やっぱり好き
とある日の土曜日。大学も休みだから、今日は開店から閉店までお店番だ〜と考えながらリビングへ行けば、テーブルの上に1冊の本が置かれていた。お母さんが読んでたのかな、と何となしにタイトルを見れば、それは佐久間くんが欲しいと言っていたもの。
そういえば、もうすぐ渡せるとか何とか言ってた気がする。今日は2人共、用事があって来れないんだと昨日の夕方に連絡がきてたけど。
「あら、おはよう遥」
「おはよ。2人のバイト代、貯まったの?」
「ええ。先週分で無事にね。あの日、遅くなってしまったから言いそびれちゃったんだけど」
「ふぅん…多分、明日は来るだろうから渡してあげたら?喜ぶよ、佐久間くん」
「それなんだけどね?ちょっと相談があるのよ」
「ん?」
歯磨きして顔を洗ってこよう、とリビングを出ようとしたら、それを追いかけるようにキッチンから顔を出したお母さん。その顔には満面の笑みが浮かんでいて、…これは逃げられない、と嫌な予感がした。顔も引きつったぞ。
「全く…何で私が」
嫌な予感はバッチリ当たった。お母さんは満面の笑みを崩すことなく、「今日は休みでしょ?この本、届けてあげてくれないかしら?」と言った。一応、語尾にクエスチョンマークはついているし、本人はお伺いを立てているつもりなんだろうけど…絶対、あれは有無を言わさない感じだった。行ってくれる?というよりは、行ってちょうだいって感じ。
…別にさ嫌ってわけじゃないんだよ。佐久間くんがこの本をどれだけ欲しがっているのかは、あの時の表情を思い出せばよくわかるし。それに佐久間くんも皆木くんももういいから!ってくらい、頑張って働いてくれていたことも知ってるし…私だってできることなら、早くこの本を渡してあげたいなぁとか思ってたけどさ。でも相変わらず、あまり寮に顔を出したくないという気持ちは残っているから、できることなら行きたくない。
いづみさんや、皆に会ってしまったら此処にいたいなぁって気持ちが強くなってしまいそうで、嫌なんだ。行かなくたって悶々と考え込んじゃうくらいだから、これはもう重症だよね、と自嘲的な笑みを浮かべる。
自転車を走らせること数十分。あっという間に目的地である寮に辿り着いてしまったんだけれど、考えてみれば2人共、今日は用事があるって言ってたんじゃん…!言われるがままに来ちゃったけど、当人達は不在なんじゃんか。どうするんだ、この状況。
でもここまで来て何もせず帰るのもなぁ…土曜だし、誰かしらいるだろう。ドアを開けてくれた人に本と伝言を託して、それでさっさと帰ろう。あとで佐久間くんと皆木くんにLIMEを入れておけばいいもんね。そうすればわかるだろうし。よし、そうしよう。
ここまで考えること数十秒。思い立ってしまえば行動に移すまでが早い私は、そのままの勢いでチャイムを押した。押して数秒で中からパタパタと足音が聞こえ、「はーい」という声と共にドアが開く。
「あっ…えっと、こんにちは」
「こんにちは。向坂くん、だったよね?夏組の」
「はいっ!ボクの名前、覚えててくれたんですね…!」
「自己紹介もしてもらってるから」
「えへへ、嬉しいです!…あ、どうぞ上がってください!臣さんは談話室にいますよ」
いや、私は決して臣くんに用事があって来たわけじゃなくてだね…?!
違うんだよ向坂くん、と言葉を発する前に彼は、元気な声で談話室にいるらしい幼なじみの名前を呼び、パタパタと駆けていってしまいました。え、これ上がらなくちゃいけない感じじゃん。ポツン、と玄関に残され、途方に暮れる。…マジか。
「…遥さん?」
「へ?あ、兵頭くん」
「っす。なにしてんすか、そんなとこに突っ立って」
「いやぁ、うん…ちょっと色々あってね」
「上がればいい。臣さんいるぞ」
彼が指差したのは談話室へ繋がるドア。うん、それは向坂くんに聞いて知ってはいるけれども、何でMANKAIカンパニーのメンバーは臣くんに会いに来た、と断定するんすかね。違うっての。違わない時もあるかもしれないけれど、そもそも呼ばれた時以外に来たことないのにね。今思えば。
「…お邪魔します」
これ以上、玄関に立ち往生はいけないと思い靴を脱いだ。先に談話室へと入っていった兵頭くんを追うようにしてそっと顔を出せば、ふわりと甘い香りが鼻腔を擽る。もしかして臣くん、何か作ってる?
入ってきた時と同じようにそっとドアを閉めれば、私に気がついたらしい臣くんが何してたんだ?と首を傾げた。そんな彼の隣に立っている向坂くんは、どうやらお手伝い中らしい。そしてそんな2人を眺める兵頭くん…という、何だか不思議な光景。
「椋にはるが来てるって聞いたのに、なかなか入ってこないから帰ったのかと思った」
「さすがにそんな非常識なことしないけど…まぁ、ちょっと葛藤してた」
「葛藤?」
「こっちの話。それよりなに作ってるの?すっごくいい匂い」
邪魔にならない場所へカバンを置かせてもらい、兵頭くんの隣に移動しながら問いかけるとカスタードパイだ、と教えてくれた。成程、それでこの香りか。
「遥さんは臣さんの菓子、よく食ってたのか?」
「あー、うん。おすそ分けもらってたね。今でもたまにもらうけど」
「臣さんのお菓子、美味しいよね十ちゃん!」
「ああ」
十ちゃん…兵頭くんの名前は十座だからそういうあだ名もアリなんだろうけど、ずいぶんと可愛らしいあだ名をつけたものだな。向坂くんも。この2人、幼なじみとかなのかな〜ちょっとだけ距離感が近い気がする。
興味本位もあって素直に聞いてみると、まさかのいとこだという答えに思いっきり驚いてしまった。まさかのいとこ…!血縁、というか、親戚なのかこの子達!!それが偶然にも同じ劇団にいるって、不思議な感じ。そりゃあ仲も良いわな、うん。
「それで今日はどうしたんだ?カントクに呼ばれたのか?」
「ううん、佐久間くんに届け物があって」
「咲也か。でもアイツ、朝から綴と出かけてるんだ」
「うん、用事があるのは聞いてたんだけどお母さんに行ってこい、って追い出されちゃってさ」
「ははっ相変わらずだなぁ、おばさんも」
このまま臣くんや向坂くん、兵頭くんと話をしているのも楽しいんだけど、長居はしない方がいい。いればいる分だけ気持ちが強くなっていってしまうから。手が空いているであろう兵頭くんに本を託して、お暇することにしよう。臣くん作のカスタードパイはすっごく魅力的だけど!
カバンに入れておいた本を取り出し、兵頭くんに佐久間くんに渡してほしいとお願いすると快く引き受けてくれました。よし、これでミッションコンプリート!早く帰ってこい、と言われているわけではないし、少しだけ寄り道して帰ろうかな。
カバンを持ってお邪魔しました、と3人に声をかけると、向坂くんはもう帰っちゃうんですか?と淋しそうな表情を浮かべている。…可愛い子のこういう顔に弱いんだよね、私。絶対佐久間くんにも弱いと思う。勝てる自信はこれっぽっちもない。ないけど、負けるわけにもいかないんだよ!
ぐぐっと堪え、ごめんねと口にしようとしたんだけど、向坂くんを応援するかのように臣くんまで昼食べて行かないのか?とか言い出して、私の強い(はずの)決意は揺れに揺れるのであります。いや、揺れてる時点で強くはないのかも。脆いのかも。
「……食べる」
「わかった。パスタだけどいいか?」
「うん。もう臣くんの作ったものなら何でもいい」
「ははっなんだそれ。嬉しいけどな」
椋も十座も、はると一緒に座ってていいぞ。
そう言われて私達は談話室のソファへと並んで腰を下ろした。てか今、ナチュラルに手伝うことを遮られたよね。この前お邪魔した時も片づけ以外、手伝えなかったし…次があるとは思ってなかったけど。もう来ることはないだろう、と思っていた場所なのに、お母さんに頼まれたからとはいえすんなり来ることになるとは誰も想像しないよね。誰もって誰だよ、って感じだけど。
というか、本当に行きたくないんだったら、関わりたくないんだったら何を言われようとも無理だ、嫌だって言って突っ撥ねれば良かったんだ。もしくは行くフリをして、誰もいなかったよって言えばいいだけの話。何も素直に来る必要なんてないんじゃん。それをしなかったのは確かに私の意思で―――心のどこかで、会いたいって思ってしまっている結果なのかも。
「はる、十座、椋。できたぞ」
「わぁ!美味しそうですっ」
テーブルの上に置かれたのは、臣くんを含め4人分のパスタとサラダ、それからお茶とマグカップ。どうやら寮に残っているのは臣くん・向坂くん・兵頭くんだけらしい。休日の昼だからほとんどの人がいるものだ、と勝手に思っていたけど…皆、外出中なのか。此処は賑やかなイメージがあったし、実際にお邪魔した時もうるさいくらいに賑やかだったから静かなのって変な感じ。
ああ、やっぱり私は…この劇団が好きなんだなぁ。いい加減、目を逸らすのも限界なのかもしれないと、美味しいパスタを食べながら思ってしまった。