青のアクアリウム
「伏見、これもらってもらえないか?」
「はい?」
side:臣
夕食の後片付けも終わり、風呂が空くまで談話室でコーヒーを飲みながら綴やカントクと話をしていたら、丞さんに声をかけられた。ついでに何かを差し出された。
反射的に受け取ってしまったが、何だろうこれ。チケット、か?よくよく見てみたら、水族館の優待チケットのようだった。
「あっこの水族館って、最近リニューアルした所だよ!」
「え、そうなのか?」
「っす。この前、ニュースでやってましたよ。結構でかいんすよね」
「へぇ…でも丞さんがもらったんでしょう?行かないんですか?」
紬さんなんてこういう所、好きそうだと思うけど。そう思って問いかけてみたものの、チケットの有効期限が割と短いらしく時間が取れそうにないらしい。
かと言って、そのまま無駄にするのも少しもったいない…そう思って俺に声をかけてくれた、そうな。
「東雲もこういうの好きだっただろ。良ければ2人で行ってきてくれ」
「…じゃあ…有難く頂きます」
厚意を無碍にするのも気が引ける。それにはるがこういう所が好きなのも本当だし…なかなか2人で出かける機会がなかったのもあるし、たまにはデートに誘ってみるのもいいかもしれない。
改めて丞さんにお礼を言ってから日付を確認してみると、確かに有効期限は今月末でそんなに猶予は残されていなかった。運良くカンパニーの公演はつい最近終えたばかりで、提出期限が近いレポートもないし、試験が近いわけでもない。
俺は時間を作れそうだが、はるの方はどうだろうな…さすがに演劇サークルの公演サイクルを把握してないから。それに受けている講義が全く違うから、もしかしたら課題が出ている可能性がないわけじゃない。その辺はちょっと確認してみないとだな。
「臣くん遥ちゃんもいつも頑張ってくれてるんだし、息抜きに行っておいでよ」
「っすね。当番ならいくらでも変わるんで、ゆっくりしてきてください」
「…ああ、ありがとう。相談してみるよ」
善は急げと言うし、はるの部屋に行ってみるか。マグカップを片付けて2階へ向かうと、ちょうど良く共有スペースに設置されているソファで読書をしている彼女を見つけた。
此処でくつろいでるのは珍しいな…いつもは自室か談話室にいることが多いのに。夕食後にすぐ談話室を出ていったから、自室で作業でもしているのかと思っていた。
「はる」
「あれ、臣くんだ」
「珍しいな、ここで本を読んでるの」
「ああ…さっきまで紬さんと話してたから」
「成程、そういうことか」
「それでどうしたの?私に用事?」
パタンと本を閉じたはるが、こっちに向き直ったのを合図に俺は空いている隣に腰を下ろした。
持っていたチケットを差し出せば、きょとんとした表情をしながらもそれを受け取ってまじまじと眺めている。
「水族館の、優待チケット?」
「ああ、さっき丞さんにもらったんだ」
「へぇ…あ、この水族館ってリニューアルしたって話題になってるとこ」
あ、やっぱりはるも知っていたのか。俺はさっきカントクと綴に聞くまで全然知らなかったが、割と有名な所らしい。
はる曰くかなり大きな水族館で、ふれあいコーナーや展示がかなり充実しているし、観覧車もあるらしい。その中でも一番人気なのは、『青のアクアリウム』だそうだ。
スマホで紹介ページを見せてもらったら、まるで海の中にいるような空間で綺麗だった。確かにこれは人気がありそうだな。
「有効期限が今月末でちょっと急なんだが、行ってみないか?」
「うん、行きたい!ニュースで見た時から気になってたんだ」
「そうだったのか?」
「うん」
俺を誘おうか迷っているうちに時間だけが過ぎていっていたらしい。
何だ、気になってたのなら声をかけてくれれば良かったのに。というか、迷う必要なんてないと思うんだけどな。恨み言でも何でもなく、ただ単純に気になって疑問を口にしてみれば、はるは視線を逸らして言いにくそうに口を引き結んだ。
あー…こういう反応する時のこいつは、大体俺に遠慮しているんだよな。課題だったり、サークルだったり、カンパニーのことだったり、その他諸々。色々考えているうちに、そのまま飲み込んでしまいこんじまう。
はるは昔からそういう所がある奴だから。俺相手に遠慮なんてしなくていい、って何度も言ってきているんだが、クセになっちまっているらしくいまだに直る気配はない。無理矢理に矯正するつもりはないんだが、ちょっと寂しくなるんだよな。遠慮されると。
そりゃとんでもないことを要求されたら困るかもしれないが、そうでなければとりあえず話してほしいと思ってしまう。それが彼女にとっては難しいことなんだろうけど。
「いや、あのー…うん……忙しいかもな、って思ったら…つい…」
「そんなことだろうとは思ったけど…断るかどうかを判断するのは俺なんだし、相談してくれた方が嬉しいけど?」
「…はい、善処します」
「ははっそんな顔するなよ。…それで本題なんだが、いつなら都合がいい?」
「あ、えっと…」
2人のスケジュールを擦り合わせた結果、来週がちょうど良さそうだった。あとは曜日だよな…休日か平日か…混み具合で考えると平日の方が都合がいいんだろうが、講義が終った後だとあんまりゆっくり見て回れない可能性が高い。それだったら大人しく休日を選んだ方が得な気はする。
俺もはるも人混みが特別苦手というわけではないし、問題もないとは思う。さて、どうするか。
「土日と平日、どっちがいい?」
「うーん…ゆっくり回るなら平日だろうけど、時間のこと考えると土日…」
「だよなぁ。―――あ、なぁ、来週の木曜ってお前、休講だって言ってなかったか?」
「……あ、そうだ。教授が発表会だかで留守にするから…臣くんは全休?」
「おう、木曜は講義ないから」
「じゃあ木曜にする?私、その日は休講の講義しか取ってないし」
「そうするか」
件の水族館までの行き方を調べてみると、バイクで行くより電車で行った方が良さそうだ。少し足をのばせば大き目のショッピングモールもあるみたいだし、時間があればそっちにも寄ってみればいい。
昼メシは水族館内にあるレストランで済ませられるし、…うん、あとは特に決めることはなさそうかな。少し遠いから朝は早めに出た方が良さそうだ。平日だし開園時間前に着かなくても、そうそう待たされることはないだろうが。
ふと嬉しそうに笑うはるが視界に入って、自然と口元が緩む。そんな顔で笑ってくれるなら、何でもしてやりたいと思っちまう。変に遠慮するクセに、そうやって素直に喜んでくれる所が…堪らなく好きだ。
「うわ、本当にでかいな」
「ね!ニュースやホームページの写真で見てはいたけど、実物前にするとやっぱり圧巻!」
思っていた以上にでかく、そして広そうな水族館を前にぽかんとマヌケ顔を晒す羽目になった。
俺はリニューアルのニュースは見ていなかったし、はるに見せてもらったのも人気があるという『青のアクアリウム』だけで、そういえば外観は確認しなかったな…こんなにでかかったのか。
あ、本当に観覧車もある。観覧車も併設されている、と聞いた時には、水族館兼遊園地だと思ったんだが…どうやらそういうことではないらしい。
純粋に水族館だけでこの広さってことか…確かにこれは1日かけないと回りきれそうにないな。早めに出発して正解だったかもしれない。
「ん、チケットこれな」
「ありがと。…でも丞さん行かなくて良かったのかな?せっかくもらったのに」
「俺もそう思ったんだが、時間が合わなかったらしい」
「成程…お礼にお土産買っていかないとね」
「だな」
中に入ってみると、平日の午前中にしては人の数が多いが、それでもきっと土日の混雑よりはよっぽどマシだろう。リニューアルしたてというのもあり、かなりの盛況ぶりだと聞いているから。
やっぱり平日を選んで良かったな、これならゆっくり見て回れそうだ。入場口でもらった館内マップを広げ、レストランやグッズショップの大まかな位置だけを確認してから、ひとまずルート通りに回ることにする。
ルートを外れてしまっても戻れないわけではないみたいだが、こういうのは順番通りに回った方が多分見落としは少ないんだよな。混んでいるなら空いている所から、って行くのもひとつの手だけど。
(しかし、魚の数も多いな…)
つき合い始めの頃、違う水族館に行ったことがあるが…あそこより全然数が多いと思う。そもそも広さが段違いだから、それも当たり前なんだけど。
今まで見たことのない魚とかもいるし、隣で水槽を見上げているはるもずっと楽しそうにしている。写真、撮りたくなるな。
水族館の中って撮影厳禁だったかな…フラッシュがダメなのは覚えてるんだが、そもそもどうだったか―――水槽を見ながらそんなことを考えていたら、どこかからシャッター音が聞こえた。
音の出所に視線を移せば、母親らしき女性が水槽の前で楽しそうにはしゃぐ子どもをスマホで撮っていた。どうやらこの水族館はフラッシュをたかなければ、写真を撮っても大丈夫らしい。どうせ撮るならカメラで撮りたい所だが、たまにはスマホで撮ってみるのもいいかもしれないな。
パンツのポケットに入れていたスマホを引っ張り出し、いまだ青い光に照らされ、水槽の中で泳ぐ魚に夢中になっている彼女をカメラにおさめた。
「…臣くんがスマホで撮るの、珍しいね」
「そうか?…ああ、そうかもな」
「というかビックリした…撮るなら魚の写真撮りなよ…」
「そっちも撮るけど、せっかくのデートなんだ。お前も撮っておかないとな」
「ええ〜……」
心底嫌がっているというよりは、恥ずかしいからやめてほしいって感じだろうか。嫌そうな表情ではあるが、頬と耳が真っ赤になっているから恐らく、俺の予想は間違っていないんだろうと思う。
はる自身、あまり写真に撮られるのは得意ではないらしい。特に自分ひとり撮られるのは。カンパニーの皆とだったり、サークルの皆とであれば撮られることに嫌がる素振りは見せないから。
恥ずかしがるのはわかってるんだが、…つき合い始めてからは特に余すことなく写真に残しておきたいと強く思うようになった。手放すつもりなんて毛頭ないが、先のことなんて誰にもわからない。いつか、いつかこの先、別れる日が来たとしても…写真があればきっと、いつだってはると過ごした日々を思い返すことができる気がして。
重いかもしれないが、それを糧にして生きていきたいと思ってしまった。
「―――あ、臣くん!次が人気の『青のアクアリウム』だって」
「ああ、写真見せてくれたやつか。写真だけでもかなり綺麗だったし、楽しみだな」
「うん。行こ、臣くん」
こんな重い気持ちを抱いているなんて、まだはるには知られたくないな。苦笑を浮かべつつ、俺の手を引いて先を歩く彼女の背を追った。
程なくして着いたのは、この水族館で一番人気だという『青のアクアリウム』。ガラス張りの水槽がトンネルのようになっていて、確かに海の中にいるような空間だな。
ゆらゆらと揺れる水の中でたくさんの魚が泳いでいる光景は、想像以上に綺麗だと思った。人気があるのも頷ける。
「すごいな…」
「写真も綺麗だったけど、実際に見てみるともっと綺麗だね」
「ああ」
「臣くん、臣くん」
水槽を見上げていたはるが、楽しそうに俺の名を呼んだ。
どうかしたのかと視線を向けると、スマホ片手に笑っている彼女の姿。…うん?スマホを出して、どうしたんだ?
「臣くん、いつも撮る側でしょ?たまには一緒に撮ろうよ」
そういえば、はるとの写真ってあんまり撮ったことがなかったかもな。写るのはあまり得意じゃないんだが、思い出として撮っておくのもいいかもしれない。こういう形で撮るのはあまり経験がないから、上手く撮れるかはわからないが。
はるがスマホのカメラを起動し、画面におさめようと奮闘しているのが可愛くて笑みが零れる。笑っているのがバレたらきっと怒られるんだろうというのはわかりきっているが、可愛いんだから仕方がない。開き直りだと言われてしまったら、それまでなんだけどな。
そんな姿をじっと見ていたら無性に触れたくなって肩を抱き寄せ、額にキスをひとつ落とした。
「ちょ、臣くん…?!」
「あー…悪い、つい…」
「ついって、…ああもう、ビックリしてブレた…!」
覗き込んだスマホの画面に映し出されていたのは、何が写っているのかわからないものだった。辛うじて青いっていうのはわかるが…はるも俺も、画面内にはおさめられていない。
余程ビックリさせちまったんだな…悪いとは思いつつも、したことを後悔してはいない。ごめんな、はる。
本当は唇にしたかったが、さすがにそこまでしたら彼女の機嫌を損ねかねない。今の状態でも割と損ねているとは思うけど、…多分、そこまでじゃないと思う。まだ。
頬を赤く染め、ぶすくれているはるの手からスマホを抜き取り、もう一度肩を抱き寄せる。
「わ、」
「今度は俺が撮るから、ほら、こっち向いて」
「え、あ、うん」
カシャリ、と響くシャッター音。
今度は笑っている2人の姿が、カメラにおさめられていた。