思い出を増やそうと君が笑う
「デート、ですか?」
「ああ」
きょとんとした顔でこちらを見上げてくるなまえの額にキスをひとつ落とせば、頬がサッと桃色に染まった。何をするんですか、と眉間にシワを寄せて形の良い唇が文句を紡ぐが、頬を染めた顔で睨まれても怖くも何ともない。ただ、可愛らしいと思うだけだ。
side:赤井
恋人という関係に再び落ち着いたものの、いまだ問題は山積みだ。俺達の関係云々ではなく、仕事関係でなのだが。
世間では俺は死んだことになっている。それを知っているのは策を授けてくれたボウヤ、阿笠博士、ジェイムズ、ジョディ、キャメル、なまえの兄である工藤氏とその妻である有希子さん―――そしてなまえ。だから俺は偽りの姿である『沖矢昴』として工藤邸に身を置いている。元々その家を借りていたなまえと共に。
まぁ、そういう事情を抱えているものでね…なかなか恋人らしいことをしてやれていない。これは昔もそうだったような気がするな。なまえ自身が何も文句を言うことがなかったから、あの頃は本気で大丈夫だろうと思い込んでいたものだ。今は多少、アイツの気持ちも汲んでやれるようにはなったと自負しているが。
今日はなまえも仕事が休みだし、俺も任務は入っていない。それならば久しぶりになまえと遠出でも、と思い立ったのは、ついさっきのことだ。
「…まぁ、デートって言われた時点で沖矢くんだとは思ってたけどね!」
「あはは。すみません」
「別に謝らなくていいよ。…私の為なんでしょう?」
窓の外に視線をやり、ポツリと呟かれた言葉はしっかりと俺の耳にも届いていた。そっとなまえの方を見ると、耳が赤くなっていて自らの発言に照れていることに気がつく。
ククッ本当にコイツは可愛らしい。けれど、ここで声を上げて笑ってしまうと機嫌を損ねかねない。せっかくのデートなんだ。可愛い可愛い恋人には、笑って過ごしてもらいたいだろう?
「さて、何処に行きたい?」
「急に秀一に戻らないでくださいよ…びっくりした」
「車の中でくらいいいだろう」
「まぁ、嬉しいですけど…んん、行きたい場所かぁ」
変声機のスイッチを切って声をかければ、心底驚いたという表情でこちらを向くもんだからうっかり吹き出しそうになった。何度もこんな場面には遭遇しているだろうに、いまだに新鮮な反応を返してくる。まぁ、それすらも愛しいと思ってしまうのは…それだけ心を奪われているということなんだろう。
(…ああ、無性にキスがしたいな)
しかし、沖矢の姿でいる時は触れない―――というか、キスをしないという約束事がある。それはこの関係に戻った時から続いているものだ。なまえは沖矢と俺が同一人物だと頭では理解もしているし、納得しているのだが…どうしてもキスやそれ以上のことを沖矢とするのは嫌だ、と思っている。なまえ自身からも聞いている。だからなるべくこちらの姿の時は、手を繋ぐ程度で抑えているのだが。
まぁ、俺も男なんでね。無性に触れたい、と思うことだってあるさ。ホテルに連れ込んで変装を解けば万事解決なのだが、それを実行したらなまえはしばらく不機嫌になるだろう。確実に。怒っている顔も可愛いと思うが、やはり笑っている方が好きだからな。しばらく我慢、ということになる。
「あ、東都水族館」
「……何でまたそこなんだ…」
「え、あ、いや、ああそっか…うん、すみません」
「お前も当事者だろう」
「そうなんですけどー…リニューアルしたって聞いて、行ってみたかったんです」
東都水族館と聞いて、苦い記憶が蘇る。あの事件に関わった者としては、あの場所にいい思い出などひとつもない。あるのは僅かな罪悪感だ。そして行きたい、と漏らしたなまえも、俺と同じ当事者。その事実を本当に一瞬だけ記憶から消していたらしく、今はバツが悪そうな表情を浮かべている。
…つまり、本気で行きたかったんだな…東都水族館。確かになまえは美術館やプラネタリウムなど、ああいう娯楽施設を好む傾向はあるがな。それを思えば、東都水族館に興味を示すのも当然のことなのだろう。
「…行くか。東都水族館」
「えっ!」
「ついこの間、工事が終わったとニュースを見た。行きたいんだろう?」
「行きたいです!やった!」
さっきまでの沈んだ表情はどこへやら。途端に嬉しそうな表情になり、カーナビでルートを検索し始めた。全く…現金なものだ。まぁ、構わんがな。
「さすがに観覧車はなし、ですかね…?」
「いくらお前の頼みでもあれは乗りたくない。勘弁してくれ」
「あはは。ですよね」
東都水族館までのルートを計算したカーナビが示した所要時間は、およそ30分。さて、ウチのお姫様を喜ばす為に出発しようか。
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