体調不良にはご用心
ここしばらく食欲がない。正しくはお腹は空くし食べられてはいるけど、少し食べただけでお腹がいっぱいになってしまう。
吐き気とかお腹痛いとかもないから、問題はないと思うんだけど…食べきれないから量を減らしてもらっているものの、それでも完食するのが大分キツイんだよね。でもこれ以上、減らしてもらうと多分心配をかけちゃう。今はまだ、何とかギリギリバレてないと思うんだけど。
そもそも説明のしようがないんだよ、食欲がない以外には何も不調がないから。熱があるとか、喉が痛いとか、怠いとか、そういう典型的な症状がひとつもないし。だから病院に行く理由もなく、今に至る。―――んだけど、何だか今日は朝から調子が悪い気がする。
「―――…しの?」
「え…なに?千鶴」
「あんた大丈夫?顔、赤くて青いけど…」
赤くて青いってなんだ、それ。普段なら言い返せるのに、その元気すら湧いてこなくて首を傾げることしかできない。
千鶴の言葉に他の友人達も私の顔を覗き込んでは、口々に「本当だ」とか「赤いけど青いね、確かに」とか好き勝手言っている。いや、だからどういう色してんのよ私。
「遥、もしかして体調悪い?」
「んん…微妙……?悪いような気もするんだけど」
「多分、それ熱あるよ。帰った方がいいけど、ひとりで帰らせるのも心配だし…」
「へーき、ひとりでも帰れるよ。…あとでノート見せてもらってもいい?」
「それは全然いいけど、本当に大丈夫?」
大丈夫、とだけ返して、リュックを持って教室を後にした。心配をかけてしまってるなぁ…寮に着いたら改めて謝罪のメールをしておかないと。
(あー…これはちょっと、マズイかも…?)
ぐらりと視界が揺れて、体がゆっくりと傾いでいく感覚。まるで他人事のようにこれは倒れるな、と思った時、ぼすんと何かにぶつかってしまった音と感触がした。
ヤバイ、見知らぬ誰かにご迷惑をかけてしまっている。
「―――大丈夫っすか、遥さん」
「じゅう、ざ、く……?」
耳に届いた低い声。ふわりと香る甘い香り。私がぶつかったのはどうやら十座くんだったらしい。
ごめんね、ありがとうと伝えたいのに、上手く口が回らない。ついでに頭も回らない。ぐらぐらと揺れる視界が気持ち悪くて、ぎゅっと目を瞑った。
「あれ、十座?そんな所でどうし…って、東雲さん?!」
「綴さん…何か具合悪ィみてぇで。この人、体あっちいです」
「うわ、顔色悪いな……今日、伏見さんって大学来てないよな?」
「確か就活だったはずっす」
「だよな…車持ってるのは至さん、千景さん、古市さん、高遠さん……誰か来れっかな」
「丞さんは今日、客演の稽古だった気がする」
「あー、そうだ…古市さんも仕事が忙しくて、バタバタしてたな」
ひとまず、保健室連れて行こう。
会話している十座くんと綴くんの声がやけに遠い。すぐ近くにいるはずなのに、何で…?
「遥さん、保健室まで運ぶんで気持ち悪ィとかあったら言ってください」
「ご、め…」
「大丈夫っすから」
背負っていたリュックを下ろされ、ふわりと体が浮いた。気のせいだと思いたかったけど、やっぱり体調がよろしくないらしい。改めて自覚をしてしまうと、体が鉛のように重く感じて苦笑が漏れる。
頭も、体も重い…熱さは然程感じていないけど、少しだけ、ほんの少しだけ寒いような気がしないでもない。ああ、でも十座くんが『熱い』ってさっき綴くんに言っていた気がするし、千鶴達もそんなことを言っていた。ということは、熱が出てきている可能性は高いなぁ。
チリ、と微かに痛みを感じた気がして、胃がある辺りを温めるように手を置いてそっと目を閉じた。
「―――…?」
「―――」
誰かの声が聞こえた気がして、ゆっくりと目を開けた。見えたのは白い天井と、周りを囲うように閉じられている白いカーテン…微かに香る消毒液のような香り…もしかして此処、病院?
体を起こそうとしたけれど、少し動いただけで視界が揺れてしまって無理だった。目を閉じても治まる気配はなくって、ゆっくりと体を横たえてそっと息を吐く。
朝よりは少し良くなった気はするけど、寒気がひどい。…あれ、じゃあ良くなってなくない?悪化してるんじゃない?これ。
ああ、ダメだ…思っている以上に頭が回っていない。
「…遥?目が覚めたのか?」
「ちかげさん……?」
シャッとカーテンが開いて、聞き慣れた声が耳を掠める。閉じていた目をゆっくりと開けば、そこにいたのはスーツ姿の千景さん。
もしかして、早退して迎えに来てくれたのか…?
「気分はどうだ?」
「良くはないです…」
「だろうね」
千景さん曰く、私は今40℃近い熱があるらしいです。全然覚えてないんだけど、千景さんが大学に来てくれた時・病院に着いた時はまだ薄っすらと起きていたらしく、しきりに「胃が痛い」と言っていたそうな。
うん、本当に覚えてない…記憶があるのは、十座くんに抱え上げられた瞬間までです。そういえばその時に胃が痛んだような気がしたな…今もちょっとキリキリしている気はするけど。
「ひとまず、この点滴が終わったら帰ってもいいらしい。あまり胃の痛みが続く・強くなるようなら、熱が下がってから検査をしましょうってさ」
「検査……?」
「そう、胃カメラ。今の体調だと避けた方がいいから後日に、ってことみたいだね」
千景さんはそう言ってベッド脇にある椅子に腰を下ろした。
そういえば、十座くんと綴くんはどうしたんだろう…まだ講義あったんじゃないのかな。
「十座くん達は…?」
「ああ、2人はまだ講義が残っていたらしいから一緒には来てないよ」
「そう、ですか…」
「監督さんにも連絡してある。熱が下がるまで、遥の寝床は談話室だからね」
何故に談話室?!と叫びそうになったけれど、そんな元気はやっぱり残っていなかった。でも気配とかそういうものに敏感な千景さんには、私の驚きが届いたらしく、にっこり笑って「その高熱でひとりで寝かせるわけないだろう?」って言われてしまった。
これはもう決定事項らしく、今頃談話室には私用の布団が準備されているだろうとのことです。待って?この前、臣くんが寝込んだ時はそんなことしなかったじゃん?!
談話室は皆の憩いの場なのに病人がいたら、気を遣わせてしまう…!ただでさえ、迷惑をかけてしまっているのに。
「君の部屋は2階だからね。その状態で階段を下りるのは危険だし、皆心配なんだよ」
「でも…」
「臣が寝込んだ時、遥は『誰ひとり迷惑だなんて思ってない』と言ったんだろう?君相手でも、それは一緒だと思うけど」
千景さんの言葉にもう何も言えなくなってしまった。
何でそれを知ってるの、とか色々と言いたいことはあるけれど…ゆるりと頭を撫でられる温かさに、全て飲み込んで目を閉じた。