甘くとろけるような時間
『よければ、家に遊びに来ませんか?』
そんなお誘いのメールがきたのは、数日前のこと。八戒さんとつき合い始めてもうすぐ3ヶ月、これまでもデートはしてきたけれど…それは外でのことだ。一度も、所謂お家デートというものをしたことがない。少なからず憧れはあったと、思う。雑誌でも見るし、彼氏がいる友達からもそんな話を聞いてしてみたいなぁ、と思ったことだってあるから。
だけど、ウチは家族で住んでいるし、八戒さんだって双子の花喃さんと一緒に住んでいるからなかなか難しいだろうと思っていたんだ。するんだったら、どっちかが一人暮らしをしてからだなって。
そう思っていた所へ今回のお誘い!!2人きりでないのは少し残念だけど、でも花喃さんと3人でお話するのも楽しいかもしれないと思ったから。だから私はすぐに行きます!と返信をしたのです。…のだ、けれど。
「まさかの花喃さんお出かけ中…何かこの状況、デジャブ!」
八戒さんがキッチンへ飲み物を取りに行っている間に、小声で胸の内を叫んだ。小声で叫ぶ、ってちょっと言葉おかしいけど気にしな方向で行きます。はい。
でも叫びたくなる理由わかるでしょ?!誰もいない家に八戒さんと2人きり!密室に2人きり!!そりゃあもう緊張に緊張を重ねてしまうというものでしょう!!!お邪魔するまでは花喃さんがいるものだ、と思っていたから、そんなに緊張してなかったけど。
(うう…3ヶ月経ってようやく色々慣れてきたと思ってたのになぁ)
これではつき合い始め、下手するとつき合う前の頃の私に逆戻りしてしまう。緊張し過ぎて変なことを口走ったり、上手く会話ができなかったり。きっと優しい八戒さんは、そんな私でもにっこり笑ってくれるとは思うんだけど…私が恥ずかしくて穴に入りたくなります。絶対。
ドキドキしている胸を押さえながらどうしよう、と独り言ちる。
「なまえさん、紅茶で良かったですか?」
「あ、はい!全然、何でも!!」
「ふふっそんなに緊張しなくても大丈夫、取って食ったりしませんから」
「食っ……?!」
一瞬、カニバリズム?!って思ってしまってごめんなさい。八戒さん。
「あっそうだ、あの、母から手土産にって…」
「駅前にできた新しいケーキ屋さんのですか?」
「ですです。美味しいから是非、って」
「わざわざすみません。お礼、言っておいて下さいね」
「はい」
差し出した箱を受け取って、優しい笑みを浮かべた彼。うう、やっぱり八戒さんの笑顔って最強に素敵…!胸の奥がキュンってしちゃうね!!うっとりしちゃうよ。
ほう、と息を吐いていると、どんなケーキか見てみましょうかと言われたので、一緒に箱の中を覗き込んだ。中にはキラキラと輝く宝石のような、美味しそうなケーキ達が並んでいる。
お母さんが買ってきたものだったからどんなケーキなのかは当然ながら、いくつ入っているのかも知らなかったんだよね。でも双子の姉と2人暮らしだって言ってあったから、2つだけだろうって思ってたんだけど…まさかの5つ入り。いや、お母さん…2人だって言ってるのに何で5つも買ってきちゃったの?!
食べきれないですよね、ごめんなさい。お母さんの代わりに謝罪を口にすれば、八戒さんはさっきと同じ笑みを浮かべて大丈夫ですよ、って言ってくれました。
「花喃が甘いもの好きですから、多分食べちゃいます」
「でもさすがに5つは…」
「…じゃあお茶菓子にしちゃいましょう。なまえさんも食べていってくれれば、あと3つになりますし」
「い、いいんですか…?」
「もちろん。なまえさん、甘いもの好きでしょう?」
「大好きです!」
だったら一緒に食べましょう。お皿とフォーク持ってきますね。
どこか嬉しそうな笑みを浮かべて、彼は再びキッチンへと姿を消した。箱は開いたままで、もう一度覗き込めばやっぱりキラキラした美味しそうなケーキが入っているので自然と頬が緩む。
どれにしようかなぁ…八戒さんはどんなケーキが好きなんだろう?花喃さんにお菓子も作る、と聞いていたから、甘いものがダメってわけじゃないんだろうけど…あまりケーキとか甘いものを食べているのを見たことがないんだよね。
「そういえば食の好みって知らないかも…」
「誰の好みを知らないんです?」
「ぅわ!」
「おや、驚かせちゃいましたか。すみません」
「いや、大丈夫…私が気がつかなかっただけなので」
そうですか?と首を傾げながら、彼はさっきまで座っていた場所へ腰を下ろした。持ってきたお皿とフォークを置きながら、どれにしますか?と聞いてくれる辺り、この人は紳士だなぁと思う。
これは八戒さんへのお土産だから先に選んでくれて構わないのに…それを口にしてもレディーファーストですよ、とウインクされちゃったらもう口を噤むしかなかった。くそぅ、ウインクにときめいちゃったじゃないですか!!
ドキドキしているのを隠すように箱を覗き込んで、どれにしようかなと思案する。王道のショートケーキやチョコレートケーキもいいけど、パイもいいな…このお店のケーキを食べるのは初めてだから、どうしたって悩んじゃう。
よし、今回はアップルパイにしてみよう!王道のケーキは八戒さんと花喃さんの為に残しておいた方がいいだろうしね。
「なまえさんはアップルパイですか?」
「はい!八戒さんはどれにしますか?私、取りますよ」
「そうですねぇ…じゃあ、レアチーズにしようかな」
「よいしょ、…はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
他愛もない話をしながら、ケーキを食べたり、紅茶を飲んだり。
…あ、そうそう。八戒さんって洋食より和食の方が好きなんだって!全く食べないわけじゃないんだけど、作る時はほとんど和食かなぁ、って教えてくれました。そういえばつき合う前、三蔵さんの家でごちそうになった時も和食がメインだった気がする。肉じゃがが特に美味しかったっけ。こうやって好きな人のことを少しずつでも知っていけるのって、何か嬉しいなぁ。
ふふ、と笑みを零しながらパクリ、とケーキを口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼していると、ふっとこっちを見た八戒さんの口が「あ。」と形作ったのがわかった。ん?何か思い出したのだろうか。
そのまま黙って彼が口を開くのを待っていると、くしゃりと困ったような笑みを浮かべてついてますよ、と言いながら伸ばされた手は―――私の口元に、触れた。グイ、と何かを拭うような動きをした指は、静かに離れていく。
たったそれだけ、それだけなのに…心臓はどくどくと忙しなく動いていた。
(びっ…びっくりした〜〜〜!)
ドキドキして、顔が有り得ないくらいに熱くて、今は八戒さんの顔を見れないくらいに恥ずかしい。俯いたまま紅茶を一口飲むと、いつの間にか喉がカラッカラに渇いていることに気がついた。多分、あの一瞬で水分が全部もっていかれたのだろう。
どれだけ長くつき合ってもきっと、さっきみたいに触れられることには慣れないのだろうなぁと思う。いつまでもドキドキ、しちゃうと思うんだ。落ち着こう、と思っても全然ダメで、顔も上げられずにいると優しい声で名前を呼ばれてバッと反射的に顔を上げてしまった。しまった、顔、真っ赤なのに…!恐るべき八戒さんの声。
「えっと、…」
「真っ赤になってますよ?…可愛い」
「う…」
「もう少し、触れてもいいですか?」
ぎこちなく頷けば、向かいに座っていた八戒さんがすぐ近くまで移動してきた。ただでさえバクバクいっていた心臓は、一層鼓動を早くして今にも止まってしまうんじゃないかってくらい。
どうしよう、触れるって何をするんだろう?私はどうしていればいいんだろう?恋愛初心者の私にはわからないことだらけで、もう頭の中はパニックだ。ぐるぐると回る思考に目が回りそう、と思っていた瞬間、八戒さんの手が優しく私の頬を包み込む。その手は微かに震えていて、…もしかして緊張しているのは、私だけじゃない?
「嫌だったり、下手だったら突き飛ばしてください。…初めてなので」
「え?―――ん、…っ」
初めてって何が?と問いかける間もなく、唇を塞がれた。触れるだけだったけれど、キスなんて今までしたことがなかった私には十分刺激が強い。きっと目を瞑った方がいいんだろうけど、ビックリし過ぎてそんなことには頭が回るはずもなく…私はしっかり目を開いたまま、八戒さんの唇を受け止めていた。柔らかい、と咄嗟に思ってしまったのは、死ぬまで秘密。
そっと離れていく八戒さんの頬は、薄らピンク色。私と目が合うとやっぱりくしゃりと相好を崩して、笑った。でもどこか嬉しそうに見えて、恥ずかしいのは消えていないけど、私も自然と笑みが零れたんです。うん、恥ずかしいけど嬉しい、し。
「あ、あの!」
「ん?どうしたんです、なまえさん。…あ、やっぱり嫌でした?」
「嫌じゃないです!嫌なわけ、ないです…そう、じゃなくて、わ、私も初めて…なんです、だから、その」
下手だったら、突き飛ばしてください。さっき彼に言われた言葉をそのまま返し、そっと唇を重ねた。
触れてすぐ離れたけれど、それでも恥ずかしすぎて顔から火が出そう…!
「―――あまり、可愛らしいことをしないでください」
「え?」
―――ぎゅうっ
「歯止め、効かなくなっちゃいますよ…?」
耳元で囁かれてビクリ、と肩が跳ねる。
…でも、時には余裕を失くした八戒さんも見てみたいから…歯止めが効かなくなってもいいですよ、という意味合いも込めて、彼の背中に腕を回した。
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