろう」
手に持っていた封印の剣を、腰に差していた鞘に戻す。
これを使うのは、本当に最後だけだ。創主の魂を彼女から引き離すために、心臓を貫く時だけだから。
それまではこの剣じゃなく、愛用の剣でいい。
「おい、コンラートの奴…封印の剣を鞘に戻したぞ?!」
「一体、何を考えて…まさか死ぬつもりではないでしょうね?」
「それはない。…コンラッドは…死なないよ」
「封印の剣だからね、創主を弱らせる為にじゃなく…本当に封印する為だけに使うつもりなんだと思うよ?ウェラー卿は」
さあて…果たしてどうなるか。
『何度ヤッテモ同ジコトダ…貴様ニ勝ツ術ナド存在シナイ!!!』
一瞬にして、水が龍の姿に変わった。詠唱もなく。
結界に阻まれていて、この中に在る魔力の源は極わずかなはずだ。更に魔力にだって限界があるはずなのに、疲れた様子すら見えない。ああ…依り代がルナというのは、本当に厄介だ。
だからといって、ここで怯むわけにも逃げ出すわけにもいかないんだ!
「すまない、ルナ…少し傷をつけるぞ!」
『何…っ?!』
―――ザシュ…ッ!
一筋の鮮血が、空中に舞った。飛び散ったのは俺の血ではなく…ルナの、創主の血だ。
龍の形をしていた水も、刃が身体に食い込んだ瞬間にただの水へと還り、辺りを濡らしていく。
飛び込んだ甲斐はあったようだ。止まることをしなかった俺を見て、一瞬だけど相手に隙ができた。だからこそ、一撃を加えることができたんだと思う。
『グ…ッ!何故、コノ身体ニ貴様ハ傷ヲツケルコトガ出来ル?!大事ナ存在デハナカッタノカ?!!何故、何故…ッ!』
大切だ、何より大切で…出来ることなら護っていきたい存在だった。
そう思っているのは、きっと俺だけじゃない。ユーリも、ヴォルフも、グウェンも、ギュンターも、ヨザックも…恐らく、出会って間もない猊下も。
彼女の雰囲気は、不思議と人を惹きつける力があったようだから。我が強い奴だったから、反感を買うことも多かったけど…それと同じくらい愛されていたんだ。
だけど―――――
「俺が大事に思っていたのは、ウェラー・ルノアーナだ。彼女の魂を宿していないその身体だけでは…ルナではない」
『ダカラ傷ツケラレルト言ウノカ!!!愛シキ女ノ存在ヲ…ッ』
「…あぁ。それが彼女の最期の願いだからな」
『許サン、許サンゾ!!!我ヲ…全能ナル神ヲ殺スナド、許サレヌ罪ナリ!!!』
創主を殺すことが許されない罪…?そんなもの、ルナを殺すことを承諾した時に背負っている。
封印したとしても、誰からも責められない理由だったとしても、俺の中には未来永劫残る罪。
更に、過去に奪ってきた数え切れない程の…光。
俺の両手はすでに罪で、真っ赤に染まっているから。一つ罪が増えようとも、もう怖いものなど俺にはない。背負う覚悟など…とうに出来ているのだから。
「お前の存在に許されようなんて、最初から思ってなどいないよ」
愛用の剣を投げ捨て、鞘に収めていた封印の剣を抜く。
結界の外から差し込む太陽の光。剥き出しになった刃に光が反射し、キラキラと煌いている。全てを浄化するように。
これで、終わりだ。全てを終わらせて…また最初から始めよう。
『我ハ滅ビヌ!貴様ノヨウナ虫ケラナドニ、タッタ数百年シカ生キテイナイ小僧ナンゾニ滅ボサレテ堪ルモノカ―――!!!』
「っ?!何だ、あれ!」
「創主の悪あがきだ…っ!ルナさんが持っている魔力の全てを使って、ウェラー卿の存在を消すつもりなんだよ」
「ちょっあの結界の中にいたんじゃ、コンラッドは逃げられないじゃんか!!!」
「恐らく、覚悟の上だ…コンラートは」
「そんな…っ」
「あいつも軍人だ。そのくらいはわかっているだろう」
創主の最期の悪あがき。結界の中に所狭しと広がった、水の龍。
先程のものとは桁違いの大きさで、きっと食らってしまえば命はない。
かと言って、ここまで大きいモノだと…逃げ場もないな。結界の外には出られそうにないし。
だがしかし、今は自分の命を気にしている時間はない。
今考えなければいけないのは、この龍に殺される前にどうやって奴の心臓を貫くか。
少しの時間でいい、懐に潜り込むことさえ出来れば…刃を突き立てることは可能なはずだ。それを失敗したら、全てが水の泡。
陛下の決断も、ルナの覚悟やたくさんの思いも…涙も。全てが無へ還ることになってしまうから。
失敗は、許されない。
『全テヲ無ニ還シテヤル!我ガコノ世界ノ全テダ!!!我ガ消エレバコノ世界モ無クナルト何故判ラヌ!』
「万能な神など、存在しない。お前が消えても、この世界は動いていく!」
剣を構え直し、地を蹴った。俺が動くと同時に、奴の後ろにいた龍もゆらりと蠢く。
自分を生み出した主を護るように、それが奴の意思だというように…俺に牙を向いた。
少しは俺の方が動くのが早いと思っていた。龍に捕らえられる前に、決着をつけられると自負していたんだが…さすがは創主と言うべきか。
「無理だ、間に合わないっ!」
「ッコンラッドーーーーーーーッ!!!」
この命が終わりを迎える。そう感じた刹那―――――
―――パァンッ
何かが破裂したような音と共に、目の前から龍が跡形もなく消えた。
雨が降っているように、龍を形どっていた水が上から降り注ぐ。さっきまで攻撃性を持っていたというのに、今はただ落ちてくるのみで。
目の前で起きたはずの出来事に、頭がついていかない。何が起きたのか把握が出来ないんだ。
だって、俺はまだ心臓を貫いていない。身体を傷つけて、力が飛散したわけでもない。
創主が攻撃の力を緩める理由が、どこにも存在していない。むしろあのままいけば、確実に俺の命は消えていたはずだった。
自分が生き残れて、全てを手にすることが出来たというのに…一体何故?
「何が、起こったのですか…?」
「僕にもわからない。ただ…急に攻撃の力が緩められたんだ、コンラートを殺すのを拒むように」
俯いていた創主がゆっくりと顔を上げていく。
徐々に見え始めた、もう見慣れている2つの色の瞳。だけど、さっきとはまるで雰囲気が違う。冷たくて、敵意を剥き出しだった気配がなくなっている。
瞳に宿る光もさっきまでと違うんだ。これは…俺がよく知っている彼女の―――
「ルナ…なのか…?」
「…急げ、コン…今なら簡単に仕留められる。長くは、もたないぞ?」
優しい光を宿した瞳
明るく、温かさを持った雰囲気
聞きなれた透き通った声
見慣れた笑顔
ああ、間違えるはずがない…今、目の前にいるのはルナだ。
「はは…何とか、抑え込めるもんだな…」
「ルナ?!お前…今はルナなのか?!」
「…ええ、でも…すぐにお別れですよ」
「…いくぞ」
「あぁ、来い。コンラート」
創主を奥底に抑え込んで、身体を蝕む痛みに耐えながら…それでも顔には優しげな笑みを浮かべて。
また創主が表に出てくる前に、これ以上ルナが苦しみを感じる前に―――終わらせよう。
―――ドスッ…!!!
『ゥアアアアアアアァァァァアアアアッ!!!』
辺りに刃が肉に食い込む音が響いた。
剣を通して、何度も感じたことのある感触が手へと伝わっていく。
そして、最期の断末魔。全てがこれは現実だと、夢でも何でもないと教えてくれている気がして。
確かにこの手で彼女の心臓を貫いた封印の剣は、淡い光を放ち砕け散った。
支えを失った彼女の細い身体は、重力に逆らうことなく地面へと落ちていった。
地面に崩れ落ちる一歩手前で抱き留めたが、その身体は驚くほど冷たい。その冷たさは、もうルナの命がそう長くはないと言っているようで。
胸と腹から流れ出る血も、止まる気配はない。
ルナの意思で張られた結界も、いまだ解かれていなくて運び出すこともできないんだ。
「ルナ、この結界を解いてくれ!今ならまだ…っ」
「こ、れは…私の命が燃え尽きれば…解けるようになってる…もうじきだ」
「まだ助かる可能性があるのに、どうして…!」
「もう私は助からな、い…から…それより…なぁ、コ…ン…?」
「…何だ?ルナ」
「あり、がと…だが…ごめんな…辛い、思いをさせ、てしまった…今、も…これからも…きっと」
大丈夫だからと伝えようとした時、服の襟を引っ張られて…唇が重なった。
「―――――…」
「!ルナ…ッ」
「ほんと、に…最期のわが、まま…だ……コン」
頬に添えられた手が、するりと落ちていく。
そして、澄んだ音を立て…結界が壊れていった。
「本当に…ズルイよ、ルナ…ッ!」
一人に女性の命との引き換えに、再び静寂と平和な世界を手に入れた。
心に大きな傷と、大きな穴を残したまま―――――