呑まれた代償は
「秀一、つき合ってください」
「……は?」
ドンッとローテーブルの上に置かれたバーボンとグラス2つ。それはまぁいいだろう。
だが…俺はまだ変装を解いておらず、沖矢の姿のままだ。変声機も外していないし、スイッチを切ってもいなかったのに―――なまえはそんなこと構うものかと言わんばかりに、本来の名を呼ぶ。
side:赤井
本来の名を呼ばれたことを言い訳に、少しばかり早いが変装を解くことにした。全てを取っ払って、ついでにシャワーを浴びてからリビングへ戻れば、つき合えと言ったくせにさっさと飲み始めている彼女の姿がそこにはあった。…まぁ、いいのだが。待っていろ、と言ったわけでもないしな。
髪を拭きながらなまえの隣へ腰を下ろせば、黙ってグラスに氷とバーボンを並々と注ぎ入れてくれる。これまた黙って差し出されたグラスを受け取った。これは確実に仕事で何かあったな…些か疲れている表情をしているし、更に言えばかなり不機嫌だ。帰ってきた時から雰囲気で何となく察してはいたが、コイツが何も言おうとしなかったからな。突っ込んで聞くこともしなかった。
機嫌が悪いせいかいつもよりも飲むペースが早い。なまえは特別酒に弱いわけではないが、ウイスキーはあまり得意ではないらしく酔いやすい。今日だってもうすでに頬が赤くなってきているし、目も虚ろになってきている。
飲みすぎだ、とグラスを取り上げようとしても、嫌だの一点張りで離そうとしない。全く…翌日、二日酔いで困るのはお前自身だろう?
(つまみも口にしているから、悪酔いはしないだろうが…)
ストレスを酒で解消しようとするくらいなら、俺を頼ればいいだろうに。そんな言葉を素直に吐けるはずもなく、酒と共に流し込んだ。
「ん〜……」
「ほらなまえ、いい加減グラスを置け」
「やぁですー…」
「はあ…どうしたんだ。今日は飲み方がひどい」
赤くなった頬に触れれば、通常より数段熱い。かなり酔いが回っているな、呂律も危うくなってきている。
グラスを傾けながら撫でてやれば、手に擦り寄ってくる。その姿はまるで猫のようで可愛らしいと思うが、…珍しい、甘えたい気分なのか?
「なまえ?」
「んふふ、しゅういちー」
―――ぎゅう、
「なんだ、ずいぶんと可愛らしいことをするな?」
「こんな私は嫌いですかー…?」
「いや?大歓迎だ」
零さぬようグラスをローテーブルに置いてから抱きしめ返してやれば、嬉しそうな声が聞こえた。どうやら少しは機嫌が良くなったらしい。全く…普段からこのくらい素直になってくれると安心するんだがな。
コイツが弱音を吐かないのも、愚痴を言わないのも、飲み込んで溜め込んでしまうのも昔から変わらない。今では僅かばかり改善されてはいるが、それでも肝心なことは胸の内に秘めてしまうことが多いだろう。
今日だって何かがあったのは確実だが、それを語ろうとしていない。酒の力を借りて話すのか、と思いもしたが、どうやらそのつもりもないようだ。今の状態なら問い質せば、ポロッと話しそうではあるがな。
「しゅういち、…好きです。すっごい好きなんです、愛してるんです」
「ぐ、…ゲホッ」
いかん、ナッツが変な所に入った。
「ゴホッ…お前は急に何を、」
「ずっと、ずーっと好きだったんです…貴方と別れた後、誰とつき合っても貴方以外に愛せる人なんて…」
―――1人もいなかった。
更に腕の力を強くして抱きついてくる彼女。その口から零れ落ちた声は、甘さを多分に含んでいた。
ああくそ、…この女は本当に人の理性を容易く崩してくれる。今此処で押し倒して、その体を拓いてやりたくなるのは―――致し方ないことだと思わないか?
だが、今のなまえは酩酊状態だ、まともな思考回路は残っていないと思った方がいい。下手すると、というか確実に、こいつは煽っている自覚はない。それは酔っていなくとも同じ。天然すぎる言動はいつだって、俺の心をかき乱してくれる。
「私のこと、もっと愛してください…それで、」
「……なまえ?」
「すー……」
「この状態で寝る奴がいるか、馬鹿者」
聞こえてきたのは寝息。あれだけ飲めばこうなるのも頷けるが…煽るだけ煽りやがって。とりあえずベッドへ運ぶか…片付けは明日でも構わんだろう。
なまえを横抱きにし、立ち上がる。全く気持ち良さそうに寝ている…起きたら覚えていろ。手加減なんざしてやる余裕はないからな。
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