呻く深夜のホットミルク
大学の課題に追われ、遅くまでパソコンと格闘していたらスマホがピロン、と鳴った。デスクの上の時計を見ればもう深夜1時になろうとしている。
こんな時間に一体誰だろう…あまり夜更けに連絡をしてくる知り合いはいなかったはずだけどな、と思いながらスマホを見ると、メッセージを送ってきたのは太一くんだった。おや、珍しいな。明日も学校だろうに、夜更かしかなぁ。
ひとまずメッセージを確認しようとLIMEを起動してみる。表示されたメッセージを読んで、私は部屋を飛び出した。向かった先は臣くんと太一くんの部屋である105号室。コンコン、とノックをすればすぐに太一くんが出てきてくれたけど、彼は不安そうに瞳を揺らしていて今にも泣いてしまいそうだと思った。
「はるチャン〜…!」
「泣かない、泣かない。…臣くんが魘されてるって?」
「そうなんス…名前を呼んでも起きてくれなくって…っ」
臣くんがいたのはロフトではなくて、デスクだった。パソコンの画面は暗くなっているけど、資料やノートが広げられているからきっと私と同じで課題をやっていたんだと思う。
その最中に睡魔に負けてうたた寝中、ってことだと思うんだけど…確かに時々、うめき声みたいなものが聞こえるかも。呼吸も乱れているというか、落ち着いているとは言い難いかもしれない。
太一くんの声に反応しなかったらしいから、私の声にも反応しないかもしれないなぁ…ダメだったらちょっと左京さんやいづみさんを呼ぶことも考えた方がいいかも。
「…臣くん」
「ッぅ、…」
「臣くん、起きて」
触れた背中は少し熱い気がした。でも今は魘されているとはいえ眠っているから、そのせいかもしれない。
もう一度、強めに肩を揺すってみると臣くんの瞳がゆっくりと開いていく。
「―――…あ?」
「臣くん、わかる?大丈夫?」
「はる……?」
「そう。風邪ひいちゃうから起きよう。寝るならロフト行こ」
ようやく意識がハッキリしてきたのか、さっきまで彷徨っていた視線が私と太一くんを捉えて大きく見開かれた。
どうやら知らぬ間に眠ってしまったみたいで、まだこの状況を把握できてないみたいです。太一くんは不安からグスグスと泣いてしまっているしね。
「え、太一どうした…?」
「お、臣クン〜〜〜…!」
「ぅわ?!泣いてるのか?本当にどうしたんだ…」
デスクから体を起こした臣くんに抱き着いて、そのまま本格的に泣き始めてしまった。ああ…安心したのかな、起きてくれて。
ボロボロと涙を零す彼の姿に苦笑が浮かぶけれど、実を言うと私もホッとしてるんだよね。少しだけ起きなかったらどうしよう、って思ってしまったから。冷静に考えればそんなことはないんだろうけど、絶対に大丈夫なんて言えないから。
太一くんを宥める臣くんをじっと観察してみるけれど、魘されていた割には顔色は悪くないかな…でも額に薄っすらと汗をかいているみたいだから着替えはさせた方がいい。そのままにしておくと冷えちゃうし。本当ならシャワーを浴びた方がいいんだけど、時間が時間だからなぁ。左京さんに見つかってしまうのも、怒られるのもちょっとね、勘弁願いたい所だろうし臣くんも。
それに顔色はそんなに悪くないけど、疲労が滲んでいる気はするし、目の下に薄っすらとクマもできている。シャワーで汗を流すのも大事だけど、この場合はさっさと寝かせた方がいいと思うんだ。
「ううう…良かったっす、臣クン〜…!」
「悪い、心配かけたな。もう大丈夫だから」
「本当ッスか?どこか痛いとか、辛いとかないッスか?」
「大丈夫だよ。課題をやってて眠くなっちまっただけだから」
「それならもう寝よ、臣クン」
うん、太一くんの言うことは最もである。さて…もう大丈夫そうなら、私はお暇しようかな。
「じゃあ私は戻るね。おやすみ」
「あっはるチャンありがと!」
「いーえ」
ひらりと手を振って105号室のドアを閉めた。そのまま部屋に戻ろうと思ったけれど、キッチンで飲み物を調達していくことにした。目が冴えてるしもう少しだけ課題を進めて、それから寝よう。朝食当番は綴くんだったし、講義も3限からだからそこまで早くないもの。
ギリギリで焦るのはいい加減やめたいし、できる所までやってしまった方が絶対いい。…まぁ、遅くまでやっているという時点で計画性はないのかもしれないけど、出された量が半端ないんです。本当に!
「何を飲もうかな…コーヒーは良くないし、紅茶もちょっとな…」
「―――はる…?」
「わ、臣くん…?!寝たかと思った…」
「寝る前に何か飲もうかと思って…」
汗をかいたからかちょっと冷えてな。
腕をさすりながら浮かべられた苦笑。なるほど、飲み物を取りに来たのね。冷えたのなら、…そうだ、ホットミルクを作ろうか。体も温まるし、入眠効果があるって言われてるからちょうどいいでしょう。
私はそれにココアパウダーを入れることにしよう。まだ眠ったらマズイ、うん。
「ホットミルク作ってあげる。座ってて」
「いや、そのくらい自分で…」
「いーのいーの。私も飲み物取りにきたからついでだよ」
だから安心して座って待ってなさい、と笑みを浮かべれば、ようやくソファへと向かってくれた。臣くんがソファに腰を下ろしたのを見届けて、冷蔵庫から牛乳を、コンロ下からミルクパンを取り出す。
弱火でじっくり温めて、と…まだ大丈夫だろうし、今のうちにココアパウダーやマグカップを用意してしまおう。沸騰してしまわないように確認しながら必要なものを揃えていく。その合間に臣くんに意識を向けることも忘れずに。
もう皆寝静まって静かだからか、談話室内に響く音は極々僅かだ。というか、私が発している音のみなんじゃないのかな?コンロの火の音と換気扇の音。
普段賑やかすぎる寮内だから、こうも静かだとちょっと落ち着かないんだよねぇ。此処に来るまでは静かな空間にいることが多かったから、慣れているはずなのに。それだけ寮での暮らしに馴染んできた、ということなんだろうか。
クスリ、と笑みを零しながら、出来上がったホットミルクをマグカップに注いでそっと臣くんに近づいた。もしかしたら寝てるかもしれない、と思っての配慮だったけど、どうやら起きていたみたい。気配に気づいたらしい臣くんがゆっくりと振り向いた。
「ありがとな、はる」
「このくらい全然。どうぞ」
「ホットミルクなんか久しぶりに飲むな…」
「普段はコーヒーとか紅茶ばっかりだからねぇ」
「…この香り、はるはココアにしたのか?」
「うん、もう少し課題進めたいから悪あがきでココアパウダー入れてみた」
「ははっ悪あがきって」
苦笑ではない笑みを見れて安心したけど、どことなく元気がなさそうというか…でもそう見えるのは疲れてるからかもしれない。
あとさっき魘されていたのも気になるんだよね。夢見が悪かったんだろうが、果たしてそれを私なんかが聞いてもいいものか悩んでしまう。いくら幼なじみ兼恋人とはいえ、触れてほしくないこと・踏み込んでほしくないことってあるじゃない?あまり臣くんが嫌がることや傷つけてしまうことはしたくない。
けれど、臣くんは自分のことは疎かにしがちだから無理矢理にでも踏み込むべきかなぁ。他人のことは世話を焼くクセに、何で自分のことは放ってしまうのか。それは昔からだから今更変えられない部分なのかもしれないけれど、もう少し、もう少しだけ自分自身にも優しさを向けてあげてほしいと思う。
この劇団に入って、いい方向に変わった部分ももちろんたくさんあるんだけどさ。ズズ、とココアを飲みながらそっと隣に座る臣くんの顔を盗み見。うーん、さっきより少し顔色が悪い気がしないでもない…?
「臣くん」
「ん?」
ようやく真正面から見た臣くんの顔は、お世辞にも元気そうとか大丈夫そうとか言えない。思わず眉間にシワを寄せると、彼は困ったように笑って首を傾げた。普段なら可愛いと思ってしまいそうだけれど、今はそっちよりも心配の感情の方が強いみたい。
クマができるまで無理をしてほしくないなぁ…そっと目の下を親指で撫でれば、くすぐったかったのかクスクスと笑みを零している。
「どうしたんだ、はる。くすぐったいよ」
「薄っすらとだけどクマできてる。根詰めてる?」
「あー……ちょっと、面倒な課題でさ…苦戦してる。終わる気配がねぇ…」
ぐでっとソファの背もたれに寄りかかった臣くんの声は、さっきまでよりも疲労感マシマシだ。張りつめていた気が抜けたのかもしれない。全く、私の前でまで気を張ってどうするんだコイツは。
緩く握られたままの手に、自分の手を重ねればゆるゆると握られた。まるで甘えられているようでちょっと気分が良くなり、自然と口元が緩んじゃう。心配の方が強いのはさっきと変わらないけど、ごめん、可愛いものは可愛い。こんなに疲れている状態じゃなければ、遠慮なく思いっきり抱きしめてしまいそうなくらいには可愛い。
「…嫌な夢でも見た?」
「え…?」
「魘されてたから、夢見が悪いのかなって」
「ああ………ちょっとな」
苦しそうに笑って言葉を濁した。ただそれだけだけど、何となく夢の内容がわかったような気がした。
当たってるかどうかはわからないし、本人に答えを聞くつもりはない。私の推測が当たっているならば、それを深く掘り下げるのはきっと―――臣くんにとっては拷問だ。いくら乗り越えたと思われることでも、夢に見るのはやっぱり辛いものがあるから。
2人分のマグカップをテーブルに置いて、彼の頭を撫でた。少し潤んだように見える蜂蜜色の瞳が少しだけこっちを見て、すぐに気持ち良さそうに閉じられる。
「臣くん、体起こせる?」
「どうした?」
「うん、ちょっと」
疲労や眠気で体が重いのだろう。普段よりもゆったりとした動きでソファの背もたれから体を起こした。マンガやアニメだったら、間違いなく頭の上にクエスチョンマークを浮かぶようなきょとんとした表情になっている臣くんの頬を、両手でそっと包み込む。
ますます目を丸くした彼にクスクスと笑みを零せば、ちょっと拗ねた表情に変わった。ふふ、ごめんって。変な顔してて笑ったとかじゃないから許して、臣くん。
「―――臣くんがゆっくり眠れますように。いい夢を見れますように」
こつん、とおでこをくっつけてそう呟いた。
小さい頃、怖い夢を見て泣く私に母がよくしてくれていたおまじないみたいなものだ。多分、言葉自体にはそんなに意味はないんだと思う。どっちかと言うと、他人の体温を感じるとホッとするとか…そういうことなんだろうな、と私なりの解釈。
20歳を越えた臣くんに通用するかわからないけれど、物は試しってやつなので。これで少しでも安心してくれたら、私は嬉しいなと思うわけです。
「…おまじないか?」
「そう。小さい頃、お母さんがよくしてくれたの。効き目があるかどうかはわからないけど…」
「いや…効きそうな気がする。ありがとな」
ふっと笑った臣くんは、安心したような表情を浮かべていた。
この時、彼の夢見が悪い理由を思い出していたら―――対策ができていたのだろうか。翌日、思い出せなかったことを後悔することになるとは思いもしない。