とある雨の日


まるであの日はなかったことのように、臣くんと私の関係は何も変わらぬまま。変わらないというか、…進展のないままって言った方がいいのかな。よくわからないけれど。
とはいえ、別段関係性が悪くなったということもない。逃げ出したことに変わりはないんだけれど、恐らくは臣くんの心に傷を負わせたわけではない…んだと、思う。
突き飛ばしたとか、拒否したとかではなかったし…ううん、でも顔に出してないだけってこともあるから何とも言えない…聞いてみない限りは、彼の本心なんてわかりゃしないのは過去に経験済みです。

「ん?どうかしたか?」
「いや、…んん、臣くんさぁ」
「うん」

あの日、私は君を傷つけていない?―――そう問おうとした時だった。ポツン、と頬に何か冷たいものが落ちてきて、空を見上げたらそれはあっという間に視界を白く染めてしまう。
あ、雨か、と理解する頃にはすっかりずぶ濡れで寮までの道を全力疾走する羽目になった。寮までもう少しの所で良かったと思えばいいのか…いや、もう少しだったのにって気持ちの方が大きい気がする。雨宿りするような所もなかったしね、残念ながら。

「ただいまー」

2人とも濡れネズミ状態で玄関をくぐったけれど、寮内はしーんと静まり返っていて、響くのはザァザァと振り続ける雨の音だけだ。
珍しい…今日は皆、外出中?臣くんも私も昼過ぎに講義を終えて帰ってきたから、学生組がいないのは当たり前ではあるんだけど…いつもなら冬組の誰かしら寮にいることが多いんだけどな。

「こんなに静かなのは珍しいな…」
「滅多にないよね。とりあえず、タオル取ってこないと」

このびっしょびしょの状態で上がるのはとても気が引けるけれど、カバンの中に大きめのタオルなんて入ってはいないし、洗面所に常備してあるタオルを取りに行く他ない。びしょ濡れになって揃って風邪ひきました、なーんていうのも避けたいしね。
ちょっと待ってて、と臣くんに告げて、ハンドタオルで足だけ拭いてから洗面所へと走る。バスタオルだけでどうにかなるかな…ある程度、水気を取ったら部屋で着替えてしまえばいいし。
シャワー浴びたい所だけど、左京さんにバレたら怒られるだろうか。けれど状況が状況だし、病院にかかる羽目になる方がきっとお金もかかるよなぁ…目をつむってくれたりしないかな、今回ばかりは。

「臣くん、はいタオル」
「ありがとう。…しかし、すごい雨だな」
「今日雨の予報だったっけ…」
「どうだったかな…天気予報見忘れたから」

同じく。1限から授業だったもんだからテレビをゆっくり見ている暇がなかったんだよね。こういう時の為に折り畳み傘を常備しておいた方がいいかもしれないなぁ。
今はまだそこまで気温が低くない季節だからいいけど、冬に雨に降られてびしょ濡れとか絶対避けたいもん。純粋に冷たいし、寒い。

「…はる、お前さっさと部屋に戻った方がいい」
「へ?なに、急に」
「あー…その、な、ええっと…」

言い淀んでいる臣くんの顔が少し赤くなっている気がする。え、もしかしてもう風邪ひいた?!熱出たりしてるの?!
でもそうではなかったらしく、たった一言「服。」とだけ言葉を紡いだ。服?服ってなんの……はた、と気がついて視線を下げてみると、雨で濡れた服がぴったりと体に張り付いている状態。しかも白い服を着ていたもんだから、下着の線もバッチリ透けてしまっている。
あー!そういうこと?!ごめんね?!

「ぅわ…っ!ごめんっ見苦しいものをお見せしました!!」
「いや、見苦しくはないが、………って、なに言ってんだ俺…」

頭の上に載せたバスタオルの僅かな隙間から見えた臣くんの顔は真っ赤で、何だか可愛く思えてきてしまった。
いや、割と可愛い所あるんですけども。私の幼なじみ兼恋人は。きゅんとして、無性に触れたくなってしまって背伸びをして彼の唇に触れた。

「はる、お前なぁ…!」
「あはは、臣くん顔真っ赤。可愛い」
「男に使う言葉じゃねぇだろ、それ」

まぁ、そうなんだけど…だって可愛かったんだもん、照れて顔を赤くしている臣くん。クスクスと笑みを零しながらそう言うと、眉間にシワを寄せてどこか拗ねた表情へと変わっていく。
んん、その顔も可愛い…!でもきっと可愛いって言ったら、余計に機嫌を損ねちゃうと思うので言いません。心の中に秘めておきます、大事に。口に出さなければ伝わることもないし、思うことは私の自由だもの。言葉として紡ぐのも自由だけれど、臣くんの機嫌を損ねることはあまりしたくないから。
可愛い、可愛いと心の中で復唱していたら、頬に冷たい手が触れた。いつもならもっと温かい手をしているはずなのに、…ああ、そうか。雨に濡れたから体温が下がっちゃってるんだ。風邪をひく前にシャワーを浴びさせた方が良さそう。
臣くん、と名前を呼ぼうとしたのに、それはグッと引き寄せられたことで音にはならなかった。だって、引き寄せられただけでなく、口を塞がれてしまったから。

「んんっ?!」
「は、…もう少し口開けられるか…?」
「んぁ、…っおみ、」

言われた通りにおずおずと口を開けば、ぬるりと舌が入り込んできてあっという間に絡めとられてしまう。
雨の音に混じって聞こえる微かな水音に、頬を撫でる感触に、腰に回された腕に、欲情を掻き立てられている気がする。
どちらの唾液かもわからないくらい混じり合ったそれを飲み込んだ時、2人を繋いでいた銀の糸がプツンと切れた。もうまともに考えることができなくって、腰が抜けてしまわないように臣くんの服を掴んで耐えることしかできない。

「―――なぁ、」
「な、に…?」
「悪い、……抱きてぇ」

わお、ド直球。
そこまで直球に言われるとは思わなくて、ビシッと固まってしまった私は悪くないと思う。だって普段の臣くん、ここまで直球じゃ、…………いや、案外そんなでもないか…?割かしハッキリ言うタイプでもあるかも…?
場違いなことを考えていると、鼻がむずむずとしてくしゃみをひとつ。そこでようやく私自身もかなり体温が下がっていることに気がついた。タオルで拭きはしたものの、服と下着は濡れたままだもんね…そりゃ冷えもしますわ。
私のくしゃみで臣くんもちょっと冷静になったご様子。元々、冷静ではあるとは思うけど。多分。お互い、熱に浮かされてる感じはあるけどね。いまだに。

「と、りあえず着替えよ…風邪ひいちゃう」
「…そうだな。悪い、怖がらせた」

ポンポンと私の頭を撫で、臣くんは何でもないような顔で靴を脱いだ。
何で謝るのよ、いつ私が怖がったの?変な誤解をしないでほしくて、部屋に戻ろうとする臣くんのベストの裾を引っ掴んだ。
僅かに彼の体が傾いだけれど、よろけるようなことはない。体幹いいんだな、やっぱり。

「はる?どうした?」
「ビックリ、した、だけだから…あの」

どうしよう…なんて言ったらいいの?続きをしてほしい?いやいやいや、そんなド直球に言ったらはしたないって思われない?でも臣くんだってド直球だったし、…それを聞いた時、別にそんなこと思わなかったから大丈夫じゃない?うう、だけど万が一そんな風に思われたらショックなんだよな。
上手い言葉が出てこなくて、何でもないって笑ってしまいたい。グルグル考えても結局、ド直球な言葉しか出てこないから。
出てこないけど、何も伝えないままでいるより…誤解させたままでいるより、マシかもしれない。

「部屋、…来て」

その瞬間、臣くんがどんな顔をしていたのかはわからない。確かめる勇気だってなかったから。
言葉にすることだけでいっぱいいっぱいで、私はそのまま2階への階段を駆け上った。


「―――〜〜…ほんっと、…どうしてやろうか、はるの奴…!」
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