落ち着け、落ち着けない
消え入りそうな声で、真っ赤な顔で、…でもしっかりとこっちを瀕死に追い込むほどの爆弾をぶん投げて階段を駆け上っていった。
その後ろ姿をただ見送って、ドアが閉まる音を聞き届けてから肺の中にある空気を全て吐き出すような溜息をひとつ。
今のは反則だろう、アイツ…本気でどうしてやろうかと思った。本人には告げちゃいないが、言葉にもした。そうでもしないと落ち着かない。
いや、実際の所は言葉にしても溜息を零しても全く落ち着かないんだが。ただでさえギリギリだったのに、あんなことを言われたらその場に押し倒したくなる。
side:臣
ずぶ濡れになった服を替え、引き出しの奥深くに隠すようにしまっていた必要なものを引っ張り出す。
いずれ、とは思っていたし、先に進みたいと思っていたのも本当だが―――まさか、寮内でスることになるとはちょっと予想していなかった。
そういう雰囲気になったことは何度かあるし、そのまま押し進めてやろうかと思ったことも一度や二度ではないが…薄っすらと聞こえる仲間達の声で、いつも我に返る。
それはきっとはるも同じだろうと思っていたし、どうせなら何も気にすることのない外で、と考えていた。でもどう誘っていいかわからなかったし、そもそもはる自身にその気があるのかイマイチわからなかったんだよな。キスを嫌がられたことはないし、俺が触れることも…多分、許してくれてるとは思うんだけど。
「…ひとまず、なにか飲み物…」
俺もはるも体が冷え切っている。風邪をひかないようシャワーを浴びさせようと思ったけれど、こういう状況になったからにはもうその時間すら惜しいと思ってしまう。こんな機会、二度とないだろうと少なからず思っている節もあるんだろうな。
激しい雨音だけが響いている廊下をゆっくり歩き、談話室へ繋がるドアを開ける。そこは薄暗く、雨音の他に何も聞こえないし人の気配もない。本当に今日は全員が出払っているらしい。
昂ってしまった気持ちを落ち着けるように、殊更ゆっくりお湯の準備をして、何を淹れようか思案する。コーヒーや紅茶の気分じゃあない、ココアも…んん、違うな。かと言って他に―――そこまで考えて、冷蔵庫にホットレモネードが簡単に作れるやつがあったことを思い出した。確かお湯や炭酸水を注ぐだけで良かったんだよな…?
取り出したそれの裏面を読めば、予想通りお湯を注げば完成らしい。ちょうど良く沸いたお湯をゆっくり注いで、あとはティースプーンでかき混ぜれば完成だ。…うん、わかってはいたけど全く落ち着かない。効果はなかったなぁ。
相変わらず心臓はバクバクいってるし、緊張で僅かに手が震えている。こんなにも緊張するものだったか…?昔の記憶を引っ張り出そうとしてみたものの、ここまで緊張した覚えはない気がする。昔と今、何が違うのかはわからないが。
「はる、入っていいか?」
「あ、うん、今開ける」
そっとドアを開けたはるは、ぎこちない仕草で招き入れてくれた。そんな彼女を見て緊張しているのは自分だけではないという事実を改めて知り、そっと息を吐く。
冷めないうちに、とマグカップを差し出せば、少しだけ表情を綻ばせた。柔らかい笑みを見て、自然と口角が上がる。
「ん、ホットレモネード…?」
「そう。コーヒーや紅茶の気分じゃなくてな…冷蔵庫にあったのを思い出して、少しもらってきた」
「ああ、そういえばあったかも。…美味しい、温まる」
名前は書いてなかったから、恐らく誰でも飲んで大丈夫なやつだ。個人のものは必ず名前を書いていたはずだし。
俺もゆっくりとそれを飲めば、冷えていた体に少しずつ熱が戻ってくる。真冬だったりすればこうはいかないだろうが、今はそこまで寒い季節ではないのが幸いしたな。
「雨、止まないな」
「さっき天気予報サイト見てみたら、しばらく続くみたい。学生組、傘持って行ってるかな」
「朝はいい天気だったからなぁ…俺達も見事に濡れたし」
「大人組はまぁ、車の人もいるし…大丈夫だとは思うけど」
最悪、コンビニで傘を買えるしな。ただ学生組はそのコンビニに行くまでに濡れるだろう…大学生組は校内にコンビニがあるから、何とかなると思うけど。
そんなことを考えながら飲み終えたマグカップをローテーブルに置くと、存外大きな音が鳴った。傷をつけるような音ではなかったから、マグカップもローテーブルも大丈夫だろう。マグカップの取っ手からそっと手を離した時、視界に入ったのははるの首筋だった。
(ああ、―――美味そうだな)
それはもう、ほぼ本能的な行動なのかもしれない。まだゆっくりと飲んでいるマグカップを抜き取り、白い首筋に噛みついた。さすがに歯は立てたりしていないが、驚かせるには十分だったらしくはるは首筋を押さえ、真っ赤な顔で俺から距離を取った。
顔に浮かんでいるのは驚きと、羞恥だろうか…嫌悪しているようにも、拒否しているようにも見えなくて少しだけホッとする。
「おみ、っ臣くん…?!」
「ははっ顔真っ赤だな。…可愛い」
「ッ」
さっき言われたからな、お返しだ。
そのまま真っ赤な頬に触れれば僅かに肩が震えて、ぎゅっと目をつぶる。ああ、本当に…可愛いな。開いてしまった距離を埋めるように抱き寄せれば、いとも簡単に腕の中に収まってくれた。
さっきのは本当に驚かせちまったんだな。そのことは悪いと思いはすれ、行為自体は謝る気は更々ない。
「あの、…あのね、臣くん」
「なんだ?」
「その、…っ」
肩に顔を埋めて、服をぎゅっと握りしめて、何かを言い淀む姿に「恐怖心が勝ったかな」と咄嗟に思った。
でもまぁ、まだ本能より理性が勝っているしこの昂りも抑えようがないわけではない。まだ無理だ、とはるが言うのなら、待ってやりたい。覚悟が決まるまで、彼女自身が望んでくれるまで。先に進みたいと望むのが、俺だけでは意味がないから。
そんなことを考えながらゆっくりと背中を撫でてやれば、言いたいことがまとまったのかさっきよりも強い力で服を握り込んだ。待ってほしい、と言われると思っていたから、心の準備ができていなかったんだ。…俺の。
「わ、たし、経験ないの。初めてなの。だから、っだから……や、優しくしてクダサイ」
いや、何でシトロンみたいな片言。
けれど、それでも言葉の破壊力は絶大で。まるで鈍器に頭を殴られたような衝撃だった。どうしてお前はそう、無意識に煽ってくるんだ。
いや、今のは無意識じゃなく確信犯か?どっちにしろ質が悪い…!
「…怖いんじゃないのか」
「怖くないわけじゃ、ない、けど…」
埋めていた顔を上げ、僅かに潤んだ瞳で見上げられると堪らない気持ちになる。
今すぐ押し倒したい気持ちを抑え込んで続きを促せば、更なる爆弾を落とされて頭を抱えたくなる。
「怖いけど、…私だって、臣くんが欲しいから…」
もうやめてくれ。―――どうにかなりそうだ。
顔を覆って長い溜息をついた俺に戸惑っているのが、気配でわかっているんだが…うん、ごめん。本当にちょっと待ってくれ。なんかもう、キャパオーバーになりそうだから。