誘惑なんて縁遠い


誰かとつき合うことは初めてではないけれど、キスとかそれ以上とか…恋人同士の触れ合いと言えばいいのか、そういうものとは縁遠い交際をしていたので―――未経験、なのである。実を言うと。
それ自体はまぁ、仕方がない。だって拒否をしていたのは私の方だし、どうしても無理だと思ってしまったから。相手には申し訳ないと思う気持ちはあるものの、無理なものは無理だったのです。

「伏見くんが手を出してくれない?」
「出してくれないというか、なんというか…」

出してくれないわけでは、ないと思う。キスはしたし、体に触れられることも…ないわけではない、けど。
でもほら、お互いに寮住まいなわけで…未成年もいるし、2人きりになれないんですよね。どうしたって。だから、その先に進んだことがないんだ。

「まぁ、寮だもんなぁ…難しいものがあるんじゃないの?恋愛禁止ではないとはいえ、共同生活送ってるんじゃ」
「そう、なんだよなぁ…」
「外泊するってのが一番いいとは思うけど?」
「…ホテル?」

そうそう。しのから誘ってみてもいいと思うけどなぁ、私。
相談相手の千鶴はしれっと言ったけれど、できるもんならとっくにしてるよ。そんなの。できてないからこんな話をしてるんじゃないか、羞恥心と戦いつつ。

「…男の人ってさ」
「うん」
「やっぱり、…ハジメテって面倒だと思うもんなのかな」

前に何かの雑誌でそういう特集があって、読んだことがあるような気がする。私が臣くんに話を切り出せないのは、誘惑なんて自分にできるわけがないと思っているのとは別に、経験がゼロだということもあるのです。
元々面倒な性格をしているし、臣くんには多大なる迷惑をかけて生きてきた自信はあるものの…これ以上、面倒だとか嫌悪感を抱かせたくない。そんな事態になったら私は泣いてしまうと思うんだよね。それもまた面倒だと思われそう、という無限ループになるんだけども。

「私は男じゃないからわからないけど、…どんなことも人それぞれってことになっちゃうんじゃないの?」
「そうなんだけどさぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」
「伏見くんは尽くす人に見えるから、面倒とは思わないとは思うけど…」

こればっかりは本人に聞いてみないとわからないよ。
千鶴の言葉にがっくりと項垂れる。いや、うん、彼女は悪くない。何も悪くないし、至って正論だと思うそれ。
どんなことも全人類に当てはまるものではないことくらい、私だって理解はしている。しているけれども、だからといって不安にならないわけではないじゃない?一般論がもし、臣くんにも当てはまっていたとしたら…どうしよう。
どうにもならないんだけど、どうしよう?!

「お願いだからパニックになって暴走することだけはやめてよ、しの」
「…ハイ」

事前に釘を刺してくれてありがとう。ちょっと暴走しかけてました。
そんな会話をしてから数日後。私はとあるお願いをしようと臣くんと太一くんの部屋を訪ねることにした。
お願いというのは、サークルのメンバーに頼まれた公演中に撮った写真の選別。普段なら写真を撮った本人が選別しているんだけど、今回はその子が課題に追われているらしく時間が取れないんだって。そこで私に白羽の矢が立った、と。
頼まれたというよりお願いします!と押し付けられた感すごかったけどね。…いいんだけど、別に。選別すること自体は嫌じゃないし、楽しいと思ってるから。でも悩みはするんだよ。という理由により、臣くんヘルプ。

「臣くーん、いるー?」

コンコン、とノックをして数秒。ドアを開けた臣くんは少しだけ驚いた顔をしている。
んん?タイミング悪かったかな。

「どうした?お前がこっちに来るの珍しいな」
「ちょっと一緒に見てほしいものがあって…」
「うん?…とりあえず、入って」

あれ?臣くんしかいないのか?キョロキョロと見回してみても、太一くんの姿は何処にもない。
…あ、違う。太一くんは今日、実家に帰ってるんだっけ。朝、そう言っていた気がする。明日から3連休だから帰省する、って。戻ってくるのは月曜の夕方くらいだったっけ…すっかり忘れてしまっていた。夕食の時にもいないのわかってたのに。
ドア付近に立ち尽くして動かない私に、臣くんは不思議そうに声をかけてきた。

「ごめん、太一くんいなかったんだっけって思って」
「今日から実家に帰るって言ってたな」
「ね。朝聞いたのに忘れちゃってた」
「それでどうしたんだ?」

共用スペースのテーブルに持ってきたノートパソコンを置いて、臣くんを手招き。彼が隣に腰を下ろしたのを確認してから、USBファイルをクリックした。
ええっと、…あ、これだこれ。目当てのものを再度クリックして開くと、そこにはたくさんの写真が映し出される。

「これなんだけど」
「サークルの写真か?」
「そう、この前やった定期公演の写真なんだけどさ…」

一応ね、途中までは自分で選別してたんだよ。何度もやってきていることだし、カンパニーでも秋組の公演の時は写真を撮ることもちょくちょくあったから直感とかで選ぶことはできるんだけど、どうしてもいくつか迷ってる写真があるんですよ。
同じサークルのメンバーに相談しても良かったんだけど、次の活動日までに選別し終わっていないといけないというスケジュールでさー…ちょっと相談している暇がなさそうなんだよね。
というわけで、写真を撮り慣れてる・見慣れている臣くんにお願いしに来たというわけです。『異邦人』の公演中の写真の選別も手伝ってもらったしね。

「この中だとどれがいいと思う?」
「あー…これがいいかなと思うけど。写りも綺麗だし、構図も面白いと思うぞ」
「なるほど…じゃあ次はこっちの…」

2人で画面とにらめっこすること30分。迷っていた写真全てを見てもらい、何とか選別終了です!
あとは掲載用のフォルダを作って、…よし、これでOKかな。やっぱり臣くんに相談して正解だったな、ひとりでやっていたら絶対に終わらなかったと思う。悩みすぎて。

「はるのセンス悪くないんだし、自分で選んでも良かったんじゃないか?」
「途中までは大丈夫だったんだけど、一度悩み始めるとグルグルし始めちゃったんだよ…」
「ああ…気持ちはわからないでもないけどな」

悩み始めると無限ループだよねぇ、と苦笑しながらノートパソコンの電源を切って閉じる。あ、飲み物くらい持って来れば良かったな…と、床に手をついたらそこにちょうど臣くんの手があったらしくぶつかってしまった。
ごめんね、と振り向くと案外近くに臣くんの顔があって、視線がバチッと絡み合う。こいつとの距離が近いのは昔からではあるんだけど、恋人となってからはふとした時にこの距離感が恥ずかしくなってしまって一気に鼓動が早くなるし、顔に熱が集まってきてしまう。
それを臣くんもわかっているのかどうなのかはわからないけど、少し楽しそうな顔で距離を詰めてくることがあるんだよね。心臓に悪いから本当にやめてほしい。……でも多分、やめられたらやめられたで寂しいとか勝手なこと思っちゃうんだよなぁ。私。
そんなことをグルグルと考えているうちに、臣くんとの距離がゼロになった。

「ん、…」

啄むようなキスを数回されて小さく声が零れ落ちた。まるでそれが合図だったかのようにキスが深くなっていって、ゾクゾクと背筋が震えてしまう。だって、…気持ちいい。

「―――…はる」

ゾクリとしてしまうほどの色香を纏った声と表情に、再び落とされるキスに、段々と思考回路がどろりと溶けていくような気がした。
臣くんの唇が首筋に触れた瞬間―――コンコン、とノックの音が響き渡り、ピタッと彼の動きが止まる。ついでに呼吸も止まったような気もする。
突然のことに臣くんも私も何も言葉を発せなくて、黙り込んだまま。するともう一度ノックの音がして、左京さんの落ち着いた声が臣くんの名前を呼ぶ。

「左京さん、どうしました?」
「…悪い、もう休んでたか」
「いや、大丈夫ですけど…」
「明日の朝食なんだが、―――」

すぐ近くで話しているはずなのに、臣くんと左京さんの声がやけに遠くで聞こえる。恐らく自分の心臓の音がうるさすぎるのと、軽くパニック状態になっているからだろう。
だ、だって、きっと左京さんが来なければあのまま、事に及んでいたんだと思うと何かもう色々と爆発しそうなんですけれども…?!私、こんな状態でよく先に進みたいって思ったな?!さっきのだけでもうすでに恥ずかしさで死にそうになってる。
キャパオーバーで頭を抱えていたら、パタンとドアの閉まる音と足音が隣の部屋へ消えていく音が聞こえてきてハッと我に返った。

「あ、…」
「…はる?」

逃げグセは、良くない。何度も臣くんを傷つけてしまったから。でもごめん、今はちょっと冷静でいられないです…!写真選別のお礼とおやすみの挨拶だけはしっかりと告げて、逃げるように105号室を飛び出した。
廊下に誰もいなくて良かった、本当に良かった…!こんな真っ赤な顔見られたら何を言われるかわかったもんじゃないもん。
急いで自室に戻りドアを閉めれば、一気に力が抜けてドアに背を預けた状態でズルズルと座り込んでしまった。これはしばらく立てそうにないなぁ…心臓はバクバクしてるし、呼吸は乱れてるし、さっきまでのことを思い出すだけでもうどうにかなってしまいそう。
あ〜…比喩でも何でもなく、本当に顔から火が出そう…!

「明日から…どんな顔して臣くんに会えばいいんだ…!」

普段通りでいいんだろうけど、きっと臣くんは何でもない顔で「おはよう」って言ってくれるんだろうけど、私はそれができるんだろうか。
できなくはない、んだろう、けど…ちょっと自信ないかもしれない。溜息をひとつ吐き出して、そっと目を閉じた。
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