私であって、私でない
※宮野明美成り代わり
ああ成程、と思ったのは、幼い頃。どこかで聞いたことがある母の名前、どこかで見たことのある母の顔と妹の顔。そして鏡に映る自分の顔を見て、ここが某探偵マンガの世界だとほぼ100%の確信した。だってこの顔、あの子でしょ?『宮野明美』。残念ながら私の名前は明美ではないけれど、なまえだけれど。まぁ、名字は宮野だけどね。うん
。最初こそ嘘でしょ、と思ったし、ふざけんな!とやり場のない怒りがこう…沸々と湧き上がってきたけれど、でもきっとこれはもうどうしようもない事実なのだろうから―――諦めて受け入れる他ない、とそう思った。一度、受け入れてしまえば何てことはない。
「なまえ」
「大くん!待たせてごめんね」
「いや、大丈夫だ」
諸星大―――私の、恋人の名前だ。
いくら受け入れたと言っても、彼と出会ってしまった時は本気でどうしようかと思った。確かにこの世界は某探偵マンガの世界だけれど、もしかしたら私の知っている運命とは違う方向に話が進んでくれるのではないかという期待が、少なからずあった。…とはいえ両親はすでに他界し、私と志保は黒の組織の一員として今を生きている。その時点で原作通りに進んでいるのだと、理解はしていたのだけれど。
それでも、どうしたって…彼とは、出会わない運命でありたかったと思ってしまったんだ。
「それでね、今日は買い物につき合ってほしいんだけど…」
「構わない。行くか」
「…うん」
差し出される右手。それに自らの左手を重ねれば、やんわりと包み込まれて心臓が高鳴った。この人は、優しい。私との関係が組織の中枢に入り込む為のものだとわかっていても…会えば会うほどに惹かれていくのがわかったし、離れられなくなりそうだと思う。
どれだけ好きになったって、惚れ込んだって、彼と私の関係に未来はない。愛情もない。―――関係が始まった時はそう、思っていたのに。
「…なまえ、触れても構わないか?」
「ふふっ変な大くん。許可なんていらないのに」
そう言って笑えば、大くんは僅かに眉間にシワを寄せる。その表情がまた拗ねた子供のようで笑いを誘うのだ。でもこれ以上笑ったら、きっと大くんの機嫌を損ねてしまうだろう。だから私から、彼の唇に触れるだけの口づけをひとつ。そうして首に腕を回せば、まるでそれが合図だと言わんばかりに唇が重なった。
触れる唇が、そっと体のラインを滑る手が、吐息が、…全てが優しくて、燃えるように熱い。何度も感じたこの熱は、優しさは決して偽りだけだと思えないの。…いいえ、思いたくなかっただけなのかもしれない。愛されていると、そう思いたかったのかもね。
「ン、…大くん、抱きしめて」
「ああ」
「…私ね、大くんが好きよ。大好き」
頬に触れてそう告げれば、大くんは一瞬だけ目を大きく見開いた。
ねぇ、滑稽だと笑う?馬鹿にする?でも、でもね…本心なの。本当に心から、私は貴方が好きで―――愛しているのよ。
「なまえ、俺は…」
「いい。何も言わないで、…いいよ、大くん」
わかってるから。貴方の気持ちは、私には少しも向いていないって。でもそれでもいいから、少しの間だけでいいから…私だけを見て、私を愛して。
そっと擦り寄れば、ゴツゴツした男らしい大きな手が、優しく私の髪を梳くように撫でた。ああ、やっぱりこの人は…残酷な程に、優しい。
「なまえ。愛してる」
私はもう、その言葉に何も返さなかった。
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