もっと貴方をください
―――飲みに行くか。
唐突過ぎる彼の言葉に、思いっきりマヌケな顔で、そして思いっきりマヌケな声で「は?」と返したのは記憶に新しい。当然、秀一はそんな私を見て思いっきり吹き出したのだけれど。
「お前は本当に俺を飽きさせない」
「…そりゃ光栄です」
「くくっせっかくのデートだ、そう不機嫌になるな」
不機嫌にならざるを得ない状況を作り出したのはどこのどいつですか!!うがーっと叫びたくなるのを必死に堪え、顔を背けるだけに留める。
…とはいえ、秀一の口から『デート』なんて言葉が出たらそりゃあ不機嫌だったのも、一気に急上昇するんだけど…でも何でもこの人の言う通りになるのは悔しすぎるから、もう少しだけ不機嫌なフリをしていたい。まぁ、きっとすぐにバレてしまうんだろうけど。
さて、私の機嫌はひとまず置いておくとして。タクシーで連れて来られたのは、横浜のホテルに入っているバーだ。オシャレな雰囲気だけどとても落ち着いているし、何よりバーなのに個室があるのが有難いお店だったりする。
私達にとっておあつらえむきの場所だといえるでしょうね。此処に来るつもりだったから、沖矢くんの変装はせずに来たのかしら…?だとしても、かなりリスクは高いはずなのだけれども。
(どうして、と聞くのはきっと野暮ね)
普段の格好よりはややフォーマルに近いものを着ているのだけれど、…へ、変じゃないかな?!前からそうだけど、彼と出かける時はものすごく気を遣ってしまう。ただの買い出しということならラフな格好で構わないんだけど、今回みたいにデート…となりますと、何を着たらいいのかいまだにわからないのだ。
今日のワンピースだって悩みに悩んで決めたものだもんね。ドレスコードが必要な所ではない、と聞いていたけれど、そこそこいい所だなんて言われちゃったら…さすがに普段着で来るわけにはいかないのですよ。
「…でもどうして急に?いつもお酒は家で飲んでたじゃない」
「家でだとお前、俺に気を遣ってバーボンばかり飲むだろう。得意じゃないクセして」
「飲めないことないし…それに違うものが飲みたい時は買ってきてるじゃないですか」
「缶チューハイをな。たまにはこういう所で飲ませてやりたい、と思ったんだ」
まるで、私がこういう所を知らないような言い方だなぁ。苦笑しながらたくさんのお酒が書かれたメニューに目を通す。すると、いや違うな…と呟く声が聞こえた。うん?違うってどういうこと?というか、何が?
「俺が―――お前と来たかった」
今、水とかお茶を口にしていたら確実に吹き出している自信があります。赤くなっているであろう頬を隠すようにそっぽを向けば、目ざとく気がついた秀一は肩に手を回して抱き寄せた。心臓が高鳴るのは、もう仕方ないことだと思う。
何でこのバーは個室なのに椅子を隣り合わせに置いたんだろうか…!向かい合っている状態なら抱き寄せられるとか、肩に腕を回さられるとか、そういうことをされずに済んだのに!!
「〜〜〜っ…なん、で、つき合い始めても口説きモード全開なの……!」
「好きな女を口説いて何が悪い。何を頼むんだ?」
「しれっと言うし、話題変えるし…!」
「とりあえず選べ。文句はあとで聞いてやるから」
「本当にもう……と言っても、あまりカクテルは詳しくないんだよなぁ」
あの組織を追っているおかげでそこそこ詳しくなったつもりだけど、カクテルだって数えきれない程存在している。これ聞いたことあるなぁ、レベルなんだ。私の『知っている』というのは。
んー…あ、これだったら飲んだことあるやつだ。結構美味しかったし、これにしようかなぁ。秀一も選んだらしく、2人分のカクテルと適当におつまみを注文して窓の外に目を向けると、そこには綺麗な夜景が広がっていた。
そういえばこのバー、ホテルの真ん中辺りの階にあったんだっけ。秀一も夜景が綺麗だと有名な店だ、とか何とか言っていたような気がする。どうりでカップルっぽい人達が多いわけだ…。
「気に入ったか?」
「え?あ…うん、すごく素敵だなと思いますよ」
「そうか。なら良かった」
「秀一がこういうお店を知っていたなんて、驚きです」
あ、今自分でもわかるくらいにひっくーい機嫌の悪そうな声が出た。
「…すみません」
「何故謝る。妬いてくれたんじゃないのか?」
「そういうわけでは、……まぁ、少しは誰かを連れて来たのかなぁとか思っちゃいましたけど」
潜入していた間にハニートラップだってやったかもしれない。ライフルの腕を買われていたらしいから、その可能性は低いだろうとも思うけれど…それでもゼロだ、とは言い難いでしょう?
ターゲットをこういうお店に連れて来て油断させて、それで―――そこまで考えて、吐き気がした。何を考えているんだろう、私は…バカみたい。口から出かけた溜息を飲み込んだ所で、注文していたお酒やおつまみがテーブルへ並べられていく。
「実を言うとな、調べたんだよ」
「………調べた?」
「ああ」
「ええっと……誰が」
「俺が」
雑誌やネットで調べたら、このお店がヒットしてね。なまえが好きそうだ、と思って。
煙草に火をつけながら何でもないような顔で言われたのだけれど、…調べたの?秀一が?私と…デートしたくて?うわ、なにそれ嬉しすぎるんですけど…!
彼が一生懸命雑誌やパソコンとにらめっこしている姿も、想像するだけでニヤけちゃうくらい可愛いんだけど私を基準に考えてくれたことが、何よりも嬉しいと思ってしまった。だって私の為に調べてくれた、ってことでしょう?そしてこうやって連れて来てくれた。
さっきまでの不機嫌が嘘のように、顔には笑みが広がっていく。いい気分だな、と思いながら運ばれてきたカシスソーダを飲んだ。
「何か秀一、変わりましたね」
「そうか?」
「ええ。だって昔の貴方だったら、行く所を調べたりしなかったでしょう?」
「……そうだったかな」
そうですよ、と満面の笑みで返せば、居心地悪そうにお酒を口に含んでいる。せっかく飲みに出かけたというのに、この人はバーボンか…好きなのは知っているけれど、家にもあるお酒なんだから違うものを飲めばいいのに。
でも最初の口ぶりだと、私が飲みたいお酒を飲めるようにって感じだったし…どっちかといえば、デートが最大の目的なのかもしれない。まぁ、バーボン以外を飲んでいる秀一ってあまり想像つかないんだけどさ。
「これでも、構ってやれていなかったことを後悔しているんだ」
ナッツを口に放り込みながら、秀一は呟いた。
ええっと、それはー…大学時代のことを、言っていると思って間違いないのよね?それがわかってもどう返したらいいかわからなくて、黙り込んでしまう。だって今口を開いても、そうなんですかくらいしか出てきそうにないし!かと言って、そんなことないですよとは言えない。お世辞でも、言えるわけがないんだ。
本当に大学時代は構ってもらえない、というか…会えない時間の方が長かったし、愛されているのだろうかって何度疑ったかわからないくらい。それでもたまに触れてくる手は温かくて優しかったし、それを愛情だと信じていたかったのよね。そうじゃないと、正気を保っていられなかったというだけかもしれないけど。
「…もう、いいですよ。過去のことは」
「……」
「だって、今その時以上に愛されてるなぁって実感してますから。それこそ嫌って程にね」
「嫌だ、と言われるのは勘弁願いたい」
「あははっ言いませんよ、そんなこと。その代わり―――」
耳元に唇を近づけて囁いた。
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