激情
15時半に天鵞絨駅前で。
朝、臣くんにそう言われた。デートのお誘いだって。珍しくお酒を飲みすぎたのか頭が痛いって言ってたし、元気がなさそうに見えたから断った方がいいかもって思った反面、嬉しいと思ったのも本当で。そして僅かに嬉しい気持ちと臣くんと出かけたい気持ちが勝って、頷いてしまいました。
恋人にデートに誘われて嬉しくないわけがないじゃないか…!何度誘われたって嬉しいでしょ。でも臣くんの体調がまだ良くなさそうだったら、デートはやめて寮に帰ろう。無理をさせたいわけじゃないからね。
もうそろそろかな、とソワソワしながら待っていたら、誰かに名前を呼ばれた気がした。振り向いた先にいたのはバイトでお世話になってる、カフェの店長だった。
「よ。何してんだ?こんな所で」
「そっちこそ、…お店は?」
「今日は臨時休業だ。朝から仕入れやら何やらで出かけてたからな」
「あ、そうなんだ」
なるほど、出かけてたその帰りってことか。
「でも大変だねぇ、仕入れとか」
「そこまでじゃねぇよ、好きでやってるしな。…お前は例の恋人とデートか?」
「うん。待ち合わせです」
綴くんからバイト先であるカフェの外観を見せてもらった時、何か見覚えあるな〜って思っていたら高校生の時に臨時でバイトしたことのあるカフェでした。
そして店長はまさかの従兄弟である優紀くんで、こんなことあるの?!って2人で驚いたんだよなぁ…綴くんもあんぐり口開けてびっくりしてたもの。
いやぁ…臨時バイトしてたのはそんなに前の話じゃないけど、それっきり行ってなかったからなぁ。思い出した今では「ああ、そうだよね?!」ってなるけども。私の記憶力はポンコツだったってことだ、今更だけど。
そんなわけで久しぶりの再会を果たしたわけです、まさかの、予期せぬ。それでその時に世間話で恋人がいる、ってことをポロッと言っちゃったんですよね。まぁ、隠しているわけでもないから大丈夫だと思うけど。自分から言う必要がないと思っているだけで。聞かれれば話すスタンス、って感じです。うん。
「嬉しそうな顔してんなぁ、…あ、髪に葉っぱ引っ付いてるぞ。取っちまうから動くなよ?」
「え、ほんと?―――わ、?!」
「悪いがこいつは俺のなんで、…触らないでもらえるか」
優紀くんの手が私の髪に伸びた時、見知った香りが鼻孔をくすぐり、振り向く間もなく強い力で抱きしめられた。
いきなりすぎて頭がパニックになりそうだし、耳元で聞こえた低い声に心臓が早鐘を打つ。
え、ちょっと待ってなんか臣くん怒ってない?!てか臣くんだよね?臣くんで合ってるよね?!
顔を見ようにもがっちり抱き込まれていて身動き取れないし、正面に立っている優紀くんは驚いた顔してるし、本当に今どういう状況なの?これ…!
「行くぞ、はる」
「えっちょ、…?!」
優紀くんにごめんね、と言う暇もなく、私は臣くんに引きずられるようにしてその場を立ち去ることになってしまった。
状況が全くわからないけれど、掴まれた腕は痛みを訴えているし、歩くスピードも速すぎてついていくのも一苦労だ。一苦労っていうか、もう走ってるけどね私。そんな状態だから呼吸が乱れて臣くんの名前すら呼べやしない。
寮に向かってるわけじゃないのはわかるけど、これどこに連れて行かれるんだろう。相手は臣くんだから変な所に連れていかれるとか、そんな不安や心配は抱いてないけれど…臣くん自身については、心配になるよ。
どんな顔をしていて、どんな思いを抱いているのか…何もわからない。恐らくは怒っているんだろう、というのはわかるんだけど、何に対しての怒りなのかはさっぱりわからない。いくら幼なじみでも、言ってくれなくちゃわからないことだってあるんだ。
(あれ?こっちって―――)
周りの景色が少しずついかがわしくなってきて、さすがの私も何処へ向かっているのか大体の予想はついてきた。
いや、うん、いいよ。もうこの際そこに行くの決定で全然いいんだけどさ、どうしてそうなった?!とは思うよね。
結局、臣くんは一言も発さないまま―――私をぶん投げました。所謂、ラブホテルのベッドに。割とふかふかで痛くはないけれど、ようやく見れた臣くんの顔はとても辛そうで思わず息を呑んだ。
「…はる」
「おみ、」
私の名前を呼ぶ声も、私も見る瞳も、何でそんなに辛そうなの?
問いかけの言葉も呼ぼうとした名前も、なにひとつ完璧な音にはならず、口を塞がれて飲み込まれてしまった。
「んぅ、…っぁ…ま、っておみく、んむ」
こんなに性急なキスは初めてかもしれない。いつだって私のこと優先で、決して自分本位にはしない臣くんなのに…珍しい。
本能のままに求められるのは嫌いではないし、純粋に嬉しいって思う。思うけど、…どうしたってさっき見た臣くんの顔が脳裏にちらついて離れない。その理由が知りたくて、どうにかしたくって、合間で名前を呼んだり待ってって言ってみるけれどこれっぽっちも止まる気配がない。というか、聞く耳もたないと言うか。
抱き着きたい、のに、両手は臣くんの大きな手で拘束されたままで動かすことすらままならない。ボーッとしてきた頭で痕が残りそうだなぁ、だなんて場違いなことを考えてしまう。
ああダメだ、酸素が足りなくて苦しい…苦しいのに、気持ちが良くて仕方ない。
ようやく苦しいほどのキスが終わって、聞きたいことはたくさんあるのに、呼吸することが精一杯で何も言葉が紡げない。臣くんも何も言わないから、静かな室内に私達の呼吸音だけが響いている。
臣くんの手がするり、と押さえつけていた手首をなぞる。ただそれだけなのに体が震えて、小さく声が漏れてしまう。多分、今はどこを触られても同じような反応をしてしまいそうだ。温かくて大きな手は、ただひたすらに気持ちがいいから。
「お、みく、…そろそろなんか喋って―――いったぁ?!」
いい加減、あんたの声が聞きたいです、と言おうとしたら、ガリッと派手な音がした。おまけにめちゃくちゃ痛くて、思わず色気も何もない普通の悲鳴を上げてしまった。それも割かし本気の。
えっこの人噛んだ?!キスマークなんてそんな生易しいものじゃない、歯形つけようとしてません?!
私の悲鳴にビックリしたのか、我に返ったのかはわからないけど、首筋に顔を埋めていた臣くんが勢い良く起き上がった。あ、唇の端が薄っすら赤くなってる…あれ私の血かなぁ。どれだけの力で噛んだのこの人…そりゃ悲鳴も上げるわ。
「あ、…悪い、はる、俺―――」
「……なんて顔してるの、臣くん」
口元を手で覆った臣くんの顔は、今にも泣きそうで、青褪めているように見える。
どうしたの、ずっと辛そうな顔して―――解放された両手を臣くんに伸ばせば、そのまま抱きしめられた。
中途半端な状態で起こされたもんだから、背中は少し痛いけれどそんなことを言ってるような場合じゃない。噛まれた所もじくじくと痛みを訴えているものの、その痛みよりも優先したいものが目の前にあるのですよ。
彼の首に腕を回してぎゅーっと力の限り抱きしめ返せば、臣くんの腕にも力がこもる。ちょっと苦しいけれど嫌じゃない。ああ、でもやっと…触れられた。
「どうしたの?私、何かしちゃった?」
「…違う、俺が…勝手に、」
「うん」
「―――…なぁ、さっきの」
「はい」
さっきの奴、誰だ。
耳を澄ましていないと聞こえないような大きさで紡がれた言葉。さっきの奴、って………え、もしかして優紀くんのことかな。
「ゆうき……?」
「さっきのって、駅前で話してた人でしょ?あの人は東雲優紀くんっていって、」
「…東雲?」
「うん、従兄弟。お父さんの弟さんの、息子さん。それでバイト先のカフェの、店長さんです」
「は……?」
マヌケな声を発して数秒。私を抱きしめたまま、臣くんは脱力しちゃいました。ため息つきで。
「嘘だろ…?」
「さすがにここまで手の込んだ嘘はつかないよ。なんのメリットがあるの」
「いや、……うわ、マジかよ…」
何となく見えてきた。あれかな、浮気を疑われていたというか何というか…嫉妬かな、これは。
肩に顔を埋めたまま動かなくなってしまった臣くんの頭をぽふぽふ撫でながら、さっきまでのこいつの行動を思い返していく。そして出された結論は、恐らくは浮気と勘違いしてしまった末の嫉妬です。
本人の口から聞いたわけではないけれど、まぁおおよそは当たってる気がするんだよね。でもそうだとしたら、ちょっと嬉しいかもしれない…顔がニヤけてしまうくらいには。臣くんには大変申し訳ないけれど。
だっていつも落ち着いていて、余裕があって、嫉妬なんてしてくれたことなかったんだもん。そんな人が嫉妬してくれる、ってやっぱりね、喜んでしまう自分がいるわけでして。好きでいてくれてるんだなぁって、実感できるから。
「臣くんも嫉妬するんだね」
「お前は俺を聖人君子だか何かと勘違いしてないか?」
ええ?さすがにそこまでは思ってないけど…まぁ、嫉妬しそうにないなぁとは思ってたよね。うん。
「するよ、嫉妬くらい。…さすがにカンパニーの皆にはそこまでしねぇけど…それでも、はるに触れてほしくねぇって思ったりはする」
「…それは初耳だ」
「言ったことないからな。…知られたくないだろ、こんなの」
臣くんの知られたくないって気持ちはよくわかる。私だって嫉妬する自分とか、できることなら知られたくないもの。こいつの前ではいつだって笑っていたいし、マイナスの感情なんてぶつけたくはない。
…でも、でもね?カッコ悪い所も、弱っている所も、見せてほしいって気持ちもあるんだよ。全部見せてなんて、そんな生意気なことは言えないけれど―――今まで知らなかった臣くんも、知っていきたい。その代わり、私も隠さないように努力するから。
「臣くんが言ったんだよ。不安な時は呼んでって。泣くのも愚痴るのも、俺だけにしろって」
「…よく覚えてるな」
「もちろん。―――ねぇ臣くん。臣くんも自惚れて?こっちが呆れるくらい自信持ってくれていいんだよ」
それはいつぞやの私に、あんたが言った言葉だよ。まさかブーメランになるとはさすがに思わなかったけど。まぁ、でも…お互いに言えることだってことは確かなので。
ニヤリと笑みを浮かべてやれば、臣くんは一瞬だけきょとんとした顔をして、困ったように笑った。