ここがスタート地点
言いたいことは伝えた。泣きたいだけ泣いた。自分の感情にできるだけ素直に生きてみたら、あらビックリ…思っていた以上にスッキリしてしまったんです。
これも話をとことん聞いてくれたネイサンのおかげかもしれませんね。今度、改めてお礼をしなくちゃ―――と思っていたのだけれど、そんなもんいらないからまたお酒飲むの付き合いなさいって言われちゃった。お礼目当てで話を聞いたわけじゃないんだから、って。
別にそんなことを思ってたわけではないのだけれど、…本人にそう言われてしまったら、もうこれ以上言うこともできなくて、私はただわかったと一言返すだけしかできない。
(ありがとう、の気持ちを伝えたいだけなんだけどなぁ…)
それでもいらない、とハッキリ言われてしまったらそれまでなんだけどね。これはもう仕方ない、と諦めるしかないわね。
抱えていた書類を抱え直して顔を上げると、向こう側からタイガー&バーナビーもとい、虎徹とブルックスくんが歩いてくるのが見えた。あっちも私に気がついたらしく、虎徹が軽く手を上げた。
「こんにちは。虎徹、ブルックスくん」
「よ。ちょうどメカニックルームに行こうと思ってた所なんだ」
「斉藤さんに用事?」
「いんや、千紘に用事」
「一緒にお昼に行こうと思いまして」
誘いに来たんですよ、と笑ったブルックスくん。2人と食事って…ものすごく目立ちそうで嫌なんだけど。
「お前、そう言って断ること多いから、今日は中で食おうと思ってさ」
「……あ、社員食堂?」
「そうそう。割と美味いって評判なんだ」
…正直、もっと気まずくなるものだと思っていたの。けれど、虎徹はあんなことを言った翌朝に普通に声をかけてくれて、一緒にご飯も食べて、何もなかったかのように接し続けてくれている。気を、遣わせているんだというのは何となくわかっているのよね?とても優しくて、他人を大事にしてくれるような人だから。
今まで通りに接することができるのは有難かったけど、無理をさせているように感じてしまって辛かったの。きっと虎徹は私以上に気まずさを感じているんだろう、と予測していたから余計に。
でも、でもね?だからといって私が無視したり、不自然に会わないように生活するのも…何か違うでしょう?そう思ったから私も、今まで通りに接しているつもり。何もなかったかのように、今までの私達に見えるように精一杯。最初こそギスギスしてる、というか…僅かな違和感があったと思うんだけど、今ではもうすっかり大丈夫になったと思う。だってほら、こんなにも自然に笑えてる。
「あ、すごい。メニュー豊富…!」
「何にすっかなぁ…バニーは?決まった?」
「うーん、ちょっと悩んでます」
「これだけ種類あると迷っちゃいますよね」
和洋中なんでもござれ、なメニューを凝視すること数分。私達はようやく決めてオーダーをすることにしたのだけれど、…さすが昼時。食券売り場は激混み状態で、これは買うまでに時間がかかりそうだわ…午後の始業までに間に合えばいいけど、と心配してしまう。
「先に席を取っておいた方がいいかもしれませんね…」
「ですね。すみません虎徹さん、オーダー任せてもいいですか?」
「んぁ?ああ、構わねぇぞ」
「じゃあお願いします。僕と千紘さんは席を確保してきますので」
「おー、よろしくなぁバニーちゃん、千紘!」
2人の間であっという間に決まってしまい、ポカンとしている間に私はブルックスくんによって腕を引っ張られていました。
「…虎徹さんと、何かありました?」
「え、…」
「今は元通りですけど、少し前…1ヶ月くらい前だったかな?少し、ぎこちなかったでしょう」
「気が、ついてたんですか…?」
「ええ、まぁ」
驚いたなぁ、ブルックスくんが気がついていたなんて。…でもこうして聞いてきてくれるってことは、心配かけてしまっていたのかもしれません。彼は私の気持ちを知っていたから、尚更。
苦笑いを浮かべて告白したんですよ、と小声で伝えると、叫びはしなかったもののブルックスくんの綺麗な瞳は大きく見開かれてしまった。ああ、それはこんな反応になりますよねぇ?ネイサンも驚いていたもの。
「結果は予想通り、フラれちゃった。…でも今はスッキリしてるんです」
「そう、なんですか」
「前に進もうと思えたのは、貴方のおかげなんですよ?ブルックスくん」
「僕?」
「貴方が『過去に囚われたままだ』って言ってくれたのがきっかけなので」
言われた時は人の気持ちも知らないで、と思ったけれど、よくよく考えてみれば彼の言う通りだったんだもの。この気持ちを言葉にしない限り、私はずーっとあのまま立ち止まっていたと思うから。
ありがとう、と笑えば、お礼を言われる程のことじゃありません、と返されてしまったけれど。ふふ、貴方もネイサンと一緒ね。別にそういうつもりはない、って言いたげだもの。だけど、あえて返すなら…私も同じで、ただお礼を言いたかっただけなのよ。
もう一度、ありがとうと口にした所で虎徹が3人分の食事を抱えてやって来た。もう、呼んでくれれば手伝いに行ったのに…全員、一品しか頼んでいないとはいえ、結構な重さだと思うのよね。それを告げれば力なら有り余ってるから平気、と返されてしまったのだけれど。
私が言いたいのはそういうことではないのだけれど、…これ以上は言っても無駄なような気もするから、ここまでにしておきましょうか。
「お、噂通り。美味いな」
「ええ、なかなかイケますね。時間ない時にいいな…」
「値段もリーズナブルでしたしね。こんな穴場があったとは、驚きだわ」
「いっつもメシは外に行っちまうからなー」
社員食堂があるのは入社式の時に聞いてはいたのだけれど、メカニックの仕事は割と忙しくて…今までサンドイッチとか簡単なもので済ませることが多かったから来たことがなかったのよね。虎徹とブルックスくんが入社してきてからは、外へ誘い出されることが多かったし。
リーズナブルで、美味しくて、しかも社内で食べられるとあったら、これはもう重宝されること間違いなしってやつだと思うの。今度から忙しい時は社員食堂を使うようにしようかしら…カフェのサンドイッチも好きだけれども。
お腹いっぱいになり、食後には無料のコーヒーで一息。はー…あの値段でこれだけお腹いっぱいになれるのは、とても有難いなぁ。ん、満足!
―――ピピピッ
「虎徹、この音って貴方の携帯じゃない?」
「本当だ、誰だよ……斉藤さん?―――はい」
どうやら電話の相手は斉藤さんだったようだ。…そういえば、午前にタイガーのスーツを点検してたっけ。それで試してみたいことがあるから、彼を呼ばなくちゃなぁとか何とか、斉藤さんが言っていたような気がする。それの呼び出しかなぁ。
「あの、…千紘さん」
「はい?何ですか、ブルックスくん」
「今度の日曜日なんですけど、時間ありますか?」
コーヒーが入っているであろう紙コップを握り潰さん力でギュッと握り、彼は小さな声でそう呟いた。今度の日曜…仕事は要請が入らない限り、多分お休みのはず。予定はー…どう、だったかな?スケジュール帳を見れば一目瞭然なんだけど、如何せん用事の全てを頭に叩き込んでいるわけではないので、今この場では大丈夫ともダメだとも言えないというのが本音です。
包み隠さずそのまま返事をすれば、わかったら連絡してください、と一枚の紙が差し出された。書かれていたのは誰かの番号とアドレス。流れからすると、…ブルックスくんの連絡先ってことか?差し出されながら連絡してください、って言われたし。それなのに違う人の連絡先、とかだったら、貴方はどれだけボケているんだって言っちゃう。
「わかりました。予定がわかったらこちらに連絡しますね」
「はい、お願いします」
「じゃあ私は先に戻ります」
食べ終えた食器、飲み終えた紙コップを持って立ち上がる。もらった紙はジャケットの胸ポケットにしまったから、失くすような真似はしないと思う。…多分。
「それにしても…何か用事なのかしら?」
わざわざ仕事が休みの日に誘ってくるなんて。相談事だったら私より虎徹の方が適任だと思うし、そもそも休みの日に時間を割く必要もない。会社が同じなんだもの、終わった後に来ればいいだけの話でしょう?それなのに日曜日は時間あるか、なんて…一体、何なのだろう?