夜の逃亡劇


「今、おつき合いしている人はいないと思っていいんですよね…?!」
「えっと、…ええ、まぁ。今の所」


どうしてこうなった。

私は今、シュテルンビルトの高級ホテルのレストランの一角で、男性と向き合って食事中です。2人きりです。でも相手は最近よく出かけている、ブルックスくんではありません。初めてお会いする方です。
…何故、初めてお会いする方と2人きりで食事をしているのかと言いますと―――…それは、3日前に遡る。


「私に会いたい人…?」
「そうなんです。私の知り合い…まぁ、上司にあたる人なんだけどね?その息子さんが天宮くんを社内で見かけてえらく気に入ったそうで」
「はぁ…」
「それで一度、食事でもどうですかってずっと言われているんだよ。…やんわりと断ってきてはいたんだけど、そろそろ難しくなってきてね」


ロイズさんに呼び出され、聞かされたのはそんなこと。いつもは自信満々って感じのロイズさんも、さすがに参っているのか困った顔になっていらっしゃる。私自身、そういうのをあまり好まないし、前にお見合いだか何だかの話が来た時も断固拒否!って突っ撥ねていたから、今回もそうなるだろうと予測して断ってくれていたみたいなんだけど…上司にあたる人の息子さんとなると、そう簡単には断れなかったらしい。
そりゃあそうか、下手に強く断ってしまえば色々と支障が出るものね。人間関係とか、人事関係とか、その他諸々。

(それでもやんわり断ってくれていた、というのは、嬉しいですけど)

だけど、やんわりと断っていただけではいずれ限界がくる。きっとロイズさんももう無理だ、と思ったんでしょう。それで私に話をもってきた、という所ではないだろうか。うん。
聞いた感じ、お見合いってわけではなさそうだけど…正直、気乗りはしませんよねぇ。だって見知らぬ人と2人で食事でしょう?お見合いじゃないです、と言われていても、2人きりというのはどうしたって躊躇してしまうというもの。
相手の『気に入った』というのがどのレベルなのかわからないのも、ちょっと不安。どうしよう、つき合ってほしいとかそういう類の『気に入った』だったら。私は今、誰ともつき合う気はないからハッキリ断ればいいだけだけど、…果たして簡単に諦めてくれるのか。


「天宮くんがそういうのを好まないのを承知でお願いしたい、一度だけ食事につき合ってもらえないかな?」
「…ものすっごく気は進みませんけど、仕方ないですね…」
「ごめんね、よろしく頼むよ。先方との連絡はこっちで取るから、場所や時間はまた連絡します」
「わかりました。では、失礼します」


―――回想終了。
そんなわけで今日、食事をしに来たのだけれど…案内された瞬間、ああこれは間違いなくお見合いだ!と悟ってしまった。何故なら、相手側が母親と思われる人と一緒に来ていたから。
ロイズさん本人からお見合いではないよ、と聞いていたのに。とはいえ、あの人が嘘をついたとは考えにくい。私がこういうのを好まないことを知っているから、お見合いだったらお見合いだってハッキリ言ってくれるはずだもの。
それがなかったってことは、相手側がそれを隠していた…もしくは、あわよくばその方向へ持ち込みたいと画策していたって所なのでしょう。ものすっごく逃げ出したかったけど、受けてしまった手前そうするわけにもいかず、冒頭の会話に戻る。


頼みますから誰か助けて、本当に!心の底から!!


「僕、社内で貴方のことを見かけてからずっと気になっていたんです!とても綺麗な人がパパの会社で働いてるんだなぁ、って」
「はぁ、そうなんですか…ありがとうございます」


いや、貴方のお父様が誰か知らないけど、お父様の会社ではないと思いますよ。確実に。
愛想笑いを浮かべ、適当に相槌を打ちながら目の前の料理を口に運ぶ。高級ホテルのレストランとあって、料理はとても美味しい。お酒も飲みやすいし、こんな状況で来たわけでなければ上機嫌になれること間違いなしだと思う。…本当に、お見合いとかでなければね。

もう一度言おう、どうしてこうなった。

思いきりつきそうになった溜息を、慌てて飲み込む。危ない、危ない…!溜息なんてついてしまったら、ロイズさんの面目丸つぶれになってしまう!まぁ、断る気満々で来ている時点で、面目丸つぶれにすることは決定事項だとは思うんだけどね。すみません、ロイズさん。

(あの人、お見合いだって知らないで話を持ってきたけど…断ってもいいわよね?そういう話になったら)

前菜のカルパッチョに舌鼓を打ちながら、ぼんやりとそんなことを思う。あまりにも衝撃的すぎて、事前に確認してくるのを忘れてしまった。断る許可をもらっていれば、こんなにも心配することはなかったんだろうけど忘れてしまったものは仕方がない。
怒られたらその時はその時だ、嫌だったんだから仕方ないでしょう!と声高らかに宣言させて頂きます。だって、本当に嫌なんだもの。それはあの人だって理解しているんだから、横暴なことは言わないと思うのです。

相も変わらず、目の前に座っている男性(名前は聞いたけれど、忘れてしまった)は楽しそうに話を振ってくれている。僅かに頬を染めて。
相槌は打つし、必要であれば言葉だって発する。けれど、基本的に意識は目の前に出される料理に向いている。
…大分、失礼なことをしているなぁという自覚はあるのだけれど、楽しそうに話してくれている内容がお父様のことや、自分がどれだけ偉い立場にいるかという自慢話のようなものだと…そうなるのも頷けると思わない?
少なくとも私は、笑って話を聞ける内容じゃないと思ってしまう。自慢するな、とは言いませんけど、節度とか加減って必要なものですよね。ええ、本当に。


「こちらデザートのオレンジソースをかけたクレープ・シュゼットでございます」


運ばれてきた最後のデザート。これを食べ終れば、適当に話を切り上げて帰ることができるかしら。料理もお酒もとっても美味しかったのに、何かすっごく疲れた…精神的疲労ってこういうことを言うのね。
心の中でうんうん、と頷きながらデザートに手を伸ばそうとした瞬間、ギュッと手を握られた。ぞわっと鳥肌が、立ったんですけど…!えっ何で急に手を握ってくるんです?!
顔に浮かべた笑みをなるべく崩さないようにして、何でしょう?と和やかに、あくまで和やかに聞く。本当ならやめてください、と叫びたい気分ではありますが。ここは穏便に済ませる為に、グッと堪えておく必要があるわよね。


「僕、言いましたよね?貴方のことが気になっていた、って」
「ええ、お聞きしましたわ。ミスター」
「それにつき合ってる人もいないって、言ってましたよね?」
「…そうですね。今の所、いないと申し上げたと思います」
「なら!」


―――ガタンッ!

椅子を倒しながら勢い良く立ち上がり、今度は両手で私の手を握ってきた。
え、え、これはちょっと雲行きが怪しくなってきたんじゃないんですかね…?!内心、冷や汗ダラダラです。


「あの、困ります…!」
「お願いです千紘さん、僕と結婚前提につき合ってください!貴方は理想の人だ…っ!」
「も、申し訳ないんですけど、私は結婚する意思もおつき合いする意思もないんです!せっかくのお申し出ですが…っ」
「どうしてです?地位もお金もあります!断る要素なんて1つもないでしょう?!」


ああもう!そういう所が断る要素の1つだ、って何で気がつかないんですかね?!
つき合うつもりもない、結婚するつもりもない、嫌なんです!と何度伝えても、手は離してくれないし諦めてくれる様子もない。これ以上、どう言えば諦めてくれるのでしょう。
こんなことになるんだったら、つき合ってる人がいるって嘘でも言っておくべきだったかも…そうしたら迫られずに済んだかもしれないのに。そう思ってももう後の祭り、ってやつですけどね。


―――グイッ

「すみません。彼女は、もう僕のものなんですよ」
「なっなんだお前!僕と千紘さんの邪魔をするな!!」
「え、…ブルックスくん…?!」


私の肩を抱き寄せたのは、まさかのブルックスくんでした。小さな声で彼の名前を呼んだ私を見て、人差指を立てたと思ったらそれを唇に押し付けられ、「Shhh…」とウインクされてしまったのですけれども。
よくよくブルックスくんの姿を見てみれば、ヒーローのバーナビーだとわからないように変装していた。近くで見れば何となく面影はあるし、声だって聞き慣れたものだから、私はわかったけど…周りの人達は意外と気がついていないみたい。目の前で怒り狂っている男性も、ブルックスくんだとは気がついていないようだし。…すごいな、変装って。


「彼女はハッキリ、つき合ってる人はいないと言ったんだ!嘘をつくな!!」
「この人は恥ずかしがり屋でね…知人以外にはあまり言いたくないそうなんですよ。だから貴方にも隠したんだ」
「……すみません、ミスター。彼の言う通りなんです」
「そ、そんな…!そんな、そんなデタラメ僕は信じないぞ!証拠を見せてみろよっ」


証拠って…というか、つき合っている証拠って何ですか。
いい加減、うんざりしてきたな…溜息をつきかけた所で、耳元で「すみません」と囁かれた。何が、と聞き返す前に、ブルックスくんに唇を塞がれて―――思わず、目を見開く。


「は…っ」
「…これで信じて頂けます?僕達が愛し合っている、ということを」
「……ッ!」
「わかって頂けたようで何より。…行こう、千紘」


初めて呼び捨てにされた名前に、ドクリと心臓が跳ねた。
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