アイドルと事務員
アイドリッシュセブン―――それはとある新人アイドルグループの名前。無名だったはずの彼らは、それぞれの個性を生かし着実に階段を上り、ファンを集めつつある。初めてのライブを思えば、急成長したものだろう。
私の職場は、そんな新人アイドルが所属する小鳥遊事務所。…まぁ、父親が経営している芸能プロダクションなんだけど。でも彼らのマネージャーを務めているのは私でも父でもなく、双子の妹の紡くん。
私は事務員兼マネージャー補佐、という立場だったりする。今はMEZZO"のマネージャーを務めさせて頂いてるけどね。
「おーい姐さーん。この後のスケジュールってどうなってたっけ?」
「二階堂さんはこのレッスンの後はオフです。…というか、その呼び方止めてくださいってば」
ジトリ、と睨んでみても二階堂さんはどこ吹く風。いいじゃん気に入ってんだから、と笑うだけで、顔合わせ当初から呼ばれている不本意なあだ名は、変えてもらえそうにない。それが二階堂さんだけだったら諦めるか、って思えるんだけど…何故か、他のメンバーにまで呼ばれてるからたまったもんじゃない。七瀬くんと一織くんと逢坂さんと六弥さんだけは下の名前―――縁で呼んでくれてるから、まだいいんだけど。
まぁね?補佐はするけど、基本的に彼らのマネージャーは私がやっているんじゃないですから、呼び方に困るのは察することができるんだけど…だからって『姐さん』はないだろ、『姐さん』は。
百歩譲って四葉くんはいいとしよう、私より年下だから。でも二階堂さんと三月さんは私より年上。成人済み。なのに、彼らに姐さん呼ばわりされるのは如何なものかと思うのですよ。その辺を抗議してみても「俺らは気にしてないし」としれっとされて、もうぐうの音も出なかったよね。
「何度も言いますけど、貴方と三月さんは年上なんです。それなのに…」
「あれ?姐さん、まーだその呼び方気に入らねぇの?」
「気に入らないというか…年上である2人に呼ばれるのが問題だ、って言ってるんですよ」
二階堂さんに文句を言っていると、三月さん登場。同じように文句を連ねてみたけれど、嫌いじゃないんだったらこのまま許可してよって言われた。
頭抱えていい?いいよね?…なんっで年上のくせに引いてくんないのかなぁ?!この人達は!!
「もうその呼び方で慣れちまってるしなー、俺もミツも」
「な」
「…もうほんとやだ、この大人……!」
「でも縁ちゃんって私と違って美人で大人びてるし、わかる気がするよ?」
差し入れの飲み物を持ってきた紡くんが、屈託のない笑顔でそう言ってくれて…ちょっと心が揺らぎました。シスコン?ふん、どんと来い!ウチの妹は世界一可愛いんだから、そう言われた所で痛くも痒くも恥ずかしくもないっての!
「ふふ。縁さんは本当にマネージャーに弱いよね」
「そりゃあ溺愛してますからね」
「もっもう縁ちゃん!…あ、壮五さんも飲み物どうぞ!」
「ありがとう」
紡くんが飲み物を配り始めて、何だか呼び方の話は曖昧にされてしまった気がする。きっと、これから先もずーっと姐さんと呼ばれるのだろう。別に、…本気でこの呼び方が嫌いというわけではない。絆された部分や、慣れてしまった感は多分にあるけれど、今ではそこまで嫌だとか思ったりはしていない。最初は何だソレ!!って本気で叫んだけど。
でも彼らが親しみを込めて呼んでくれるあだ名であれば、それはそれで嬉しいのかなぁって思ったり思わなかったり。ただ、現場でそう呼ばれた時の周りの目を考えると、やっぱり直してもらうべきなんだと思ってしまうんだ。
(それを気にするような人達ではないんだろうけど…)
思い思いに休憩している彼らをぐるりと見回し、この後の個々のスケジュールや仕事を見直そうと空いているパイプ椅子に腰掛ける。持っていたバインダーやスケジュール帳を見ながら、耳に届く賑やかな声に思わず笑みが零れる。ただの雑音でしかない人の話し声を、面白いとか楽しいとか、そんな風に感じれるようになるとは思わなかったな。それもアイドリッシュセブンである彼らに出会ったからだと、私は思っている。
変わらない、変われない部分もたくさんあるけど…まぁ、ある意味でいえば一歩前進ということなのだろう。それがいい変化なのかどうかは、私には判断がつかないけれど。
「紡くん、この後買い出しに行ってくるけど足りないものある?」
「あっデスクにリストがあるの。戻ったら渡すね」
「ん、リョーカイ」
レッスン後に仕事が入っているのは、三月さんと六弥さんだけ。他の人達はオフになっているから、2人の付き添いは紡くんだけで問題ない。MEZZO"の2人も今日は珍しくオフだしね。
というわけで、足りないものの買い出しは私が行く、ということになる。行ける時は2人で行ってるけど、有難いことに最近は個人へのお仕事のオファーが増えてきているから、なかなか2人の手が空くってことが少ないのだ。
万理さんに一緒に来てもらってもいいんだけど、そうすると事務所に誰もいない状態が出来上がるから…それはできれば避けたい。何かあった時の為に、誰か一人は必ず事務所に残るようにしようというのが、私と紡くんが就職した時の約束。
「買い出しっていつも1人で行ってんの?」
「え?ああ…彼女と2人で行くこともありますけど、2人共手が空くってことは最近は少ないですから」
「ふーん……んじゃ、お兄さんが荷物持ちをしてあげよう」
「……は?」
「あれ?聞こえなかった?お兄さんが荷物持ち、」
「聞こえましたバッチリ聞こえました大丈夫です!!」
聞こえなかったわけではない。この至近距離で聞こえないわけがないでしょう…!休憩中でそれなりに賑やかだけれど、他の人の声が全く聞こえないとか聞こえ辛いという程ではない。このくらいなら全く問題ないと思う。
つまり、私のさっきの反応は…何言ってたんだこの人!のは?です。二階堂さんはそうは受け取らなかったみたいですけどね。人気が出てきたのが最近で、忙しくなったのもここ数ヶ月の話。だからまだ芸能人としての自覚というか、…実感みたいなものが薄いのも仕方がないと思う、思うけれど、曲がりなりにもアイドルグループの一員でありリーダーでもある人が!そんな簡単に買い出しの手伝いを申し出ないでください…!
いや、申し出自体は嬉しいけれど、やっぱり申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、何かあったりしたら大変なことになるんです。だからダメなんですよ、と言ってみたものの―――女の子1人じゃ大変でしょ?とアイドルスマイルを向けられた。
「…二階堂さん。そういう笑顔はファンの方達に向けてあげてください」
「つまり?」
「安売りすんじゃねーですよ。それにオフが少なくなってきているんですから、しっかり休んでください!」
「ははっ相変わらず口悪いなぁ、姐さんは」
「誰が口悪くさせてんですか…」
思いっきり溜息をついてみても、二階堂さんはカラカラと楽しそうに笑っているだけ。…でも、その笑顔の奥に何かを隠しているような…そんな気がしてならない。
とはいえ、彼はアイドルで私はただの事務所関係者、プライベートや心の中にまで踏み込むつもりは毛頭ない。上辺だけのつき合いで十分だ、仕事に差し障りのない程度に親交を深めるだけで。それ以上の仲なんて、望むつもりもないのだから。