波音に誘われて


一通り、やらなければいけない仕事は片づけた。万理さんと紡くんも今日は早目に帰宅しているし、彼女には遅くなる旨もきちんと伝えたし、あの…お父さんにも話してある。日付が変わる前には帰ってきなさい、と溜息をつかれたものの、とりあえず許可が下りているから大丈夫。

(きっと仕事が片付かないだろうから、二階堂さんに22時って言ったのに…)

そう。自分でもビックリするんだけど、20時半にはもう予定の仕事が片付いちゃってたんですよね。ものすっごい集中しちゃったみたい。何か、いい方向?で予定が狂っています。でもまぁ、仕事終わりで疲れている二階堂さんを待たせずに済むわけだし…やっぱり良かったのか、これで。まだ手をつけなくてもいい仕事も進めることができたし、悪いことは1つもないんだもの。
んーっと伸びをして時計を見ると、21時50分になろうとしていた。まだ二階堂さんは来てないよなぁ…ここから駐車場ってすぐだし、時間になる前から待ってるというのも何かアレだし。事務所を出るとすれば5分前、かな。なら、今から戸締りの確認をすれば時間ピッタリだね。荷物をまとめ、給湯室やレッスン室の戸締りを確認すべく事務所を出た―――ら、「うお?!」と低い声が聞こえた。え、誰?!


「頼むから声上げんなよ?!俺だよ、二階堂!」
「にか、……えっ二階堂さん?!」
「ビビッた、ドア開けようとしたら勝手に開くんだもんな」
「すみません、誰かいるなんて思わなくて…」


というか、何故二階堂さんが此処に?いや、呼び出したのは私なんですけれども、待ち合わせ場所は事務所の駐車場だったはずなのに。時間も過ぎていないから、痺れを切らして来たってわけでもないと思うんです。


「ええっと…申し訳ないんですが、戸締りの確認をしてきても構いませんか?」
「全然大丈夫。俺が早く来すぎてこっちに来ただけだし。…着いてっても平気?」
「それは構いませんが…面白くも何ともないですよ?」
「ははっ別に面白さを求めに行くわけじゃないから平気だって」


あ、それもそうか。私、一体なにを言っているんだろう。薄暗い廊下を並んで歩きながら、恥ずかしいなぁと思った。昼間よりも暗いここならきっと頬が赤くなっているのは見えていないと思うけれど。それでもこれだけ至近距離にいるんだもの、何かの拍子に見えてしまうことだってある。外に行くまでこっちを見ないで、と密かに願うものの、それは無理なんだろうなぁと思う自分もいる。…どうやら思っていた以上に緊張しているみたい。思考回路が笑っちゃうほどに支離滅裂だ。


「…よし。あとは出入り口の鍵をかければOKです」
「いつも戸締りって1人?」
「大体は。でも紡くんが一緒のことも多いですし」
「ふぅん…怖くないの?暗いじゃん、誰もいない事務所」
「最初の頃は怖かったですけどね。もう慣れてきちゃいました」


ドアを閉めて、鍵をしっかりとかける。再度、ドアノブを回して開かないことを確認してから駐車場へと向かう。明日の朝一で使うのはワゴン車の方で、小さい方は使わない予定だ。だからこそ、今私が鍵を持っていられるのだけれど。
車の鍵を開け、乗ってくださいと二階堂さんを促せば「…マジで?」と驚いた顔をしていらっしゃった。どうやら彼は車で何処かに行く、ということを予想していなかったみたい。事務所か、もしくは近くのお店で話をするもんだと思っていたのでしょう。
私も最初はその方がいいのだろう、と思ってはいたけれど、できることなら少し遠くまで―――足を伸ばしたい、と思ってしまったから。2人きりでゆっくりと話せる場所へ行きたいと、そう思ってしまったから。


「やーだ、姐さんったら何処へ連れてくつもり〜」
「ふふっさあ?何処でしょうね…はい、ブランケットとアイマスクです。寝てて構いませんよ」
「…え、マジで何処行くんだ?あんまり遅くなるのマズイだろ?俺はともかく、そっちが」
「大丈夫です。車で20分程の所にある海に行くだけですから」


こんな時間に海?と我ながら思う。でもそこなら誰にも邪魔されず、ゆっくり話せると思ったから…今回は目を瞑って頂けたらと思うのです。切実に。渡したブランケットとアイマスクを受け取りながらも、いまだ戸惑いを隠せない二階堂さんは居心地悪そうにしている。そんな彼を横目で見ながら、私はゆっくりとアクセルを踏んだ。
平日の22時ともなれば、道路は然程混んでいなくて割とスムーズです。うん、これなら予定通り22時半には目的地に着けそうですね。車内は何となしにかけているラジオ以外の音がしない、静かな空間になっている。彼はずっと黙ったままだし、私も何か喋ろうとは思っていない。まぁ、二階堂さんは素直にアイマスクをつけてくれているので寝ているのかもしれませんが。





「―――二階堂さん、着きましたよ」
「ん、…あ、ワリ。マジで寝てたわ」
「構いませんよ。昼間のロケ、大変だったでしょう?」
「ナギとミツのテンションがたっかかったからなー…おお、海だ。何も見えねぇけど」
「さすがに夜じゃ見えないですよねぇ」


車を停めた近くに自販機があったので、コーヒーとカフェオレを1本ずつ。それを差し出せば迷うことなく、コーヒーの缶が二階堂さんの手に包まれた。
さて…立ち話をするにはアレですよね、でも浜辺じゃベンチなんてあるわけもない。大きな流木とか、岩とか、そんなものが都合よく転がっていたりしないだろうか。僅かな月明かりを頼りにキョロキョロと探してみるものの、見つかりそうにはなかった。


「姐さん、こっち。ここなら座れんだろ」
「あ、はい」


こっち、と手招きされた先は、波を打ち消す為に設置されているコンクリートブロックだった。ああ、成程。確かにここなら座れますね。並んで腰を下ろし、ふっと空を見上げると満天の星。周りに目立つ灯りがないせいか、普段よりもよく見える気がする。

まるで、二階堂さんに気持ちを告げられた日のようでドクリ、と心臓が鳴った。

運転していたことで感じていなかった緊張感が、再び全身を支配していく。缶を持っている手は震えてきているし、心臓はうるさいくらいにドクドクと脈打っているし、喉はカラカラだ。こんな状態で私は、しっかりと自分の気持ちを言葉にすることができるのだろうか。
というか、何を言えばいいんだ…?!決心した時は私の気持ちを、とか思ってたけど、何を言えば正解?私も好きなんです、って言えばいいのかな!うう、今まで告白なんてしたこともされたこともなかったから、どうしたらいいのかさっぱりです。


「―――なぁ、姐さん」


ざあ、と風が吹き、二階堂さんの伸びた髪がさわさわと揺れる。


「俺、期待してもいいの?」


そして綺麗な瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。何を言えばいいのか、なんて、そんな悩みがどうでも良くなるくらい…その瞳は私の心を昂らせる。悩んだんですとか、言わない方がいいと思ったんですとか、そんなのは野暮だ。私が伝えたい言葉は、きっとたったひとつだけ―――。


「二階堂さんっ……わたし、私、貴方が好きです」


心臓が、うるさい。こんなに近くにいるんだもの、きっとこの音は二階堂さんにも聞こえてる。自分の心臓の音と、風の音と、波の音が響く空間の中、何も言わないでいた二階堂さんの目元がふっと緩んだ。それは優しくて、甘くて、胸をぎゅうっと締め付けるような笑み。
ああ、好きだなと思ったのと同時に、思いっきり抱きしめられた。痛いくらいに。


「姐さん、姐さん、…縁っ…!」
「っ、…はい、二階堂さん」
「好きだ、俺もあんたがすげぇ好きだよ」
「…はい」


それはきっと、月だけが見ていた。月だけが聞いていた。
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