雨よ、降れ

宿に辿り着き、各々が部屋で好きに過ごしていた時。ふと、ザーッと何かが降るような音が耳に届いた。何の音だろう、と顔を上げてみると、窓が雨で濡れていて。そこでようやく雨が降っていることに気がついたんです。

(―――雨…)

雨はあの日の記憶を、痛みを、喪失感を連れてくる。それでもあの時ほどの嫌悪感を抱かなくなったのは、…きっと何も言わずに傍にいてくれる彼女がいるからだろう。今までの僕だったら…雨を見ることすら、嫌だと思っていたでしょうから。


「…そういえば、買い物に行くと言っていましたけど、傘なんて持っていってませんよね?」


あの子が出かけて行った時はまだ、青空が顔を覗かせていたはず。雨が降る様子なんてなかったし、雨雲も見当たらなかったんですから。だからきっと、彼女―――なまえは傘なんて持っていないはずだし、何処かで雨が止むのを待っているかもしれないと思った。一瞬、雨の中を走って帰ってきたりしないよな、と考えたけれど、そうすると僕達が心配するのが目に見えているし、何より他人に心配をかけることを嫌う子ですから絶対にしないだろう、と考え直す。

…通り雨でしょうけれど、なかなかに降っていますね。しばらくは止みそうにありませんし、今日は昨日に比べて大分気温が下がっている。肌寒いくらいで、外で雨が止むのを待っていたら…風邪をひいてしまうかもしれません。
窓や屋根に叩き付けられている雨音を聞きながら、思案を巡らす。普段は思いつきで行動なんてしない(方だと思っています)んですが、今日は―――それもいい、と思ってしまった。それだけです。
椅子に掛けていた上着を羽織り、宿屋の御主人に傘をお借りしてから僕は、雨が降りしきる外へと飛び出した。





「(うーん…やっぱり思いつきで出てくるもんじゃないですね)」


町中をキョロキョロと見回してみるものの、捜し人の姿は一向に見つからない。連絡手段を持たない僕達ですから、一度離れてしまえばひたすら捜し回る他に見つける手立てなどないわけで。あの子が行きそうな所は一通り見たつもりなんですが…もしかして、この雨ですから何処かお茶屋さんにでも入っているのでしょうか。
単純計算、なまえが出かけてから2時間は経っています。その間、歩き回っていたでしょうし…これ幸い、と休憩している可能性は低くないと思うんですよね。その方が寒くもないし、雨に濡れる心配もないですし。…よし、捜す場所をお茶屋さんに絞ってみましょうか。
傘の柄を握り直して足を踏み出した時、人混みの隙間に見慣れた銀色を見つけたような気がしました。見間違いだろうか、と思いつつも、足は自然とそっちへと向かってしまう。人を避けながら進んだ先には、軒下で雨宿りをしながらぼんやりと空を見上げている彼女を見つけた。


「なまえ!」
「え?…八戒くん?!」
「良かった、見つけられて」
「どうしたんです?こんな雨の中…」


びっくりした顔で僕を見上げてくるなまえに笑顔を向けて、迎えに来たんですよ、と告げる。すると、一層、瞳が大きく瞬いた。


「迎えって、…そんな、」
「出かける時は晴れていましたし、困ってるかなぁと思って」
「まぁ…困ってはいましたけど」


一瞬にして困ったような顔になってしまったなまえ。きっと、僕のことを心配してくれているんでしょう。前に雨はダメなんだ、と話したことがありましたから。正しくは雨の夜がダメ、なんですけど…彼女は優しい人ですからね。気にかけてくれているのだと、思います。
正直ね、雨の音を聞いて一番に思い出したのはなまえ―――貴方のことなんです。古傷は痛むし、喪失感も記憶も…花喃も、全て頭を過ったけれど、それでも最初に浮かんだのはなまえだったんですよ。今までだったらきっと、あの日の出来事を、花喃のことを一番に思い出していたのに。それだけ、…僕は貴方が好きなんだと思います。


「なまえ、帰ろう」
「あ―――…はい、八戒くん」


促すように手を差し出せば、一瞬だけ躊躇うような表情を見せたけれど、すぐにふんわりと笑って握り返してくれました。
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